【第二章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を

これから来る願望と現実と

「あれ……、アオイ姫様?」

 てっきりお昼寝の最中かと静かに入ってきた少年剣士。王の執務室に隣接されたその愛らしい部屋は、キュリオが幼い姫君のために用意させた彼女の遊び場兼学びの一室だった。
 真っ白な空間の床部分には、まだ足元が覚束ない彼女が転倒しても怪我をしないようにと敷き詰められたアイボリー色の厚めの絨毯にふかふかなクッションがいくつも置いてある。
 背の高い家具やテーブルがないのは、アオイにはまだ不必要であることと……やはり怪我をしないための配慮だ。

「姫様でしたらキュリオ様とお出掛けになられましたよ」

 部屋の空気の入れ替えにやってきた侍女の手には王と赤子の衣が丁寧に折り重なり、遊びから戻ったふたりのために用意されたものだと思われる。

「どこ行ったか知ってるか?」

 ふたりを追いかけようと扉へ向かった少年に侍女は笑顔で首を横に振った。

「聖獣の森かもしれませんし、悠久の裏側にいるかもしれません」

 彼女の言った後者のそれが冗談ではないことを王宮に仕えるものならば知っているため、本気でキュリオが遠出をするというのならばカイが探し出すことはほぼ不可能だ。

「じゃあその辺探してくるぜ!」

 体力の有り余る彼は巣立った若鳥のように足取り軽く扉を出ていく。

「カイ、この絵本なんてどうかな? アオイ様がお好きそうなのを集めてみたんだけど……」

「うわーーっ!!」

 すると、本を山積みにして現れたアレスと勢いを保ったまま激突したカイは互いに激しく尻餅をついてしまった。バサバサと容赦なく頭上から降ってくる絵本の数々を避けることもできず、カエルのような声を上げたふたりに侍女は苦笑いしている。

「少しは大きくなったと思っていましたが、中身はまだまだ子供みたいね」


 ――賑やかな王宮から離れていたふたりには穏やかな自然の声が心地よく五感をめぐる。

 小鳥のさえずりを子守唄にして夢のなかを漂うアオイと、彼女の体を大事そうに抱えて目を閉じているキュリオ。
 時折、顔をしかめて花弁のような唇をきゅっと引き結ぶ彼女を見てはあやすように背中を優しく撫でる彼は、眠っているように見えてしっかり起きているのだ。普段の何気ない様子からもキュリオがどれだけ胸の中の赤子を大事にしているかがわかるが、彼がこうしてアオイを外に連れ出すにもちょっとした理由がある。
 それはもちろん、我が子を大自然に触れさせたいという父親としての想いもあるが、本当の目的はそこではない。

「森のどこかに隠れ家でも作ろうか」

 一時的に姿を消す魔法がないわけでもないが、それは他人が自分たちを認識できないだけであって、こちらの目には他人が映ってしまう。
 つまり理解していないアオイは、自分が認識されていないと知らずに無視されたと悲しみを抱いてしまうかもしれない。
 そのような可能性を極力省いていくと、必然的に隠れ家の存在が有効となるのだが――……

 こういう考えにまで至った経緯はとても単純だった。

(どうしたらアオイとふたりきりになれるか……最近そればかり考えているな)

 勉学は王宮で学ばせればよく、ある程度の年頃になったら王の補佐と称して傍に置くことを考えているキュリオ。むしろそこまで行き着く経過さえもどかしく思う。

(カイとアレスをアオイの世話係としたのは私だが、このような感情が芽生えるとは……)

 キュリオはアオイを独り占めしていたい気持ちは今更湧き上がった感情だと思い込んでいるが、本人が気づいていないだけでその兆候はかなり前からあった。
 うつ伏せのような恰好で眠っている赤子の口の端からは涎が露となってこぼれ、キュリオの高貴な衣を濡らしているがそんなことは全く気にならない。

(私の上で過ごす時間はもう、そう長くはないだろうな。いや……、外の世界を知らないアオイならば或いは……)

 キュリオの望む通りアオイが成長してくれたのなら、その願いは叶ってしまうのだから無意識に目元が緩み、口角が上がってしまうのは仕方がないかもしれない。

 だが、そうならなかった場合も考えなくてはならない。

 そう思ったとたん、キュリオの顔からは笑みが消え、アオイを抱く腕に力がこもる。 


(……娘をもつ父親は大変だな。この気持ちをどう抑えているのだろうな……)

  
 七月七日の星祭りのような節句がない悠久の国。
 もしもこの国に、年に一度出会える織姫と彦星の言い伝えがあったとしたら――
 愛する娘(アオイ)に婿をと引き合わせることなど絶対に無いが、そんな男が居たとしても宇宙の彼方に追いやってふたりの間には天の川ならぬキュリオ王が立ちふさがっているという語りになるだろうことは強(あなが)ち有り得ない話でもなかった――。

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