【第二章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を

夢の住人

 キュリオとダルドが中庭をゆったりと歩いているころ、ダルドの腕の中でアオイは夢を見ていた。

 ――どこかで木の葉が会話しているような葉擦れの音が聞こえる。
 目を閉じていた赤子は頬を撫でる風のやさしさと木漏れ日に誘われて薄っすらと瞳を開いた。

「……」

 無意識に銀髪の青年の姿を探すも彼の気配は感じられない。
 その代わりに感じるのは大自然の息吹と……

『…………』

 金の髪に翡翠色の瞳をもつ神秘的な青年の眼差しだった。

『……また来たか……』

「……?」

 青年の口は動いていない。言葉を発するという表現よりも、頭のなかに直接響いてくるような穏やかで不思議な声だった。
 人の手が加わっていない剥き出しになった巨木の根に背を預けた金髪の青年は、柔らかな草の上で丸くなっている赤子の傍へと寄ろうともせず話を続ける。

『……悠久は夜か?』

「…………」

 アオイは自分が問いかけられているのはわかったが、言葉の意味がわからない。表情から読み取ろうにも金髪の青年に表情は無く、アオイは自分が理解できていないことを伝える手段も持ち合わせていないため瞬きを繰り返すのみの反応しかできない。 

『……まだ話せぬか……』

 そう呟いたきり目を閉じてしまった青年だが、その場を立ち去らないのは彼なりの優しさなのかもしれない。

「……」

 立ち上がることもできないアオイはその場から青年の顔をジッと見つめ、以前にも同じようなことがあったと、わずかな思考を巡らせると記憶の波紋が広がった。

"……そなた、名は?"

「……?」

(……わた、し……なにを聞かれていたの……?)

 自分が赤子であるという認識が欠けているアオイは「なぜ自分は言葉を理解することも発することも難しいのだろう?」という不思議と冷静で的確な疑問へたどり着いた。いつも語りかけてくれる銀髪の青年をはじめ、この青年もまた自分の言葉を待っている。

「……っ、ぅ……」

 なんとか言葉を紡ごうとする気持ちがアオイの背を押すが、如何せん幼すぎる。成長の段階を飛び越えることができないアオイは言葉として成立しない音を発するばかりに留まる。

『……焦らずとも月が廻ればいずれ……』

 目を閉じたままの青年の声が頭の中に響く。まるで目を開けてアオイの様子を見ていたかのような発言は、ますます"あの人の気遣いに応えなくては……"というアオイの心に火を灯す。

『……っごめんなさい、まだ……なにもわからなくて……』

『…………』

 今度は青年の頭の中に幼い声が流れた。
 ピクリと反応した彼が瞳を開くと――……

 そこに赤子の姿はなく、強い思いから意識を覚醒させて夢の中を退場したらしいことが伺えた。

 ――その夜を境に、アオイは目を見張る成長を遂げてゆく……かと思いきや、現実は普通の赤子と至って同じだった。

「あ、……アオイ姫、目が覚めた?」

「……」

「あぁ、おはようアオイ。
ダルドの腕の中で目が覚めるのは初めてだね。ダルド、ミルクもあげてみるかい?」

「うん、……いいの?」

 キュリオを見上げたダルドの瞳が輝いた。
 どうやら彼はアオイのことが相当気に入ったらしく、心の欲求を素直に……ありのままに表現することを、以前のように躊躇っている様子は見受けらず、そうさせたのは少なからずアオイの影響もあるのだろうな……とキュリオは考える。

(……無垢なアオイの前では皆、心を丸裸にされてしまう。私さえ例外ではないほどに……)

「もちろんだ。ミルクを用意するから少し移動してもいいかな?」

 キュリオは穏やかなトーンでふたりへ話しかける。
 するとダルドは頷いたが、突如暗転した世界にアオイの思考回路はショートした。

「……?」

 夢を理解していないアオイは金髪の青年が消えてしまったことに驚きながらも、しばらくすると見慣れた人物の登場を受け入れた彼女には赤子らしい柔和な表情が戻ってきた。

「きゃぁっ」

 笑い声に気づいたふたりの視線がこちらへ降りてくる。それはとてもあたたかく、赤子のアオイでも彼らの表情から気持ちを感じ取るのは容易だった。

「…………」

(……あのひとの……気持ちだけが……、わからない……)

 ウィスタリアの一件から再び赤子らしからぬ思考が目覚めたアオイは一体何者なのか?
 それすらも気づかぬアオイは、夜空に輝いて物言わぬ月を見上げながら金髪の青年の姿を脳裏に描いた。
 
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