初恋
第五十一話 決別(深雪編)

 手術を終え無事退院した深雪は、一昨日の電話を思い出して不安な気持ちになっていた。入院中ずっと避けていた修吾が、退院したとは言え直接自宅に来れるとは思えない。離婚して帰って来た沙織からも、修吾は今後二度と結城家には関わらない、話題にも取り上げないと明言した。
 沙織の言葉通りならば、退院祝いなぞ持ってくることはなく、それどころか一生会えないということにもなる。そわそわした気持ちで昨晩は一睡も出来ていない。眠気を感じつつ朝刊を取りに玄関に向かうと、ドアの横に綺麗な花束が立て掛けてある。
(この花は、修吾君!)
 慌てて道路に出てみるも当然のごとく姿はない。
(せめて一目でも会いたかった。会ってお礼を言いたかった……)
 いたたまれない気持ちのまま深雪は自宅に入った――――


――翌日、修吾の住んでいたマンションに行ったことを沙織にとがめられ、二度と修吾の話はしない会わないと誓い、深雪はその想いを忘れぬため日記に書き綴る。
(沙織の言う通り、私が修吾君の人生に関わって良いことなんて何もない。本当に幸せを願うなら、二度と会ってはならない。でも、孤独な生き方をしてとしたら、悲しみにくれているとしたら、いたたまれない。けれど、私にできることはなにもない……)
 複雑な想いを抱きながら、深雪は筆を進める。この日記帳は結婚後から付けており家族も周知だが、当然ながら中を見たりする者はいない。
 修吾への想いを綴った遺書は約束通り真司の目に触れることなく燃やされたが、沙織の離婚に際して深雪と修吾の関係が少なからず影響したことは告知された。
 真司もショックを受けていたが、事情を説明することで納得していた。深雪自身、離婚される覚悟での告知だったが、病み上がりを気遣われたのか責められこともなく、それが逆に辛くもあった――――


