初恋
第四十六話 再会(深雪編)

 二月、真司はそわそわしながら応接間を行ったり来たりしていた。
「落ち着いたら?」
 反対に深雪は落ち着いており、のんびりとした様子でお茶に口をつける。
「今日いきなり彼氏を連れて来るなんて話を聞いて落ち着つけるか! しかも十五歳も年上とは、まったく……」
 そわそわする真司を見て深雪はほくそ笑む。そこへ来客を報せるチャイムが鳴り、真司はビクッとしてしまう。
「出迎えてくるわね」
 冷静に告げると深雪は玄関に向かう。
(どんな素敵な方なのかしら。すっごく楽しみだわ!)
 沙織が世界一とのたまう男性がどんな人物なのか、期待しながら扉を開く。
「いらっしゃい、待ちわびてたわ、よ……」
 期待を込めた眼差しで扉を開け、正面に立つ男性の顔を確認する。その玄関先に立っている男性はまごうことなき修吾だ。
(修吾君!? なんで? まさか……!)
 深雪を見る修吾の顔も驚きを隠せないでいる。
「どうかしたの?」
 沙織の声で深雪は我に反る。隣に並んでいる状況から考えて、修吾が沙織の相手だということは想像に難くない。
「あ、ごめんなさい。さっ、どうぞお上がりになって」
「失礼致します」
 深雪は動揺を隠しつつ二人を中に誘うが、内心は心臓が飛び出んばかりに動揺している。応接間に通すと腕組みをした真司の姿が目に入る。緊張しているのか顔が強張っている。ソファーに座ると修吾が挨拶を交わす。
「はじめまして、沙織さんとお付き合いさせて戴いております、加藤修吾と申します。この度は突然おしかける形となり失礼致しました。至らぬ者ですが宜しくお願い致します」
「う、うむ……」
 真司はただ頷くことしかできない。深雪も心拍数が急上昇しており、変な汗が出てくる。
(沙織の恋人が修吾君だなんて、なんという巡り会わせ。それとも何か意図があって沙織に近づいた? いや、初恋の相手をずっと想って沙織を拒んでいたって言ってたしそれはないか。でも、それって最近まで二十年以上も私のことをずっと……)
 深雪はドキドキしながら動揺隠すかのようにお茶を飲む。
「で、加藤君。沙織とは本気なのか?」
 不意に問い掛けられる真司の言葉に深雪も修吾を見る。
「も、もちろんです」
「しかし、十五歳の年の差はいただけない。沙織はまだ社会に出たばかりの子供だ。私としては、年の近い方と付き合ってほしいと思ってる。悪い言い方だが、何も知らない沙織をたぶらかしたのではとすら勘ぐってしまうよ」
(確かに。でも修吾君は他人を陥れるような人ではない。もちろん沙織を利用して私に近づこうとも思っていない。さっき玄関で見せた驚きの表情からしても、それは間違いない)
 深雪は冷静にこの状況を把握する。
(問題は二人の付き合いを許すかどうか。自分の娘とはいえ、一度は恋焦がれた相手を目の前で取られるなんて……)
 深雪は胸のドキドキ感から、次第に締め付けられる痛みに変わっていくのを感じる。
「ちょっとお父さん、失礼じゃない。恋愛に年の差なんて関係ないよ。ねぇ、お母さん」
 突然話を振られて深雪は一瞬戸惑う。
(考える時間がほしい。とりあえず今は真司さんの話に乗っておこう……)
「ごめんなさい沙織。お父さんの言う通り、私もこの年の差は頂けないわ」
「ちょっと、お母さん話が違う……」
「こうやって実際に会うまでは、沙織を応援しようと思ってたけど、現実を考えるとやっぱり難しいわね」
「何よそれ。言っとくけど私、絶対別れないよ。結婚だって考えてるんだから」
 結婚という言葉に深雪の心は再びうずく。思い出すのは二十年前、修吾を前にして結婚の話を切り出したときの情景だ。
(なんてことなの。私が修吾君にした振る舞いが、今ここで沙織からされようとしている。恋焦がれた相手が他の人と結婚する。こんなにも心苦しく辛いものだったなんて……)
 深雪はうつむいたまま黙り込む。その間も真司と沙織の言い争いが続いているが、深雪の耳には内容が入ってこない。
「沙織、おまえは男性との付き合いがないから熱くなってるだけだ。冷静になれ」
「頭きた! 人をバカにするのも程があるよ。言っておきますけど……」
「沙織」
 修吾の言葉に沙織は止まる。深雪も修吾を見る。
「な、なに?」
「今日はおいとまするよ。君はもう少しご両親と話し合った方がいい。今回は少し事を急ぎすぎてる。ちゃんと自分の気持ちを理解してもらった上で、またご挨拶に伺うことにしよう」
 沙織ただ素直に頷くしかなく、深雪も考える時間が取れると思い内心ホッとする。
「沙織さんのお父さんにお母さん、突然の訪問失礼致しました。今日はこれでおいとまさせて頂きます。またお呼び頂ける機会がございましたら幸いです。それでは」
 二人に一礼すると修吾は足早に部屋を後にする。沙織はその後を慌てて追う。真司も深雪も何も言えずに黙っている。そこへ走って沙織が戻ってくる。
「ちょっとお父さんヒドイじゃない! 修吾さん何も悪くないのに!」
 沙織のセリフに真司も対抗する。
「いい悪いの問題じゃない! 年齢差という現実を考えろということだ!」
「年齢年齢って言うけど、一番大事なのは人柄でしょ? お父さんの言ってることはただの偏見だよ!」
 二人の言い争いをよそに深雪はこっそりキッチンに引きこもる。いつの間にか言われのない涙がとめどもなく溢れ、深雪の頬を濡らしていた――――


