初恋
第五十二話 事故
トンネル工事における岩盤の採掘には、大型の機械を使用する機械掘削方式か、等間隔でダイナマイトを設置することで細かく亀裂破壊をする発破掘削方式が基本だ。今採掘中のトンネル工事は予算の関係上、安価な後者の方法が取られていた。
最初はてこずったこの作業も、十年ともなるとベテランの粋に達する。元々体力には自信のあった修吾は、前の職場から離れ今は遠く三重の山奥で採掘作業を主に働いていた。
「そういえば、修吾先輩、坂崎主任の出産祝い決まりましたか?」
啓介は弁当を食べながら聞いてくる。隣の竜也も気になっているようで、坑内で設置している換気ファンの修理をしながら修吾を見る。
「今回は皆で出し合うという形だから、チャイルドシートなんかが良いと思うんだがな」
修吾の提案に啓介は相槌を打つ。
「いいっすね。俺なんかが考えたら全部オムツになってましたよ。竜に至ってはバスケットボールとか言ってましたからね」
批難された竜也は反論する。
「スラムダンクの沢北は、生まれたときからバスケットボールに触ってたから日本一のプレイヤーになったんだぜ?」
その反論が的外れ過ぎて修吾は苦笑する。
「どあほうが」
啓介は流川のマネをしながら突っ込む。後輩二人のコントを見ながら修吾はペットボトルのお茶に口をつける。
(そういや、もう何十年もまともなお茶飲んでないな……)
沙織と結婚していたときは美味しいお茶を普通に感じていたが、こうやってヤモメになると当時のお茶がどれだけ素晴らしいものだったのか身に染みる。
山奥に居住していることもあり、出会いなども当然無く、若者は車で大阪や奈良までナンパに行くのがお約束になっている。啓介や竜也には何度か誘われたが、修吾は全て断っていた。
(深雪さんや沙織をあんなふうに傷つけた俺が、新しく恋人を作るなんてありえない。何より幸せになる資格なんてない人間だ)
住み慣れた埼玉を離れてから、修吾はとにかく身体を動かしモヤモヤを紛らわした。その一方、身体を酷使することで早く人生を終わらせたいという思いもある。深雪を失い、直美を振り、沙織を捨てた自分に生きる資格すらないと考えていたのだ。
かと言って、自殺をするのも躊躇われる。怖くはないが、自殺の報せが深雪や沙織に知れたら、心の傷にさらに追い討ちを掛けることになる。ベストは過労死、次いで事故死。その可能性両方を満たせるのではないかと考え今の現場で働いていた。
しかしこの十年、修吾の思うようなことが起きる気配はない。むしろ働き者として頼られ、今や現場の中心人物になっている。違う意味で人生は上手くいかないものだと修吾は辟易していた。
お茶を片手に考え込んでいると主任の坂崎が昼食を終えてやってくる。先週第一子が誕生し、仕事に対してやる気満々だ――――
――夕方、定刻通りに啓介と竜也を帰し、修吾と坂崎が残って坑内作業を続ける。坂崎は一日でも早く工期を終え、会社に実力を認めて貰おうと必死になっている。
(子供が出来るとだいたい皆こうなるよな……)
埼玉にいた当時から同じような光景を見てきた修吾はその姿に危惧する。張り切って普段と違うことをしているときこそ危険なのだ。坂崎には帰るようにいわれていたが、ヤモメで帰ってもつまらないと嘘をつき坂崎の手伝いをする。
主任とは言われているが、修吾よりも年下で、現場経験も実際のところは少ない。経験豊富な修吾にとって坂崎はまだ危うい存在に映っていた。
「主任、そろそろあがりませんか? 八時回ってますよ」
修吾の提案に坂崎は首を横に振り、明日起爆予定のダイナマイトの導線繋ぎ作業をもくもくこなしている。
(危険な作業ではないが、こういう危険じゃないと思うときに落とし穴ってあるんだよな。って生き急いでいる俺がなんで一番慎重なんだよ……)
ヘルメットの後頭部を叩いて、修吾は最寄りの休憩室に向かう。休憩室とは言ってもコンテナを改造しただけの簡素なもので、本当に座って休憩程度しか出来ない。室内の半分は計器類の操作盤等で埋まっている。
(人様より機械様が大事ってことを表しているな)
冷蔵庫からお茶を取り出しながら、現場のていたらくを再確認する。この現場で事故が発生したことはないが、同社系列で数年前トンネル事故が発生している。その時の危機管理がこの現場に活かされているかと問われると疑問だ。
ふと計器の一つを見ると、いつも着いているランプが消えていることに気がつく。
「これって……、可燃ガス濃度測定機と換気ファンのスイッチ。しまった! いつも通り啓介たちが切って帰ったんだ! マズイ!」
スイッチを入れると案の定、ガス濃度が爆発限界点近くまで上がっている。火気がなく爆発の可能性がなくても、可燃性ガスの濃度が高くなるだけで、人体にとってはかなり有毒となる。防毒マスクを装着し急いで現場まで戻ると、坂崎が壁に寄り掛かる形で倒れている。
(生きててくれよ!)
駆け寄り身体を揺らすが応答がない。壁についている非常ベルのスイッチを押すと、坂崎を背負って坑内からの脱出を計る。出口までは三百メートル程で、人を背負っているとは言え修吾の脚力ならば造作のない距離となる。
走って休憩室の辺りにくるとコンテナの真上にある換気ファンが、いびつな回転をしているのが目に映る。
(確か竜が昼間直して取り付けてた……)
修吾が考える間もなく、そのファンが回転しながら外れ、金属のコンテナに当たる。そして、金属と金属の摩擦で火花が散る。そのコンマ何秒の光景が、修吾にはスローモーションに見え、やっと人生の終着地点を迎えられるのだと悟り、ゆっくり目を閉じた。