【第二章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を
(……っまだ息はある! しかし、ひとりひとり浄化したのでは間に合わないっ……!』

 ギリリと唇を噛みしめた青年は悲しみに顔を歪ませて馬を降りると、街全体を浄化する力があたりを包む。神々しきその姿が水の女神と重なる――。
 しかし血を吐いて苦しみだした人々は……やがて完全に動かなくなってしまった。

『……そん、な……』

 信じられない光景を目の当たりにした青年は、人々が口にしたものはただの毒ではないことにようやく気づいた。

『水守り様、浄化しただけじゃだめだよ。この薬は前のものと違って体中の細胞を破壊しちゃうんだから』

『なぜ貴方が……』

『あーあ。そこの大男もさー。ほんと邪魔してくれるよね。お前の母親だけ水守り様の力でしぶとく生きてるよー』

 まるで仕掛けた悪戯が失敗した子供のような素振りで現れた少年。
 そしてよほど気に入ったのか、青年が贈った外套を纏ったまま不貞腐れたように口を尖らせている。

『母さんっ!!』

 ようやく後方から追いついてきた男は、再び自身の家のある方向へと馬を走らせる。
 この暗がりの中でもはや生きている人間を探すのは不可能の近く、いまはただ少年が気まぐれに口にした男の母を救う他に選択肢はない。

『はぁっ……はぁっ……げほっっ!!』

『……っ母さん!!』

『ここは危険です! すぐにこの街から離れて!! 早く隣町へ向かって解毒剤をっ!!』

 濡れた床に転がった割れたグラスを見るからに、彼女が得体の知れない毒を口にしてしまったことがわかる。かろうじて青年の力が残った彼女は絶命を免れていたが、一刻を争う危険な状態であることは明らかだった。

『ねぇねぇ水守り様! 次はどこの街に行くの? 僕もついていっていいよね!?』

『さっきから貴方はなにを……なぜ貴方は無事なのです?』

 この悲惨な状況の中、まるでそれを楽しむかのような少年の軽い口調に違和感が拭いきれない。

『えー? まだ気づかないの?』

『水守り様はさ、子供の心は美しいとか、邪念がないとかそう思い込んでるでしょ』

『まー大方誰しもがそう思ってるんだけどねーっ! 僕は魔薬師。皆はデビルドラッガーなんて呼ぶよ! ほんとネーミングセンスの塊もないったらありゃしない。水守り様だったらなんて呼ぶかな~? って楽しみにしてたんだよ。僕!』

 屈託のない笑みを零す少年は悪びれた様子もなく塀の上で膝を抱えて小首を傾げている。

『ふざけるなっ!!』

『……僕たち、選ばせてあげたじゃん。嫁いでくるなら当主を無事帰してあげるって』

 急に声色を下げた少年は不機嫌そうに眉をひそめた。

『……っ!?』

(あの壮年の男はまさか……)

『あはっ! 水守り様正解っ♪ あの人たちも僕の仲間だよっ! ちゃんと僕の言葉に裏があることを読んでたみたいだから言っちゃうね? ここの領主はだいぶ前に僕たちが殺しちゃった。皆が気づかなかったのは僕が調合した薬の影響。だからね、あの館の人間たちは前領主に仕えているつもりで最後まで忠誠を誓ってたってわけ!』

『なんだって……?』

『僕、本当はさ……実際見るまで水守り様の力なんてイカサマだと思ってたんだ。
だけどね、あなたに出会ったらあまりに綺麗で素敵な方で、噂は本当だったっんだってわかっちゃったんだよね。だからあなたの帰る場所が無くなれば、僕と一緒に来てくれるかな? いつかふたりで王国をつくりたいなーって夢が出来ちゃったんだ!』

『僕が薬で皆を弱らせて、奇病が流行ったことにして水守り様が治す! 陰と陽、ふたつが合わさるときが来たんだ!!』

『そんなものが……夢……? そんな低俗な欲のために……』

 悲しみを上回る怒りが脳天に達する頃、血相を変えた狩人の男が母親を肩に担いだまま青年の腕をつかんで走り出した。

『水守り様!! 急いで故郷へ御帰還をっ!! あの少年が言ったことが本当ならば……っ貴方の故郷が危ないっっ!!』

『あはっ! 冷静な水守り様らしくないね。この街を狙ってる軍勢がいるって言ったでしょ? 僕はその軍勢のナンバー3だよ!』

 小高い塀の上から奇妙な眼光を湛えた少年の瞳と、自分の唇を舐めるように伸ばされた深紅の舌が唾液を湛えぬらぬらと妖しく光った――。

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