【第二章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を

不思議な声

(……銀狐の姿を犬と見間違えても不思議はないが、ダルドではないとすると……)

「……キュリオ? アオイ姫がもうすこし奥へ行きたいって」

 立ち止まったキュリオを肩越しに振り返ったダルド。すっかり抱きなれた様子の彼は自身の左腕にアオイを座らせるようにし、右手で彼女の背を包んでいる。

「わかった。あまり暗がりに入らないよう、日の当たるところを行こうか」

「うん」

 ダルドとしても異議はないようで、素直に頷いて歩みをすすめる。銀狐から人型聖獣へと進化した彼は聖獣の森に縁もゆかりもなく、キュリオのもとで過ごすようになってからは尚更、人間とほぼ変わらない毎日を過ごしていた。

『――、…………』

「……?」

「どうかしたかい?」

 突如、不思議な声に立ち止まったのはダルドだった。なにかを探すように四方を見渡していた彼は、キュリオが声を掛けると薄く口を開いた。

「……声が聞こえた。たぶん、聖獣の」

「…………」 

 同じ聖獣のダルドならば、この森に足を踏み入れた時点でたくさんの声が聞こえているであろうとキュリオは予測していた。しかし、彼が立ち止まるからには、それなりの理由があったはずだ。
 キュリオに聖獣の声は聞こえずとも、彼らの気配を読み取る力は十分にある。

(私たちに怒りや恐れを抱いている聖獣はいない。あるのは好奇の眼差しと、不思議そうに見つめる無邪気な眼差し――)

 いつものように変わらぬあたたかな気配にキュリオの警戒が解ける。

「心配するようなものではないようだね」

「"大きくなったな"って、僕にはそう聞こえた……」

「わんわんっ きゃははっ」

 ダルドの言葉に賛同するかのように声をあげたアオイは、両手を広げて足をバタバタしながら喜びを表しているようにみえた――。


(……聖獣の森へアオイを連れていくのは最近のことではないが……)

 ダルドの言葉が気になる。彼が耳にした聖獣の声はアオイの成長を見守っていたかのような口調であり、その後のアオイも喜んでいるように見えた。
 なにも案ずるようなことではないはずだが、キュリオの心はどこか晴れない。

(……この不安はなんだ? 私が気にしすぎなのだろうか……)

 キュリオの膝の上で今夜も楽しそうに湯殿の中で頬を染めるアオイ。立ち上がれるようになってからは大人しくしていることも少なくなり、キュリオの膝を踏み外して湯の中に落ちてしまうこともあったため、抱き締める腕を緩めることはできなかった。

「とー……?」

「うん? アオイ、"おとうさま"だよ。言ってごらん」

 まだ"おとうさま"と言うことができないアオイはキュリオを"とー"と呼ぶことが多い。彼女にとって発音しやすい言葉なのだろうと思われるが、カイやアレス、女官らが我さきに自分の名を呼んでもらおうと毎日言葉を教えているためキュリオも油断できない。

「…………」

 キュリオの動く口元をジッと見つめていた真ん丸な瞳。すると徐々に彼女の手がせり上がって来て――

「……!」

 絹(シルク)よりも柔らかく瑞々しい指先がキュリオの形の良い唇をやんわりと滑って、キュリオの愛をかたちにしたようなアオイの愛らしい顔がぐっと近づいた。鼻先が触れ合うほどに距離を詰めたふたりの顔は、やがて……

「んぅー! とー!」

 これ以上にないほどに肌を密着させながらアオイがキュリオを抱きしめた。
 
「……ふふっ、アオイから口づけをくれるのかと胸が高鳴ってしまったよ」

 水に濡れた愛しい幼子のぬくもりを胸に刻みつけるよう両腕で抱き締め返すと、嬉しそうな声が湯殿に響く。

「きゃあっ」

「私はこんなにもお前を愛しているのに……お前はなかなか望むものをくれないね」


< 44 / 168 >

この作品をシェア

pagetop