【第二章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を
闇の中の真実
日付が変わったころ、用意された豪華絢爛な客室で青年は居心地が悪そうに窓から外の様子を伺っていた。
(薬師殿が戻られた様子はない。それだけ患者が多いということか……)
別室で休んでいる副当主の叔父はかなりの酒をあおっていたため深い眠りについてしまった。しかし青年にとってこれは好都合だ。羨望の眼差しを受けて大々的に顔が知れ渡った叔父を伴って動くよりも、単独行動のほうが大事にならずに済むからだ。
部屋を抜け出すタイミングを見計らっていた青年は、手荷物のなかから黒い外套を取り出すと頭から深く纏って廊下にひとけがないことを確認すると扉を出ていく。
大きな館にも関わらず、使用人が少なく感じるがこれも好都合だった。通された部屋から門までのルートをある程度把握していた彼は、門番の交代する時間を狙ってあっさりと街への潜入を果たした。
(やけに手薄だな……。街の外に兵でも置いているのか?)
道中隣を歩いてきた少年の話によれば、この地を狙っている軍勢がいるという話だったが、そのような危機がいつ迫ってくるともわからないにしてはあまりに静かだ。
あまりにも多すぎる違和感に首を傾げながらもなるべく人目につかぬよう路地裏を歩き、目指したのは領主(バロン)の館から一番離れた民家だった。
(館から離れるほど貧しい家が多い。もう少し先まで行けば人の目を気にすることなく話を聞くことができそうだな……)
時折立ち止まりながら追っ手がいないことを確認し、青年は中心街を抜けて農村地帯をさらに奥へと進む。作物がやられていないところを見ると、農業用水に使用されているのは雨水の可能性もあるが――……
(……水源に異変を感じてから水を塞き止めるまでが早かったのか、雨水が豊富なのか……)
不信に思った青年が水の流れを辿ろうと辺りを見回すと――
「……っ!」
突如背後に感じた気配に気づくのが一瞬遅れ、距離を取る間もなく回された屈強な腕に青年は囚われてしまった。しかし、やはりこの青年は只者ではない。鋭利で残酷なそれは月の光を受けて相手の喉元で不気味な光を帯びる。
「私のナイフがあなたの喉を貫くのが先か、あなたが私を亡き者にするのが先か……試してみますか?」
眉目秀麗な青年からは想像もつかない身のこなしだった。
まるで別人のような彼に怯んだ男が観念するように声をあげた。
『……っ手荒な真似をして申し訳ありません! 貴方様を水守り様とお見受けしてお願いがあるのです……!!』
「第一印象は最悪ですが……話くらいは聞きましょう」
何故か声を潜めたその男は随分大柄だった。長身の青年よりもさらに体の大きな彼は、青年の言葉を聞き届けると申し訳なさそうに肩を下げて辺りの様子を伺いなら後ろをついてくるよう目で合図をしてくる。
(……なにを気にしている? しかしこの男、人を襲うような咎人とは思えない……)
色々な可能性が脳裏をよぎった青年だが、なによりも男に流れる水に淀みがないことを見極めた彼は男の後をついて行くことにした。
(この服……最初から私を狙って行動していたようだな)
闇に紛れるよう黒服に身を包んでいる男の様子から、最初から青年の行動を監視していた可能性は充分にある。しかしそれは日の高いところでは話せない理由があるとも考えられるため、青年が抱くいくつもの違和感の正体が突き止められる可能性も考えられる。
さらに青年が目論んだ通り、案内されたのは街はずれにある決して裕福とは言えない一軒家だった。
――ギィッ
古びた蝶番が悲鳴を上げて扉が開かれる。
蝋燭の灯りが室内から漏れて青年の顔を照らすと、振り向いた大柄な男が頬を赤らめて一歩下がった。
『水守り様は男性とお聞きしておりましたがっ……俺は女性相手になんと無礼なっ……!』
『無礼なのは今の言葉です。私は男です』
頭から被っていた外套を脱いだ青年は男を睨むと、艶やかな水色の髪が肩からサラリと流れて男の目を惹く。
『あ……』
『帰ったのね? その声は……お客様かしら?』
慌てふためく男を優しく迎える声が部屋の奥から聞こえ、青年がその声の主を探すと――
『あら……素敵なお嬢さん! もしかして……』
このような時間に食事の支度をしていたらしい人物がこちらへ歩いてきた。
そして、ふふっと笑ったのは目元に笑い皺のある優しそうな小柄の中年女性だった。ダークブラウンの長い髪は緩く結ばれて彼女の柔和な雰囲気をさらに柔らかくしており、どことなく青年の母を思わせるような穏やかそうな女性だった。
『お招き頂きありがとうございます。私は男ですが……素敵な夜を共に過ごせることを嬉しく思います』
青年の皮肉を込めた言葉もやんわりと受け入れた女性は食事を並べながら笑顔を絶やさない。
『私も会えて嬉しいわ。私のことは本当の母親だと思ってちょうだいね』
『か、母さん……! 違うんだ! この方はあの水守り様なんだよ!!』
『まあ……水守り様がお前のお嫁さんになってくださるの?』
『…………』
(薬師殿が戻られた様子はない。それだけ患者が多いということか……)
別室で休んでいる副当主の叔父はかなりの酒をあおっていたため深い眠りについてしまった。しかし青年にとってこれは好都合だ。羨望の眼差しを受けて大々的に顔が知れ渡った叔父を伴って動くよりも、単独行動のほうが大事にならずに済むからだ。
部屋を抜け出すタイミングを見計らっていた青年は、手荷物のなかから黒い外套を取り出すと頭から深く纏って廊下にひとけがないことを確認すると扉を出ていく。
大きな館にも関わらず、使用人が少なく感じるがこれも好都合だった。通された部屋から門までのルートをある程度把握していた彼は、門番の交代する時間を狙ってあっさりと街への潜入を果たした。
(やけに手薄だな……。街の外に兵でも置いているのか?)
