【第二章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を
運命の日
『……父上! 母上っ!!』
灯りの消えた館を包むのは、不気味なほどの静寂と噎せ返るような血の匂いだった。
いつも陽気な声に溢れ、人が集っていたこの館に一体なにが起きているのか……。まるで戦のあとのように折り重なった屍は誰も彼もが知った顔ばかりだ。ある者は館の外へ逃げ出そうとして切り殺されたのであろう。外へ通じる扉の前で倒れ、その背中からはおびただしい血が濁流さながらに止めどなくあふれている。
ドクドクと嫌な音をたてる己の心音が不安を煽る。駆け出したものの、いつもはあっという間に上り詰めてしまう階段さえ長く感じるのはこの先に待ち構えているであろう惨劇が嫌でも脳裏をよぎり、青年の意識を縦横無尽に搔き乱しているからだ。急げば急ぐほどに呼吸は乱れて眩暈がする。上も下もわからずに闇雲に駆け上がるが、息苦しさに視界が下がると足元に転がった生身の人間の姿に目頭が燃えるように熱くなる。しかし、いまは気を取られている余裕はない。
もはや呼吸をするのも忘れ、ひとつの扉めがけて飛び込んだ先にあったのは――
『父上! 母上!! 叔父上……!!』
母をかばうようにして絶命している父の姿と、その隣に横たわるのは……水の女神を愛してやまない陽気な叔父の変わり果てた姿だった。
父と母からは命あるすべてのものに流れる"水"を感じとることができなかった青年の瞳からは一筋の涙が零れ落ちた。
絶望に崩れ落ちる体を引きずりながらようやく父と母の亡骸の前へと辿り着き、まだぬくもりの残る身体を震える腕に抱き締める。
『……はやく、にげ……ろ……』
『叔父上!?』
バッと顔を上げた先では絶命寸前の叔父が肺に流れた血に溺れそうになりながら呻いた。
床を這うようにして近づいた青年が初老の叔父の体を抱き上げると、その口からは大量の血が流れて美しい衣を紅に染めていく。
『……あいつら、……最初から我ら水守り一族をっ……! 根絶やしにするつもりで……っっ!!』
力なく伸ばされた手を青年が握りしめようとしたその刹那――
青年の手を掠めてダラリと落ちた叔父の大きくあたたかな手。
水の女神に恋焦がれ、誰よりも崇拝していた彼の最期がこれほどまでに残酷なのはなぜか?
民の幸せを願い、水源を守ってきた一族が何をしたというのだ――?
蒼白い月光が差し込む室内でそれらが照らすものすべては赤黒く、美しい青年の髪と肌ばかりが淡い彩光を放っており、まるでそれは死者と生者とを区別しているような残酷な光景だった。
『…………』
(……無意味な殺戮、……無意味な争い…………、我ら一族が一体なにをした……?)
力のある水源を守る一族の行く末がこうなることを水の女神は予見できなかったのか?
そもそも、水源を守る義務など初めからあったのだろうか――?
『……違う……、私にこんな力があるせいでっ…………』
愛する者の血で塗れた手がガクガクと震える。
涙で滲んだ視界が崩れて闇に落ちる頃、蒼白い月光のなかに緋色の柱が鋭く光った。
『――――っ!?』
窓辺へと駆け寄ったその瞳に映ったのは、人々の悲鳴や爆発音、火の手があらゆるところから上がっている悍ましい光景だった。
――館の外へ出たとたん、肌を焼くような熱風が止むことなく吹き荒れ、一面火の海と化した美しい街並みに青年は茫然と立ち尽くす。
一呼吸ごとに喉が焼かれるような感覚を引きずりながら青年の足はふらりふらりと歩き出す。
『……街、が……』
助けを求め逃げ惑う人々。そしてそれを追いとどめを刺す武装した男たち。
飛び交う煤(すす)に黒く汚れた涙は止めどなく溢れ。
瞬きも忘れたその瞳は赤く充血し、そのまま愛する人たちと命を終えてしまえたらどれだけよかったかと思えるほどの地獄絵図がどこまでも広がっていた――。
『そっか、水守り様は傷を癒すことができないんだったね。でも悲観することないよ? だって、いまの水守り様の浄化の力だってたくさんの人たちを救えるんだからさ!』
『……なんの、ために…………』
『僕はね、幸せになりたいんだ。それができるのは水守り様だけなんだよ。……なんてね。さぁ、これで水守り様の帰る場所はなくなったね! 僕たちと一緒に――』
まるで例え話をするように。
真剣な眼差しで語り始めたかと思いきや、幼い子供が懐いた近所の青年を遊びに誘うようにキラキラした眼差しで手を伸ばしてくる。
『――生かして帰すか……』
『なに? 周りがうるさくて聞こえないよ? ……あ、皆が戻ってくる! ほら早く行こうよ!!』
数にしておよそ千。火の海から現れた武装した男たちの手には生々しく血塗られた剣や斧が握られている。
沸騰した血液が全身を駆け巡る。
愛していた人々の声や笑顔、それらを救えなかった自分の無力さ。すべてに対する憎悪が強く握りしめた拳から鮮血となって流れ、カッと見開かれた瞳が稲妻の如く火花を散らす!
