【第二章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を
現在が穏やかで恵まれているからといって、過去に多くの犠牲があったことを悠久の王は肝に銘じなくてはならない。だからこそキュリオのヴァンパイア嫌いは至極当然のことで、悠久の民を格好の獲物としか見ていない奴らに理解を示すことなど不可能なのだ。
(都合のいい言葉で片付けてしまえばこれらは"試練"というのだろうな。世界が均衡を保つために"犠牲"になったのは罪のない民だというのに――)
「くしゅんっ」
知らず知らずのうちに眉間に皺を寄せていたキュリオは、腕の中の赤子の愛らしいくしゃみでようやく我に返った。
「……!」
弾かれたようにアオイへと視線を戻し、キュリオは慌てたように自身の羽織で赤子を包み込む。
「すまないアオイ、体が冷えてしまったな」
羽織の上から小さな体を擦るように優しく繰り返し撫でると、急いで室内へと戻りバルコニーのガラス戸を閉める。
このまま寝間着に着替えさせるのならば、もう一度湯浴みをしてしまおうと考えたキュリオはそのまま湯殿へと向かう。
アオイを胸に抱いて歩きながら身に纏う衣を脱いでいく所作は相変わらず美しく上品だ。
羽織が肩から滑り落ちていくと銀の長い髪が白波のように揺れて流れ、帯を解くとそのしなやかな肢体が徐々にあらわになっていく。それと同時に愛娘の衣を脱がせながら次第に触れ合う肌の面積が増えていくと、その心地よさにキュリオとアオイは見つめ合い笑顔が零れる。
あたたかな湯気の漂う湯殿へと足を踏み入れれば、靄の広がる夜空にも似た風景が目の前に開ける。ぼんやりと光る湯の中のオブジェや高い天井を揺蕩う光の粒子がアオイの目をいつも楽しませてくれる。
慣れ親しんだ湯に身を沈めていきながら少しずつアオイの体に手で掬った湯をかけて慣らしていく。自身が腰を落ち着ける頃にはアオイがどのような姿勢で落ち着くかをほぼ見極めており、ややもすれば眠気が勝ってしまいそうなときは終始キュリオが腕に抱き、元気が有り余っているときは彼の膝の上に支えてもらいながら立っていることが多い。
そして今夜は――
「うん? どうやら私の小さなプリンセスはまだ遊び足りないらしい」
濡れた手で美しい銀の髪をかき上げたキュリオのこめかみ辺りに湯水がツゥと流れた。万人がうっとりするような切れ長の瞳が寄越す視線も、ドキリとする妖艶な仕草もこの赤子が理解するにはまだまだ長い時間が必要だった。
「んぅーっ!」
真ん丸な瞳と唇が楽しそうに弧を描いて手足を動かすアオイにキュリオはふとあることに気づく。
「だいぶ脚力が付いてきたようだね。そろそろ摑まり立ちができる時期に差し掛かっているかもしれないな」
日々アオイの成長を全身で感じているキュリオだからこそわかる僅かな変化。
近頃ではアレスとカイの小競り合いが始まると、ふたりの顔を見比べながら楽しそうに声を上げているアオイの姿をよく目にし、キュリオの声に対するアイコンタクトもかなり増えたように感じる。
――人の世界で言う、七五三のようなこの成長を願う特別な行事は悠久の国に存在していない。
子が無事育つのも、老若男女が分け隔てなく長寿をまっとうするのもすべて王の力により約束されているようなものなので不安を抱える民はほとんどいないのだ。
<慈悲の王>の力は怪我や病を治し、浄化し護る力であり悠久の大地を巡るキュリオの力で満ち足りているため、小さな怪我などを手当する知識はあっても、この国には医療技術という人の手を借りた治療法は皆無に近い。
逆を言えば王で支えられている悠久の国から王が居なくなることは絶望を意味する。
いくら魔導師や剣士がいるといって、ヴァンパイア相手に戦える者がどれほどいるだろう? そして、怪我を治癒することができる魔導師が居ようとも、キュリオのように一瞬でこの国の民すべてを癒すことなど不可能なのだ。悠久の魔導師や剣士が全員集まってもキュリオの足元にも及ばないこの国は王を失ったら一瞬で崩れ去ってしまう。
王がすべてを支えている国は<悠久の国>くらいのものである。だが、<精霊の国>や<ヴァンパイアの国>のように好戦的な種族が暴走して他国を攻めようとすることもあるため、特にエクシスやティーダはそれらを制御するためにも無くてはならない存在なのだ。さらに、力のある精霊やヴァンパイアが束になってかかってきても玉砕できるほどの力を王は誇示し続けならなくてはならない。それが関係しているかどうかはわからないが、歴代の精霊王たちはそのほとんどが上位王として君臨しており、他国からも恐れられる国のひとつとして常に名があがるほどだった。
民が力を持たないために王が強くある場合と、自国の民らを制御するために王が強くある場合。キュリオらの世界ではその線引きがはっきりしているように思えるが、もうひとつの世界ではどうだろう――?
