初恋
第四十二話 相談(深雪編)

 一方的にしばらく距離を置くメールをすると、翌日真相を確かめるべく母方の実家を訪ねる。母方の実家は名古屋で遠くはあるが関係ない。会社に仮病を使ってまでも真相を知る必要があった。
 修吾との人生を歩むために生き、その修吾にもそのような道を歩ませた責任が自分自身にはあると考えている。久しぶりに来る祖父の実家を前にして、深雪は決意を込めてチャイムを鳴らした――――


――夕方、辻堂駅に降りると陽はすっかり落ち辺りを暗く包んでいる。まるで自分の心模様を表しているように感じ、自虐的に笑ってしまう。
 昨夜雪絵から聞いた内容に間違いはなく、祖父からも説明を受け謝られたが全く感慨がない。昨夜泣き過ぎたせいか涙も出ない。描いていた未来が瓦解し、今までの幸せが急激に色褪せて行くのが分かる。
(私、今までなんのために生きてきたんだろ。修吾君のいない未来なんて生きてて意味あるの?)
 踏み切りを前にして、いけない考えが頭をよぎり苦笑する。
(自殺なんかしたらそれこそ修吾君を苦しめてしまう。かと言って結婚出来ないなんて言ったら、修吾君が壊れてしまうかもしれない。人生の全てを懸け私だけを追ってきた修吾君が、その目標を失ったときどうなってしまうだろうか。私が今考えるべきは修吾君の幸せ。どうやったら幸せに出来るのか。今の私に出来ることって一体……)
 考えが全くまとまらないままマンションのエントランスに入った刹那、目の前に息を切らせた修吾が現れる。
「深雪さん!」
「しゅ、修吾君?」
(しまった、会いに来る可能性を考えてなかった)
「ごめん、どうしても気になって待ってた」
(顔を見たらダメ。絶対泣いてしまう。早くエレベーターに……)
 足早に修吾の横を通り過ぎるが、当然のごとく呼び止められる。
「待ってくれ深雪さん」
(今は話し掛けないで)
「しばらく会いたくない」
 それだけ言うとエレベーターのボタンを押す。
(早く、早く来て! 涙を我慢出来ない)
 当然ながら納得出来ない修吾は深雪に詰め寄る。
「深雪さん」
(仕方ない、きっちり言おう)
 振り返ると修吾の目を見てはっきり言う。
「帰って、今すぐ帰って。二度とここには来ないで」
 エレベーターが到着すると深雪はさっさと乗り込む。
(早く閉めなきゃ……)
 閉めるボタンを何度も押すが、修吾がドアをこじ開けて詰め寄ってくる。
「一つだけ、一つだけでいい。聞かせてほしい」
(修吾君、聞かないと絶対引き下がりそうにない……)
「病気とか怪我とか事故とか、深雪さんの命や身体に関わることで避けてる?」
(こんな仕打ちをしている、私の心配をするなんて……)
「いいえ、私は至って健康よ」
「良かった。深雪さんが無事ならそれが一番だ。昨日からずっと考えてたんだけど、俺バカだから避けられる理由が全く分からなかった。でも思ったんだ、俺は嫌われたって構わない。深雪さんが健康で幸せならそれが一番良いことなんだって。好きな人には幸せになってもらいたいから……」
(そんな嬉しいこと言わないで。そんな優しい言葉を掛けないで。涙を我慢出来なくなっちゃうよ……)
 修吾の言葉を聞いて深雪は目を閉じて涙を堪える。
「ごめん、俺、迷惑だよね。言われた通り帰る。身体にだけは気をつけて、じゃあおやすみ」
 ドアから手を放すとスーッと閉まる。エレベーターが上昇し、修吾の姿が見えなくなると同時に、深雪は床にしゃがみ込み大粒の涙を流す。
(ごめんなさい、修吾君。本当は会いたいよ、ちゃんと会って好きって言いたい。ダメな私を優しく抱きしめてほしい。修吾君、修吾君……)
 鳴咽に近い声を出し、深雪は涙に伏していた――――


