【第二章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を
「……」
咽るような煙の香を残した風を背に受けながら再び歩き出したキュリオは、自分を呼ぶ声を遠くに聞きながらもと来た道を振り返る。
「キュリオ様こちらにおいででしたか! せめて遠くから一目でもキュリオ様の御姿を賜りたいと民からの願いが山のように届いております故、キュリオ様が御許しくだされば是非この館の最上階に御立ち頂きたく――」
杖をついている老人とは思えぬ速さでキュリオの前へと現れたガーラントは息を弾ませながらもその顔は嬉しそうに輝いている。
「どうしたガーラント。随分嬉しそうだな」
外ではあまり表情を崩さないキュリオだったが、長年傍に置いている大魔導師の嬉しそうな顔を見ると釣られて穏やかな顔つきになる。
「儂は嬉しいのですじゃ! これほど民に望まれている王は他に居ますまいっ!! すべてはキュリオ様の大いなる愛故でございます!!」
仕える王が民に愛されていることに誇らしいと思わない家臣などいない。
それだけではなく、家族同然な扱いを受けてきたガーラントがキュリオに捧げる忠義と愛は生半可なものではないのだ。
「そうか。お前がそう思うなら私もそう思おう」
ふっと笑った美しいキュリオの横顔を見つめながらガーラントは大きく頷く。
(キュリオ様は気づいておられないかもしれんが、姫様が来てからよく笑うようになられた)
この王が民を想う気持ちに嘘はない。
だが、一個人として誰かを愛することを知らなかったキュリオへアオイはこれまでにないほどの幸福と笑顔、そして深い愛情を彼の胸に芽吹かせたのである。
「どうした? 私の傍に居てくれるのだろう?」
まだ沈まない日の光を受けて輝くキュリオが足の止まったままの自分を振り返って語り掛ける。
サラリと流れる絹糸のような髪が後光のように輝いて、直視するのもためらわれるほどに神々しく同性でも見惚れるほどに美しい。
「は、はいっ! もちろんでございます!」
こうしてキュリオとガーラントが館の最上階にて姿を現した頃、先ほどの少女たちは意外な場所へ来ていた。
「ここまで聞こえるなんて凄い歓声だね。何かあったのかしら……」
店内でオーダーをとっていた不慣れなシンシアが注文のメモを持ってカウンターへ戻ってきた。
いつも賑やかな店には客がほとんどおらず、静かな店内には客より店員のほうが多かった。
すると、窓の外を伺っていたマリ―がようやくこちらにやってきた。
この店の制服なのだろうか? 彼女らは揃ってシンプルなネイビーのワンピースを纏い、その上から真っ白なエプロンをかけている。
「王様が館で御姿を見せてくださってるみたいだよ。エリザたちも見に行ってるみたい。さっきなんてお迎えのとき参列させてもらったって自慢してたよ」
マリ―の言うエリザというのは彼女らと同い年の名家の令嬢である。
その名を聞いた他のふたりはすぐにその名の主が勝ち誇ったように高笑いをしている姿を想像し苦笑した。しかし、苦笑から急に悲しそうに眉をひそめたシンシアは自分自身を抱きしめながら言った。
「エリザ、夜の館に行くのかな……」
「……たぶんね。でも私たちはエリザと違って王様の御許しがないと行けないんだよね?」
それなりに裕福な家庭の生まれである三人でさえ、エリザの家に比べたら一般庶民も同然だった。
代々名家同士が婚姻を結んできた彼女の家は、この街で一二を争う富豪の娘なのである。
シンシアが暗い表情をする理由はマリ―もマイアも痛いほどわかる。ここにいる少女たちとエリザは幼馴染でとても仲が良かったからだ。そう、少し前までは――。
「ありがとうございましたー!」
店内にいた客のひとりが店を出ていくと、とうとう自分たちだけになってしまった。
