初恋
第六十一話 旅立ち(沙織編)

 翌朝、目を覚ますと隣には上半身裸の修吾がすやすやと寝息を立てている。時計を見ると午前五時半を指しており、朝の検温まで一時間を切っている。
(久しぶりに抱かれて気付いたけど、私やっぱり修吾が好きなんだ。最初はお母さんの代わりにって思って抱かれたけど、私自身満たされてるし正直嬉しかった。これじゃどっちが恩返ししてるのか分からない。それより、薫さんが来る前に身支度しとかないと……)
 いそいそと下着を着けると備え付けの洗面所に向かう。鏡に写る自分自身を見て改めて決意を確認する。
(私は深雪、私は深雪。修吾を支えるためだけに存在する深雪)
 念仏を唱えるかのごとく心の中で繰り返すと、身支度を始める。しばらくすると洗面所の外からスリッパを履いて歩く音が聞こえてくる。
「おはよう、深雪」
 修吾は昨日と同様の笑顔を見せるが、沙織は罪悪感からか胸が疼く。
「おはよう、修吾。ちょっと待ってて直ぐ身支度済ますから」
「分かった」
 返事をすると修吾は洗面所を素直に去って行く。
「お待たせ、洗面所空いたよ」
 見るとベッドの端に座り足をブラブラしている。
「どうかしたの?」
「俺、決めたよ」
「何を?」
「東京には行かない。ここで最期を迎える」
「修吾? どうして?」
「東京に行って一緒に暮らしても深雪に負担をかけさすだけだし、目の見えないことでいつも心配を掛けさせてしまう。でもここなら看護婦もたくさんいるし、もしものときだって対応してくれる。俺はここにいるのが一番なんだよ」
「私と一緒に暮らす夢はいいの?」
「それは正直捨て難い。けど深雪に迷惑掛けさせてまで一緒に暮らすのは躊躇われる」
「一分でも一秒でも一緒に居たくないの?」
「居たい」
「じゃあ私と一緒に東京に来て」
「それは……、できない」
「頑固ね。じゃあ私にどうしてほしい? 毎日病室に泊まろうか?」
「それもちょっとヤバイよ。じゃあさ、こういうのはどうかな? 深雪には病院の近くに引越して貰って、毎日会いに来てもらう。これが最善だと思うんだけど?」
「まさか引越しを強要をされるとは思わなかったわ。ねぇ修吾、引越しするのはいいとして、お見舞いの後、毎日誰もいない家に帰らなければならない私の気持ちは考えてくれてる?」
「あ、ごめん……」
「私、迷惑だなんて思わないよ。一緒に暮らそ、修吾」
「でも……」
「体調や目の見えない不安があるのなら、この病院に一番近い借家を借りればいいだけ。なら安心でしょ?」
「確かに」
「じゃあ決まり。今日は東京に帰るけど、明日朝一で帰ってくるから一緒に家探そ」
「了解。深雪は相変わらずテキパキして決断力あるな」
「当然。昨日約束したでしょ? 修吾には私の元で苦しんで悩んで、幸せにする義務があるんだから。そうでしょ?」
「そうです、はい」
「宜しい。じゃあ目覚めの洗顔してきて」
「はい」
 素直に従う修吾に沙織は含み笑いをする。
「そうだ、深雪に聞いておきたいことがあるんだけど」
「なに?」
「俺たちのこと沙織に話す? それとも話さない? 引越して一緒に住むとなると、沙織にもいつか知られることになると思うけど」
「そう、だね……、私は話さない方がいいと思うけど」
「う~ん、俺は話さずばれた方が沙織は傷つくと思うんだ。話しても話さなくても傷つくんだろうけど、沙織には昔酷いことしたから、ここにきて隠し事するようなマネはしたくないんだ。既に深雪とこんな関係になっといてなんだけど」
「そうね。じゃあ修吾の言うように、東京に帰ったら沙織にちゃんと伝えるわ」
「うん、宜しく。後もう一ついいかな?」
「なぁに?」
「今の話に付随するんだけど、俺と一緒になるってこと、沙織に引け目を感じない?」
「それは……」
 どう返していいか困り沙織は黙ってしまう。
「今の沙織に新しい家庭があって、幸せだって言っても、俺のせいで沙織を傷つけたことは紛れも無い事実だ。さっきも言ったけど、そんな俺が深雪と一緒になるって聞いたら、沙織は凄く傷つくと思う。母親として悪いと思わない?」
(修吾、私を気遣かってくれてるの?)
 内心嬉しくも沙織はきっぱり否定する。
「沙織も今の修吾の状態を知れば、分かってくれると思う。あの子も修吾を愛していたんだから、幸せになろうとしている私たちを止めないはずよ」
「ならいいんだけど。俺と別れた後、沙織落ち込んでなかった?」
「うん、元気だった。心の中までは分からないけど、表向きは元気だったわ」
(ホントはね、いつも泣いてたんだ。あなたを想って……)
「そうか、沙織は昔からきっぱりしてたし、後引かないタイプだもんな」
「修吾、さっきから沙織の話ばかりね。妬いちゃうわよ?」
「あ、ごめん! 愛してるよ深雪ちゃ~ん」
「全然心こもってないし。全く……」
 苦笑いしつつも自分を気遣かう修吾に嬉しさを感じていた――――

――翌日、有言実行で沙織は近隣の不動産物件をかき集め、その日のうちに二人での暮らしを始める。あまりの手際の良さに修吾は関心しきりと言った感じでいた。
 看護婦で婦長でもある薫には事前に連絡を入れ、二人暮らしの了承も取り付け、いざと言う時は主治医がすぐに駆けつけるということも織り込みつきだ。
 沙織にとっては二回目の結婚生活となるが、修吾の手前、新婚生活を実感させるように振舞う。しかしながら、そんな振る舞いを意識することなく、修吾との生活はラブラブで深雪を演じる演じないを度外視して、沙織にとっても充実したものとなった。
 そんな幸せな半年が過ぎ去り、修吾の葬儀を滞りなく済ますと家財道具をすべて処分し、夢のような日々を送った母屋を見つめる。最後に残した修吾からのメッセージが、明日を強く踏み出す勇気をくれる。これから待ち受ける未来に一抹の不安があるものの、沙織は力強く踵を返し修吾と愛し合った地を後にした。

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