【第二章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を
 ――馬車内は黒とワインレッドを基調とした上質な布地に覆われ、長い時間馬車に揺られていても疲れはほどんど感じないほどにクッション性にも富んでいたが、不思議と眠気に襲われないのはキュリオの凛とした志に他ならないことを誰もが知っている。

(……アオイが目を合わせないのは本音を隠しているときだ。そして恐らくその原因は私にある……)

 馬車に揺られながら目的地まであと半分というところまで来ると、休息をとるために一時停止したキュリオ一行の周辺を街人たちが遠巻きに押し寄せているのが見えた。

『失礼致しますキュリオ様、ガーラント様。馬たちを休めたく停止致しましたが、民に気づかれてしまったようです』

 馬車のドア越しに先頭を行く騎士が申し訳なさそうに声を掛けてきた。
 その言葉を聞いたキュリオがカーテンをわずかに開き、窓の外へ目を向けると――

「……そうか。街の様子をこの目で見るのも私の務め。外へ出よう。その間に離れた場所へ馬たちを連れていけ」

『はっ!』

 キュリオが馬車を降りるとなり、従者たちが一斉に王の周りを取り囲みながら群衆の中を颯爽と歩く。

「あ、あれがキュリオ様かっ!!」

「まあ! なんて神々しいっ……」

「きゃああっ! キュリオ様よっっ!!」

 数えきれないほどの賛辞や恍惚の眼差しを浴びるキュリオだが、彼の美しい顔は和らぐことなく民の中を突き進む。
 馬車がゆったりと行き来できるほどの広い道幅にも関わらず、たちまち集まった群衆は見渡す限りを埋め尽くすほどの巨大な塊となっていた。
 そして時折、キュリオへ触れようと手を伸ばす不届きな輩から王を護るため、護衛を任された者たちは鼻息荒く奮闘するも……それは一瞬の間だけだった。

「お疲れ様でございましたキュリオ様。こちらで休憩致しましょう」

「ああ、そうだな」

 だいぶ街の外れまで歩いてきた一行が落ち着いた先は、人気もまばらな屋外のカフェテリアだった。
 それはそうと、先ほどまでの街中の人間が集まったかのような巨大な群衆はどこへ行ったのか?

「キュリオ様の御力はいつ拝見しても素晴らしいのぉっ」

 もちろんあの人数を撒くためにキュリオらが全力で走ったわけではない。

「君でも容易いことだろう? ガーラント」

 運ばれてきた紅茶を口にしながら大魔導師を見やるキュリオの瞳は木陰から漏れる爽やかな光に照らされて一層美しく輝いている。

「どうでしょうなぁ? 前方にいる人間を隠すのは容易かもしれませぬが、背後にいる者たちを他者を巻き込むことなく隠すのはなかなか骨が折れるというものですじゃぞ!」

 ガーラントは魔法をかける相手を目で認識しながら術を施すのは簡単だが、自身の目が届かないところにいる数多の人間へというのはかなり難易度が上がると言っているのだ。
 それをいとも簡単にやってのけるキュリオは移動の段階で……いや、出発の段階で百以上の従者の気配をひとり残らず記憶しているということだ。

「難しく考えることはない。感じればいいんだ」

 そう言いながら風の奏でる木の葉の音色に耳を傾け目を閉じると、ふと彼の瞼の裏では俯いて表情を曇らせるアオイが過った。

(……会いたいな、アオイ……)

 切なく痛む胸に寄り添う間もなく噂を聞きつけた人間の声が遠くから聞こえ、キュリオらはその場から離れるしかなくなってしまった。

「申し訳ございません。民に嗅ぎつけられてしまったようです」

「そのようだな。遠回りしながら戻るとしよう」

 カップに残った紅茶を口元へ運びながら喉を通る芳醇な香りにほんの少し胸の痛みが和らいだ気がする。

(この店の紅茶は香りが豊だな。悪くない)

 キュリオの視線が店のカウンターへと向けられると、その後ろの棚には洒落た酒瓶がズラリと並んでいるのが見えた。

(夜はバーになるのか……)

 そんなことを考えているキュリオに見つめられていると勘違いしたうら若き女性店員は黄色い声を上げながら耳まで真っ赤にして銀のトレイで顔を隠している。

「キュリオ様? お気に召した女子(おなご)でもおりましたか?」

 キュリオの視線に気づいたガーラントが心にもないことを口にすると……

「……何の話をしている? 私はただアオイを想っていただけだ」

 珍しく不機嫌そうに眉をひそめたキュリオが真顔でそう答えた。


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