「午前中もどこかの美形のお偉いさんが大所帯で一組来たくらいで閑散としてたって早番の子たちが言ってもん。しょうがないね」
王が来るとあって近隣からは琵琶の実ほどの大振りな宝石をしつこいくらい身に着けた金持ちたちが、数日前から家臣の数を競い合うようにして大勢連れだってこの街を訪れているのだ。
「この機会に玉の輿狙ってるひともたくさんいるらしいよ」
「そうなんだ……じゃあ王様を狙ってるひともいるのかな?」
「どうだろう、いるのかな?」
「王様が御結婚されるイメージはないけど、そんな王様でも運命の人と出会ったら恋に落ちちゃったりすんのかな……」
「やっぱり女神一族の方々ぐらいの地位がないとお近づきにもなれないよね……」
「だよねぇ……王様の御心を奪う女性ってどんな人なんだろう……」
まだまだ恋愛や結婚というものを身近に感じていない少女たちだったが、うっとりと夢心地なまま甘美な恋を想像し切ないため息をつく。
そして五大国の歴代のどの王も未婚を貫いているのは有名な話である。
たとえ王に子孫がいたところで、その血筋だからと王位が継承されるわけではないため世継ぎの問題は起こらないのである。さらに言ってしまえば王は人の命を遥かに凌駕する長い時間を生きるが、その伴侶や子供たちは人の一生分の時間しか持たないため、王は妻や子供たちに先立たれるという大きな悲しみを背負うこととなる。
だが、歴代の悠久の王たちが伴侶を持たなかったのには別の理由がある。
それはやはり王たる者に弱点があってはならない……その一点に尽きるだろう。
「ほら! こんな時こそ腕を磨くチャンスだよ! マイラはケーキ、シンシアは店内のコーディネート! そしてあたしはバリスタだっ!」
そう言いながら腕まくりしたマリ―は茶葉やコーヒーの豆を手にすると香りを確かめるように鼻を近づけては恍惚の笑みを浮かべる。
「私たちも頑張ろう! シンシア!」
「はいっ!」
このときの少女たちのキラキラとした笑顔は誰もが持っている誠の心より流れ出る美しい輝きに満ちていたのだった。
咽るような煙の香を残した風を背に受けながら再び歩き出したキュリオは、自分を呼ぶ声を遠くに聞きながらもと来た道を振り返る。
「キュリオ様こちらにおいででしたか! せめて遠くから一目でもキュリオ様の御姿を賜りたいと民からの願いが山のように届いております故、キュリオ様が御許しくだされば是非この館の最上階に御立ち頂きたく――」
杖をついている老人とは思えぬ速さでキュリオの前へと現れたガーラントは息を弾ませながらもその顔は嬉しそうに輝いている。
「どうしたガーラント。随分嬉しそうだな」
外ではあまり表情を崩さないキュリオだったが、長年傍に置いている大魔導師の嬉しそうな顔を見ると釣られて穏やかな顔つきになる。
「儂は嬉しいのですじゃ! これほど民に望まれている王は他に居ますまいっ!! すべてはキュリオ様の大いなる愛故でございます!!」
仕える王が民に愛されていることに誇らしいと思わない家臣などいない。
それだけではなく、家族同然な扱いを受けてきたガーラントがキュリオに捧げる忠義と愛は生半可なものではないのだ。
「そうか。お前がそう思うなら私もそう思おう」
ふっと笑った美しいキュリオの横顔を見つめながらガーラントは大きく頷く。
(キュリオ様は気づいておられないかもしれんが、姫様が来てからよく笑うようになられた)
この王が民を想う気持ちに嘘はない。
だが、一個人として誰かを愛することを知らなかったキュリオへアオイはこれまでにないほどの幸福と笑顔、そして深い愛情を彼の胸に芽吹かせたのである。
「どうした? 私の傍に居てくれるのだろう?」
まだ沈まない日の光を受けて輝くキュリオが足の止まったままの自分を振り返って語り掛ける。
サラリと流れる絹糸のような髪が後光のように輝いて、直視するのもためらわれるほどに神々しく同性でも見惚れるほどに美しい。