『……貴様ら全員っ! 生かして帰すかッッッ!!!』
ブワッと膨れ上がった青年の力が地面を割り、その合間から水が勢いよく噴き出した。地割れは数キロ先にまで及び、あふれでた濁流は炎の渦巻く民家をも悉く巻き込んだ。
強烈な地鳴りのなか、濁流を割って現れた青年の掌には水流を纏った神秘的な剣が握られていた――。
灯りの消えた館を包むのは、不気味なほどの静寂と噎せ返るような血の匂いだった。
いつも陽気な声に溢れ、人が集っていたこの館に一体なにが起きているのか……。まるで戦のあとのように折り重なった屍は誰も彼もが知った顔ばかりだ。ある者は館の外へ逃げ出そうとして切り殺されたのであろう。外へ通じる扉の前で倒れ、その背中からはおびただしい血が濁流さながらに止めどなくあふれている。
ドクドクと嫌な音をたてる己の心音が不安を煽る。駆け出したものの、いつもはあっという間に上り詰めてしまう階段さえ長く感じるのはこの先に待ち構えているであろう惨劇が嫌でも脳裏をよぎり、青年の意識を縦横無尽に搔き乱しているからだ。急げば急ぐほどに呼吸は乱れて眩暈がする。上も下もわからずに闇雲に駆け上がるが、息苦しさに視界が下がると足元に転がった生身の人間の姿に目頭が燃えるように熱くなる。しかし、いまは気を取られている余裕はない。
もはや呼吸をするのも忘れ、ひとつの扉めがけて飛び込んだ先にあったのは――
『父上! 母上!! 叔父上……!!』
母をかばうようにして絶命している父の姿と、その隣に横たわるのは……水の女神を愛してやまない陽気な叔父の変わり果てた姿だった。
父と母からは命あるすべてのものに流れる"水"を感じとることができなかった青年の瞳からは一筋の涙が零れ落ちた。
絶望に崩れ落ちる体を引きずりながらようやく父と母の亡骸の前へと辿り着き、まだぬくもりの残る身体を震える腕に抱き締める。
『……はやく、にげ……ろ……』
『叔父上!?』
バッと顔を上げた先では絶命寸前の叔父が肺に流れた血に溺れそうになりながら呻いた。
床を這うようにして近づいた青年が初老の叔父の体を抱き上げると、その口からは大量の血が流れて美しい衣を紅に染めていく。
『……あいつら、……最初から我ら水守り一族をっ……! 根絶やしにするつもりで……っっ!!』
力なく伸ばされた手を青年が握りしめようとしたその刹那――
青年の手を掠めてダラリと落ちた叔父の大きくあたたかな手。
水の女神に恋焦がれ、誰よりも崇拝していた彼の最期がこれほどまでに残酷なのはなぜか?
民の幸せを願い、水源を守ってきた一族が何をしたというのだ――?
蒼白い月光が差し込む室内でそれらが照らすものすべては赤黒く、美しい青年の髪と肌ばかりが淡い彩光を放っており、まるでそれは死者と生者とを区別しているような残酷な光景だった。
『…………』
(……無意味な殺戮、……無意味な争い…………、我ら一族が一体なにをした……?)
力のある水源を守る一族の行く末がこうなることを水の女神は予見できなかったのか?
そもそも、水源を守る義務など初めからあったのだろうか――?
『……違う……、私にこんな力があるせいでっ…………』
愛する者の血で塗れた手がガクガクと震える。
涙で滲んだ視界が崩れて闇に落ちる頃、蒼白い月光のなかに緋色の柱が鋭く光った。
『――――っ!?』
窓辺へと駆け寄ったその瞳に映ったのは、人々の悲鳴や爆発音、火の手があらゆるところから上がっている悍ましい光景だった。
――館の外へ出たとたん、肌を焼くような熱風が止むことなく吹き荒れ、一面火の海と化した美しい街並みに青年は茫然と立ち尽くす。
一呼吸ごとに喉が焼かれるような感覚を引きずりながら青年の足はふらりふらりと歩き出す。
『……街、が……』
助けを求め逃げ惑う人々。そしてそれを追いとどめを刺す武装した男たち。
飛び交う煤(すす)に黒く汚れた涙は止めどなく溢れ。
瞬きも忘れたその瞳は赤く充血し、そのまま愛する人たちと命を終えてしまえたらどれだけよかったかと思えるほどの地獄絵図がどこまでも広がっていた――。
『そっか、水守り様は傷を癒すことができないんだったね。でも悲観することないよ? だって、いまの水守り様の浄化の力だってたくさんの人たちを救えるんだからさ!』
『……なんの、ために…………』
『僕はね、幸せになりたいんだ。それができるのは水守り様だけなんだよ。……なんてね。さぁ、これで水守り様の帰る場所はなくなったね! 僕たちと一緒に――』
まるで例え話をするように。
真剣な眼差しで語り始めたかと思いきや、幼い子供が懐いた近所の青年を遊びに誘うようにキラキラした眼差しで手を伸ばしてくる。
『――生かして帰すか……』
『なに? 周りがうるさくて聞こえないよ? ……あ、皆が戻ってくる! ほら早く行こうよ!!』
数にしておよそ千。火の海から現れた武装した男たちの手には生々しく血塗られた剣や斧が握られている。
沸騰した血液が全身を駆け巡る。
愛していた人々の声や笑顔、それらを救えなかった自分の無力さ。すべてに対する憎悪が強く握りしめた拳から鮮血となって流れ、カッと見開かれた瞳が稲妻の如く火花を散らす!
『……貴様ら全員っ! 生かして帰すかッッッ!!!』
ブワッと膨れ上がった青年の力が地面を割り、その合間から水が勢いよく噴き出した。地割れは数キロ先にまで及び、あふれでた濁流は炎の渦巻く民家をも悉く巻き込んだ。
強烈な地鳴りのなか、濁流を割って現れた青年の掌には水流を纏った神秘的な剣が握られていた――。