――二週間後、待ち合わせのカフェでレモンティーを飲んでいると、三十分遅れで優子がやってくる。
「ごめん、寝坊した!」
「ここ、優子の奢りね」
「久しぶりに会って開口一番がそのセリフか。ま、いいけどね~」
「社長夫人だもんね?」
「まあね」
 注目したコーヒーとチーズケーキが届くと、一口飲んで優子は切り出す。
「んで、話って何よ?」
「愚痴、聞いてもらいたいんだけど」
「じゃあ、ここ深雪の奢りね」
「はいはい」
 深雪は溜め息を吐いて話を始める。沙織の結婚式に出席して貰って以来なので、話も積もりに積もっていた。そして、花束を残し修吾が消えたところで話を閉める。
「花束を置いて黙って消えた、か。映画みたいじゃん」
「された私は気が気でないけどね」
「でもさ、沙織ちゃんの結婚式でも言ったでしょ? あの修吾君を婿にしたら絶対ヤバイって。深雪が大丈夫でも修吾君が我慢出来ないって思ったもの」
「どちらかと言うと私が我慢出来ず、手紙書いたのがきっかけなんだけどね」
「それは仕方ない面もある。死に直面して遺言のつもりで書いたんだろうしさ。だけど、それを修吾君に見られたのが大きい。まあ、結城家が崩壊しなかっただけ御の字よ」
「私が家族から愛想尽かされてるだけかもしれないけど……」
 深雪は自虐的に笑う。その横顔を見て優子は溜め息を吐く。
「で、修吾君を探して追い掛けちゃおうとか考えてる?」
「まさか。もう関わらないって決めたし沙織とも約束した。私は二度と家族を裏切れない」
「あっそ、それはそれでつまらないわね」
「相変わらず他人の不幸話好きね。優子らしいちゃらしいけど」
「どう致しまして」
 優子は悠然とコーヒーに口をつける。
「それにしても凄い話よね。デキ婚で振られた相手を二十年以上も想っていたなんて、当時この作戦を考えた私もびっくり」
「同感」
「これは深雪にも言ってるんだけど?」
 優子の批難の眼差しに言葉もない。
「私、今日この話聞いて、二十年前に別れのアドバイスしたこと、ちょっと後悔してるわ」
「どうして?」
「こんなに長い間想い合う人っていないと思う。十年以上片思いとかはわりと聞く話だけどさ、アンタ達って三十年近く両想いだよ? 別れるような選択を勧めるんじゃなかった」
 優子は珍しく落ち込む様子を見せる。
「でも優子も知っての通り、私と修吾君は近い親戚。結婚出来ない運命だった。別れて正解よ」
「バカだね、アンタ」
 真顔で即答され、深雪も少しカチンとくる。
「どこがどうバカなの?」
「結婚出来なくても、手を取り合って傍にいることって出来たんじゃないの?」
 優子からの思いがけない言葉に、深雪はドキッとする。
「結婚結婚って言うけど、それってあくまで書式による契約じゃない? それと愛は別物でしょ。そりゃ、現実問題生きて行くには不都合は多いし、親類や周りから批難されるような間柄にはなっちゃうけどさ、一緒に傍にいることは出来たんじゃないかな?」
(確かにそうだ。優子の言う通りだ。私は結婚にこだわり過ぎて、一番大切なモノを置き去りにしてしまった……)
 青ざめる深雪を見て、優子もいたたまれない気持ちになる。
「恨まれるかもしれないけど、この際だからずっと言えずに隠してたことも言うよ。実はさ、深雪と修吾君の子供を法的に認知させることも、出来ないこともなかったんだ」
「えっ! どういうこと!?」
 深雪は血相を変えて優子に詰め寄る。
「伯父と姪は三親等だからギリ結婚出来ない。でも姪の娘である沙織ちゃんは四親等だから修吾君と結婚できる。これは知っての通りでしょ?」
「ええ」
「で、仮の話、深雪が修吾君の子供を妊娠したとするよね。この場合、深雪は未婚の母となって子供は深雪の戸籍に入る。前述の通り修吾君とは籍入れられないからね」
 深雪は真剣に耳を傾ける。
「でも、生まれた子供の認知ってニ親等は無理でも、三親等なら法的にも認められるのよ。だから修吾君が認知すると、法律上は非嫡出子となるけど、実父として戸籍に登録される。つまり、結婚しなくても二人の子供は持てたの」
 優子の説明に深雪はショックを受ける。
「このことを知ったのって深雪が結婚した後だったから言えなかった。言ったとしても結婚出来ないし、仮に同棲や内縁で事実婚の暮らしして子供を持てたとしても、親類や世間からどれだけ冷たい目で見られるか想像つくでしょ? だから言えなかった。結城さんなら深雪を幸せにしてくれるって思ったし」
 優子からの衝撃的な告白に、深雪は何も言えずに震えている。
「ホント、ごめん深雪。私がもっと早く気付けていたら、違う道を示すことも出来たのに。安易に別れの選択しか示さなかった私にも、こうなった責任がある」
 あまりのショックからか、深雪の目からは涙が溢れ、テーブルの上にポタポタと落ちている。
「深雪……」
 テーブルを見つめたまま涙を流す深雪に、優子は言葉を繋ぐことができない。
(別れるしかないって思ってた。修吾君とは結婚も出来ないし、子供も持てない。一緒になれない運命なんだって。でも違った。私が勝手にそう思い込んで、ちゃんと調べもせず向き合わなかったんだ。私、取り返しのつかない選択を……)
 俯いたまま全く動かない深雪を、優子はただ見守ることしか出来ない。五分程の長い沈黙を破り、深雪は溜め息を一つ吐いてから口を開く。
「言ってくれてありがとう。ある意味、自分の中にあった納得いかない運命みたいなものが無くなった気がする。運命なんかに頼らず、振り回されず、自分自身で未来を切り開いていかなきゃダメだった。私がもっとしっかりしてたら良かった。それだけの話」
「で、心機一転、今から修吾君を追うの?」
「だから追わないってば」
「なんでよ。一緒に居ることは今からでも出来るのに」
「沙織と約束したから。私には大事な家族が居るから……」
 笑顔で語る深雪は、どこか吹っ切れたように見える。
「つまらんな~、昼ドラ展開で、結城家の崩壊を期待してたのに」
「悪魔かアンタは」
「ハッピーエンドがちょっぴり嫌いなだけと言ってもらいたいわ」
「それ、言い方変えただけで根底が変わってないから」
 久しぶりに見る優子のニヤニヤ顔に、深雪は苦笑する。泣いたことによる化粧崩れを直しに行き、再び席に帰って来ると優子の姿は無く、しばらくすると携帯電話にメールが入る。
『すまん。急用が入った。また時間あるときゆっくり話そう。今日くらいは奢ってやる』
「奢ってやる、か。現役時代に聞きたかったよ。そのセリフ」
 悩み事を相談する度に居酒屋で奢らされていた過去を思い出し笑う。
(なんだかんだ言っても優子って、ちゃんと気遣い出来るんだよね……)
 カフェを出ると、懐かしいモニュメントに目をやる。そこは昔と変わらず、恋人達の待ち合わせ場所として使われており、カップル達の笑顔が咲き乱れている。目を閉じると深雪の脳裏には、修吾とのデートシーンが再現され、当時の気持ちも懐古された。
(最初のデートも最後のデートも待ち合わせは、ここだった。本当にいろいろあった日々だった。笑って泣いて照れて、ときには怒って。そんなあの日の出来事があって、今の私がある。過ぎ去った時計の針は戻せないけど、もう後悔はしたくない。さようなら、修吾君。私は今ここにある幸せを守って行きます)
 ゆっくり目を開けると、モニュメントに別れを告げるように踵を返す。和気あいあいとする恋人達の声を後にしながら。
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