――翌朝、修吾からの着信がない代わりに、直美からの着信が大量に溜まっており、何を話したいのかが容易に想像つく。
(今は誰とも関わりたくない……)
 寝不足と精神的な疲労で頭痛がする中、直美からの着信履歴を消す。洗面と化粧を済ますと、雪絵とは顔を合わさず通勤する。あの告白を受けた日から、一言の言葉すら交わしていない。口を開けば感情に任せ、雪絵に対して酷いことを言いそうなので自制していた。
 会社に到着するとロッカーで制服に着替え自分のデスクに着席する。同時に、同僚で同期の優子が話し掛けてくる。おっとりとした深雪とは正反対で、礼儀よりもノリや雰囲気で場を乗り切り、男勝りな性格をしている。
「おはよ、風邪大丈夫?」
「仮病だから大丈夫」
 予想外の応えに優子は驚く。深雪の性格からして仮病を使うことはもちろん、仮に仮病であっても上手く取り繕うくらいの器用さがあるのを承知しているからだ。
「ちょっと、どうした? らしくないよ深雪?」
「大丈夫」
 無表情で返答する深雪を見て、ただ事じゃないと察する。優子は一日を通して深雪を注意深く観察するが、案の定ありえないようなミスを連発し、幾度なくフォローするハメになった。
 終業しロッカーで着替える深雪を見つけると、優子は背後から抱きしめ乳房もわしづかみにする。
「深雪ちゃ~ん、いい乳してるね~、私にも分けてよ」
 ニヤニヤしながら大きな胸を揉むも、無表情で優子を見つめるだけで何も言わない。事態を重く見た優子は抱きしめたまま語る。
「今日さ、深雪ちゃんミス連発で、誰かさんに大変ご迷惑を掛けたと思わない?」
 その言葉に深雪は仕方ないと言った感じで口を開く。
「今日はありがとう。助かったわ」
「お礼は晩御飯の奢りね。反論ある?」
「胸を揉まれたから、その揉ませ代でチャラ」
「じゃあ、胸を揉んで胸を大きくしてあげた代で奢って」
 平気で言ってのける笑顔の優子を見て、何を言っても切り返してくるだろうと深雪は諦めた。最寄り駅の居酒屋に二人で入ると、優子は何故か生三つと発言する。
「私、お酒飲まないけど?」
「大丈夫、三つとも私用」
「奢りとはいえ容赦ないわね」
「奢りだから容赦ないの」
 宣言通り、砂肝やら枝豆といった付け合わせをどんどん注文し、テーブルの上が彩り鮮やかになる。
「ホント容赦ないから逆に清々しい」
 批難の眼差しを送ってみるが優子は枝豆を押し出しながら笑顔で流す。
「んで、深雪。悩み事は何よ? 言ってごらん」
(悩みを聞くために誘い出してくれたのは予想通りで、有り難いとは思う。けど……)
 黙り込む様子を見て優子はテーブル越しに右手を伸ばし、深雪の左頬をつねる。
「ちょっ、痛い痛い! 離して!」
「話してくれるなら離してあげる」
「分かった、話すから!」
「宜しい」
 腕を引っ込めると優子は姿勢を正して深雪に向き合う。
「ホント、強引なんだから……」
「まどろっこしいの苦手なんで。はい、どうぞ言ってみて」
 強引ながらも優しさを感じるその振る舞いに、深雪は感謝する。
「長い話になるけど、いい?」
「その為の生三つだから大丈夫」
 苦笑すると深雪は中学生の頃に起こった出来事から話し始めた――――


――三十分後、具体名は避けながら昨日までの経緯を説明すると、優子は最後になったジョッキを傾け飲み干す。
「なるほど、そりゃ大変だわ」
 少し考えるようにテーブルを指でトントンしている。深雪は静かに意見を待つ。
「一つだけ確定的なこと言っていい?」
「うん」
「その少年、仮にA君としようか。A君を傷つけずに事を収めるなんて不可能。どんなふうに別れてあげるか、それを考えるのね。ま、どんなふうに別れてもA君はショックだろうけど、こればっかりは避けられない。ホントにA君の未来を真剣に想うなら早く別れるべき。別れないという選択肢がない状況だからね」
 深雪自身分かっていたものの、はっきり別れる選択を示されると心が痛む。
「どうやって別れればいい?」
「自己保身系、自己悪者系、自然消滅系、どれがお望み?」
(自然消滅はない。修吾君はずっと想い続ける。ならやっぱり……)
「自己悪者系」
「うん、ベストチョイス。流石頼れるお姉さん。どれだけ悪者になれるかで相手のダメージを軽減出来るか決まるわ」
「つまり、こんな女とは思わなかったって幻滅させるわけね」
「そ、嫌いになって別れた方が彼も次の恋に行きやすいからね。ま、深雪のダメージがその分上乗せだけど」
「私はどうなってもいい。修吾君が最終的に幸せになれるなら……」
「修吾君って言うんだ」
(しまった!)
 案の定、優子はニヤニヤしている。
「ま、ノロケ話はムカつくけど、今日みたいな別れ話は大好きだし、悪者になるって言うなら盛大に悪者になれる計画考えてあげる。実は社内でちょっと面白い件を掴んでるし」
 ニヤニヤしっぱなしの優子を見て、相談する相手を少し間違えてしまったのかもと深雪は後悔していた。

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