【第二章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を
「…………」

(……胸が、いたい……)

 浮上する意識のなか、感じたことのない胸の痛みに瞼を薄く開いたアオイ。
 しかし、横たわった今この時に体に感じたのは、柔らかな寝具の感触と大きな安心感のある腕の重みだった。

(……ここは……) 

 視界を覆う闇は先ほどとは違う暗がりに自分はいるのだと理解したアオイは、体に馴染んだこの腕の持ち主の顔を探す。
 だがそれは、アオイが視線を上げるより早く視界に降りてきて――。

「眠れない?」

 暗がりのなかでも輝きを放っているかのように白く透けるような肌。そして端正な顔に穏やかで優しげな耳に心地よい声。
 見つめられて腕に抱かれれば、どんな苦しみも不安も取り除いて満たしてくれる光のような存在の父親だった。

「……んーん、……」

 キュリオは自分の長い髪を掻き上げながら、今夜は眠りが浅い愛しい娘を誘うように腕枕をしていた手で彼女の髪を優しく撫でる。
 
「……」

 規則正しく行き来するキュリオの指先が時折頬や顎まで降りてきて、そのたびにくすぐったそうに体を丸めるアオイが愛らしくて笑みがこぼれる。

「すこし夜風に当たるのもいいだろう。中庭へ出てみようか」

 眠ることを無理強いしないキュリオは、アオイが眠りにつくまで最適な時間を共に過ごしてくれる。
 特に色々なことがあった今日の様な日は、口に出さずともアオイの感情が高ぶっているであろうことは想定済みである。だからこそ彼女が自分にすべてを委ねられるよう、いつもと変わらぬ態度で接しながらも、心は大きく構えることをキュリオは強く意識していた。

 ぱっと瞳を輝かせて頷いたアオイは夜の庭園が大好きだった。
 日の光の下ではあまり目立たない水音や虫の声、そして人の気配のない庭園が創り出す独特な静寂もまた、人目を気にすることなくふたりが濃密な時を過ごせることが好んでいる理由でもある。
 
 今でも鮮明に覚えている。
 それは今のアオイよりももっと小さなころの記憶だ。

 ――大きな寝台の上で目が覚めたアオイは、柔らかな背中の感触と部屋に漂う清らかな空気。そして、何よりも彼女を安心させたのは自分ではない誰かの優しい香りだった。
 程なくして現れた空色の瞳の青年は、自分を見るなり嬉しそうに微笑んで声を掛けてくれた。優しく抱き上げてくれる大きな腕。何と言われていたかはわからないが、自分を気遣うような言葉が発せられていたのは、その瞳の優しさから何となくわかった。
 やがて視界いっぱいに広がったのは月の光と広がる闇、そして足元に散りばめられた光の粒子とそれらを受けて輝く噴水の飛沫たちだった。

 当時のアオイは初めて見る美しい光景に声を上げたものだったが、自分を抱き上げてくれる青年はあまり楽しそうでなかったのを覚えている。
 しかし、そんな彼の目が優しい弧を描くとき、その瞳には自分が映っていることに気づく。

(やさしいこの方がいつも笑っていられるよう……わたしがそばにいよう)

 幼いながらにアオイがそんな気持ちを抱いたと知ったら、キュリオは何を思っただろう?
 恐らくキュリオは手放しで喜んだろうが、いまとなっては共に在ることが当たり前のふたりにそんな言葉はもう必要ないかもしれない。
 
 それでもアオイの真の心からの言葉ならば聞きたいと願うキュリオの、とある日常は次回サイドストーリーとなって紡がれることとなる――。

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