「は、はいっ! もちろんでございます!」
こうしてキュリオとガーラントが館の最上階にて姿を現した頃、先ほどの少女たちは意外な場所へ来ていた。
「ここまで聞こえるなんて凄い歓声だね。何かあったのかしら……」
店内でオーダーをとっていた不慣れなシンシアが注文のメモを持ってカウンターへ戻ってきた。
いつも賑やかな店には客がほとんどおらず、静かな店内には客より店員のほうが多かった。
すると、窓の外を伺っていたマリ―がようやくこちらにやってきた。
この店の制服なのだろうか? 彼女らは揃ってシンプルなネイビーのワンピースを纏い、その上から真っ白なエプロンをかけている。
「王様が館で御姿を見せてくださってるみたいだよ。エリザたちも見に行ってるみたい。さっきなんてお迎えのとき参列させてもらったって自慢してたよ」
マリ―の言うエリザというのは彼女らと同い年の名家の令嬢である。
その名を聞いた他のふたりはすぐにその名の主が勝ち誇ったように高笑いをしている姿を想像し苦笑した。しかし、苦笑から急に悲しそうに眉をひそめたシンシアは自分自身を抱きしめながら言った。
「エリザ、夜の館に行くのかな……」
「……たぶんね。でも私たちはエリザと違って王様の御許しがないと行けないんだよね?」
それなりに裕福な家庭の生まれである三人でさえ、エリザの家に比べたら一般庶民も同然だった。
代々名家同士が婚姻を結んできた彼女の家は、この街で一二を争う富豪の娘なのである。
シンシアが暗い表情をする理由はマリ―もマイアも痛いほどわかる。ここにいる少女たちとエリザは幼馴染でとても仲が良かったからだ。そう、少し前までは――。
「ありがとうございましたー!」
店内にいた客のひとりが店を出ていくと、とうとう自分たちだけになってしまった。
「午前中もどこかの美形のお偉いさんが大所帯で一組来たくらいで閑散としてたって早番の子たちが言ってもん。しょうがないね」
王が来るとあって近隣からは琵琶の実ほどの大振りな宝石をしつこいくらい身に着けた金持ちたちが、数日前から家臣の数を競い合うようにして大勢連れだってこの街を訪れているのだ。
「この機会に玉の輿狙ってるひともたくさんいるらしいよ」
「そうなんだ……じゃあ王様を狙ってるひともいるのかな?」
「どうだろう、いるのかな?」
「王様が御結婚されるイメージはないけど、そんな王様でも運命の人と出会ったら恋に落ちちゃったりすんのかな……」
「やっぱり女神一族の方々ぐらいの地位がないとお近づきにもなれないよね……」
「だよねぇ……王様の御心を奪う女性ってどんな人なんだろう……」
まだまだ恋愛や結婚というものを身近に感じていない少女たちだったが、うっとりと夢心地なまま甘美な恋を想像し切ないため息をつく。
そして五大国の歴代のどの王も未婚を貫いているのは有名な話である。
たとえ王に子孫がいたところで、その血筋だからと王位が継承されるわけではないため世継ぎの問題は起こらないのである。さらに言ってしまえば王は人の命を遥かに凌駕する長い時間を生きるが、その伴侶や子供たちは人の一生分の時間しか持たないため、王は妻や子供たちに先立たれるという大きな悲しみを背負うこととなる。
だが、歴代の悠久の王たちが伴侶を持たなかったのには別の理由がある。
それはやはり王たる者に弱点があってはならない……その一点に尽きるだろう。
「ほら! こんな時こそ腕を磨くチャンスだよ! マイラはケーキ、シンシアは店内のコーディネート! そしてあたしはバリスタだっ!」
そう言いながら腕まくりしたマリ―は茶葉やコーヒーの豆を手にすると香りを確かめるように鼻を近づけては恍惚の笑みを浮かべる。
「私たちも頑張ろう! シンシア!」
「はいっ!」
このときの少女たちのキラキラとした笑顔は誰もが持っている誠の心より流れ出る美しい輝きに満ちていたのだった。