――夕方、茶碗を持ったまま溜め息をつく元気のない深雪に、真司は申し訳なさそうに話し掛ける。
「すまん。俺が言い過ぎたせいだ。まさか家出するとは思わなかった……」
 真司の言葉に深雪は我に返る。
「仕方ないわよ。突然だったし話が急すぎた。沙織だけじゃなく私たちもゆっくり考える時間が必要だと思う。お互い少し離れて冷静に考えるのも悪くないでしょ」
 深雪のフォローに真司は素直に頷く。
「それに、相手の加藤さん誠実そうだし、沙織を任せて問題ないと思うわ。後は私たちが許すか許さないか、それだけだと思う」
 深雪は止まっていた箸を再び動かし味噌汁に手をつけるが真司はまだ深く考えている。
「深雪はどうなんだ? 賛成か、反対か」
「私は……」
(沙織の幸せを考えれば反対する余地など全く無い。だけど……)
 修吾の姿を思い浮かべ再び胸が苦しくなる。考えあぐねているところに玄関の開く音がする。
「沙織かしら?」
 真司は走って玄関に向かう。そこには予想通り沙織が立っている。
「沙織、おまえ……」
「修吾さんのところ追い出された」
「なんだって?」
 驚く真司を差し置いて深雪が話し掛ける。
「どういうこと?」
「このまま君を泊めたら、俺は一生君のご両親に信頼されない。喧嘩して出て来たのなら尚更だ。君のご両親がどれだけ君を大切にしているかよく分かる。帰りな……、だってさ。どれだけ硬派だよって話」
 沙織はやれやれみたいなポーズでおどけて見せる。
(修吾君らしいわね……)
 深雪は修吾の優しさに心が温かくなる。
「沙織」
「ん?」
「少なくとも、おまえの男を見る目は間違っていないのかもしれない。でも、結婚はまだまだ早いし許す気もない。加藤君にもそう伝えておけ」
 バツが悪そうに真司は食卓に戻る。深雪と沙織は顔を見合わせて含み笑いを交わしていた。


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