初恋
第三話 ネグレクト

 深雪は重いまぶたを懸命にさすり、ベッドから立ち上がる。昨夜修吾の家で見た旅行の予定表が気になり眠れなかったのだ。
(思い過ごしだったらいいんだけど……)
 洗面所で整髪し制服に袖を通すとキッチンに向かう。
「おはよう。お母さん」
「おはよう~、今日は随分と眠そうね?」
「ちょっとね……」
「なに? 片思いの人を想って悶々としてたりとか?」
「母親の言うようなセリフじゃないってば」
「ノリが悪いわね~」
 ぶつぶつ言う雪絵を尻目に深雪は思い悩む。朝食と身支度を手早く済ませると修吾の家の前に来る。キッチンに明かりは点いていないようだ。
(やっぱり帰ってないのかな? しゅう君は学校行く時間だから起きてると思うんだけど……)
 意を決してベルに手を延ばそうとしたとき背後から声が掛かる。
「あら、深雪ちゃんおはよう。どうしたの?」
(美里さん!)
「あっ、おはようございます。そろそろ学校の時間なんで一緒に登校しようと思って」
 即座に切り返しながら深雪は美里の姿を確認し内心ハッとする。
(昨日見送ったときと同じ服装……)
「わざわざ悪いわね。昨日も面倒見て貰ったのに」
「いえ」
「修吾は、後で学校に行かすから深雪ちゃんは先に行ってちょうだい。ご飯も食べさせなきゃいけないし」
「分かりました。それではまた」
「いってらっしゃい~」
 少しはだけた服装と崩れた髪型を見て、何があったのか中学生の深雪でも容易に想像できる。
(しゅう君をほったらかしにして男遊びか、なんかムカつく)
 深雪は納得のいかない苛立ちを抱えながらエレベーターに乗った――――

 
――夕方、昨夜のカレンダーの内容と今朝のことで、深雪は一日中苛々しっぱなしで部活にも身が入らず、帰宅してもそれはずっと続いていた。
 機嫌が悪いときの深雪は、柔道部エースの薫すら近づけない程のオーラを発する。朝からその微妙な変化に気づいていた雪絵も少し困った顔している。
「ねえ深雪、生理前?」
 見兼ねた雪絵がちょっかいを出してくる。
「違うよ」
「じゃあ何よ。言ってごらん」
「別に何も」
「何もなく苛々するような子に育てた覚えはないんですけど? その辺はどう思われますか? 深雪さん?」
 洗ったばかりのしゃもじでインタビューのマネごとをしてくる。その明るい表情に毒気が抜かれる。
「お母さんには敵わないな。実は美里さん、あまりしゅう君をかまっていないみたいんだ。今日も朝帰りだったし」
「そう、それは気になるわね」
「うん」
 雪絵もかなり険しい顔をしている。
「人様の家庭に口を挟むわけにもいかないけど、気をつけてあげないといけないわね」
「うん。私もできるだけ見るつもり。お母さんも気をつけて見てあげてて」
「もちろんよ! だって可愛いもの!」
 妙に鼻息の荒い雪絵に深雪はがっくりくる。
 翌日、登下校時にも見かけなかった修吾が気になり深雪は修吾宅前を訪れていた。しかし、扉には鍵がかかったままで全く音沙汰が無い。
「しゅう君の家、今日チャイム鳴らしても誰も出ないんだけど、お母さん何か知らない?」
 小走りで帰宅した深雪は開口一番雪絵にも聞いてみる。
「お母さんも昼間ちょくちょく様子見てるけど誰も出入りしている様子はないわ。旅行かしらね?」
(旅行、まさか!)
「お母さん! 急いで大家さん呼んで! しゅう君中で倒れてるかも知れない!」
「えっ!? でも勝手に入るのはまずいわよ」
「人の命が懸かってるのに何を悠長な。早くして!」
 深雪の剣幕に押し切られ雪絵は戸惑いながらも受話器を取る。雪絵からの電話を受けてのろのろと歩いてくる大家を急かし、深雪はドアが開くのをそわそわしながら待つ。
「しゅう君! 居る!?」
 玄関を駆け上がり修吾の部屋に入り見渡すが人の気配はない。念のため押し入れも覗くが姿はない。
「居ない。私の思い過ごし?」
「深雪! こっち!」
「お母さん!?」
 声に反応し急いで洗面所に向かうと、雪絵の腕の中にはぐったりした修吾の姿がある。
「しゅう君!」
「熱あるし脱水症状も起こしてる。救急車を早く呼んで!」
「分かった!」
 修吾の家に電話があるにも関わらず、焦って余裕が無いのか深雪は走って自宅に戻る。
(しゅう君をこんな風にさせるなんて、絶対許せない!)
 深雪は怒りを隠せないまま荒々しく受話器を取り救急へと連絡をした――――


――数時間後、病院のベッドでスヤスヤ眠る修吾を見ながら深雪は肩を震わす。深雪の予想通り美里は京都旅行の真っ最中で、雪絵からの知らせを受けてしぶしぶ帰ってくるらしい。修吾が病院に担ぎ込まれてから半日が過ぎ、やっと病室に現れた美里に深雪の心中は穏やかではない。
「ごめんね深雪ちゃん。なんか大変なことになっちゃって。あ、これ京都のお土産~」
 開口一番の軽い態度に深雪の勘忍袋の緒は切れ、差し出されたお土産を叩き落とす。
「貴女にしゅう君の母親を名乗る資格はない!」
 初めて見る深雪の態度に美里は一瞬びっくりするが、溜め息をついてゆっくり口を開く。
「ふん、何も知らない小娘のくせに。だったらこの子、アンタにあげるから母親にでもなれば?」
 思いもよらない美里のセリフに深雪は顔が赤くなる。
「最低……」
「最低だろうとなんだろうとこの子はアタシの子なんだ。アタシの好きにさせてもらう。用は済んでるんだから早く帰れば? お節介な深雪ちゃん」
 美里の挑発的なセリフに一瞬殴り掛かろうとするが、横で静かに眠る修吾を見て黙って走り去る。深雪の頬には悔しさと怒りで涙がとめどなく流れていた。
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