道中隣を歩いてきた少年の話によれば、この地を狙っている軍勢がいるという話だったが、そのような危機がいつ迫ってくるともわからないにしてはあまりに静かだ。
あまりにも多すぎる違和感に首を傾げながらもなるべく人目につかぬよう路地裏を歩き、目指したのは領主(バロン)の館から一番離れた民家だった。
(館から離れるほど貧しい家が多い。もう少し先まで行けば人の目を気にすることなく話を聞くことができそうだな……)
時折立ち止まりながら追っ手がいないことを確認し、青年は中心街を抜けて農村地帯をさらに奥へと進む。作物がやられていないところを見ると、農業用水に使用されているのは雨水の可能性もあるが――……
(……水源に異変を感じてから水を塞き止めるまでが早かったのか、雨水が豊富なのか……)
不信に思った青年が水の流れを辿ろうと辺りを見回すと――
「……っ!」
突如背後に感じた気配に気づくのが一瞬遅れ、距離を取る間もなく回された屈強な腕に青年は囚われてしまった。しかし、やはりこの青年は只者ではない。鋭利で残酷なそれは月の光を受けて相手の喉元で不気味な光を帯びる。
「私のナイフがあなたの喉を貫くのが先か、あなたが私を亡き者にするのが先か……試してみますか?」
眉目秀麗な青年からは想像もつかない身のこなしだった。
まるで別人のような彼に怯んだ男が観念するように声をあげた。
『……っ手荒な真似をして申し訳ありません! 貴方様を水守り様とお見受けしてお願いがあるのです……!!』
「第一印象は最悪ですが……話くらいは聞きましょう」
何故か声を潜めたその男は随分大柄だった。長身の青年よりもさらに体の大きな彼は、青年の言葉を聞き届けると申し訳なさそうに肩を下げて辺りの様子を伺いなら後ろをついてくるよう目で合図をしてくる。
(……なにを気にしている? しかしこの男、人を襲うような咎人とは思えない……)
色々な可能性が脳裏をよぎった青年だが、なによりも男に流れる水に淀みがないことを見極めた彼は男の後をついて行くことにした。
(この服……最初から私を狙って行動していたようだな)
闇に紛れるよう黒服に身を包んでいる男の様子から、最初から青年の行動を監視していた可能性は充分にある。しかしそれは日の高いところでは話せない理由があるとも考えられるため、青年が抱くいくつもの違和感の正体が突き止められる可能性も考えられる。
さらに青年が目論んだ通り、案内されたのは街はずれにある決して裕福とは言えない一軒家だった。
――ギィッ
古びた蝶番が悲鳴を上げて扉が開かれる。
蝋燭の灯りが室内から漏れて青年の顔を照らすと、振り向いた大柄な男が頬を赤らめて一歩下がった。
『水守り様は男性とお聞きしておりましたがっ……俺は女性相手になんと無礼なっ……!』
『無礼なのは今の言葉です。私は男です』
頭から被っていた外套を脱いだ青年は男を睨むと、艶やかな水色の髪が肩からサラリと流れて男の目を惹く。
『あ……』
『帰ったのね? その声は……お客様かしら?』
慌てふためく男を優しく迎える声が部屋の奥から聞こえ、青年がその声の主を探すと――
『あら……素敵なお嬢さん! もしかして……』
このような時間に食事の支度をしていたらしい人物がこちらへ歩いてきた。
そして、ふふっと笑ったのは目元に笑い皺のある優しそうな小柄の中年女性だった。ダークブラウンの長い髪は緩く結ばれて彼女の柔和な雰囲気をさらに柔らかくしており、どことなく青年の母を思わせるような穏やかそうな女性だった。
『お招き頂きありがとうございます。私は男ですが……素敵な夜を共に過ごせることを嬉しく思います』
青年の皮肉を込めた言葉もやんわりと受け入れた女性は食事を並べながら笑顔を絶やさない。
『私も会えて嬉しいわ。私のことは本当の母親だと思ってちょうだいね』
『か、母さん……! 違うんだ! この方はあの水守り様なんだよ!!』
『まあ……水守り様がお前のお嫁さんになってくださるの?』
『…………』