(都合のいい言葉で片付けてしまえばこれらは"試練"というのだろうな。世界が均衡を保つために"犠牲"になったのは罪のない民だというのに――)
「くしゅんっ」
知らず知らずのうちに眉間に皺を寄せていたキュリオは、腕の中の赤子の愛らしいくしゃみでようやく我に返った。
「……!」
弾かれたようにアオイへと視線を戻し、キュリオは慌てたように自身の羽織で赤子を包み込む。
「すまないアオイ、体が冷えてしまったな」
羽織の上から小さな体を擦るように優しく繰り返し撫でると、急いで室内へと戻りバルコニーのガラス戸を閉める。
このまま寝間着に着替えさせるのならば、もう一度湯浴みをしてしまおうと考えたキュリオはそのまま湯殿へと向かう。
アオイを胸に抱いて歩きながら身に纏う衣を脱いでいく所作は相変わらず美しく上品だ。
羽織が肩から滑り落ちていくと銀の長い髪が白波のように揺れて流れ、帯を解くとそのしなやかな肢体が徐々にあらわになっていく。それと同時に愛娘の衣を脱がせながら次第に触れ合う肌の面積が増えていくと、その心地よさにキュリオとアオイは見つめ合い笑顔が零れる。
あたたかな湯気の漂う湯殿へと足を踏み入れれば、靄の広がる夜空にも似た風景が目の前に開ける。ぼんやりと光る湯の中のオブジェや高い天井を揺蕩う光の粒子がアオイの目をいつも楽しませてくれる。
慣れ親しんだ湯に身を沈めていきながら少しずつアオイの体に手で掬った湯をかけて慣らしていく。自身が腰を落ち着ける頃にはアオイがどのような姿勢で落ち着くかをほぼ見極めており、ややもすれば眠気が勝ってしまいそうなときは終始キュリオが腕に抱き、元気が有り余っているときは彼の膝の上に支えてもらいながら立っていることが多い。
そして今夜は――
「うん? どうやら私の小さなプリンセスはまだ遊び足りないらしい」
濡れた手で美しい銀の髪をかき上げたキュリオのこめかみ辺りに湯水がツゥと流れた。万人がうっとりするような切れ長の瞳が寄越す視線も、ドキリとする妖艶な仕草もこの赤子が理解するにはまだまだ長い時間が必要だった。
「んぅーっ!」
真ん丸な瞳と唇が楽しそうに弧を描いて手足を動かすアオイにキュリオはふとあることに気づく。
「だいぶ脚力が付いてきたようだね。そろそろ摑まり立ちができる時期に差し掛かっているかもしれないな」
日々アオイの成長を全身で感じているキュリオだからこそわかる僅かな変化。
近頃ではアレスとカイの小競り合いが始まると、ふたりの顔を見比べながら楽しそうに声を上げているアオイの姿をよく目にし、キュリオの声に対するアイコンタクトもかなり増えたように感じる。
――人の世界で言う、七五三のようなこの成長を願う特別な行事は悠久の国に存在していない。
子が無事育つのも、老若男女が分け隔てなく長寿をまっとうするのもすべて王の力により約束されているようなものなので不安を抱える民はほとんどいないのだ。
<慈悲の王>の力は怪我や病を治し、浄化し護る力であり悠久の大地を巡るキュリオの力で満ち足りているため、小さな怪我などを手当する知識はあっても、この国には医療技術という人の手を借りた治療法は皆無に近い。
逆を言えば王で支えられている悠久の国から王が居なくなることは絶望を意味する。
いくら魔導師や剣士がいるといって、ヴァンパイア相手に戦える者がどれほどいるだろう? そして、怪我を治癒することができる魔導師が居ようとも、キュリオのように一瞬でこの国の民すべてを癒すことなど不可能なのだ。悠久の魔導師や剣士が全員集まってもキュリオの足元にも及ばないこの国は王を失ったら一瞬で崩れ去ってしまう。
王がすべてを支えている国は<悠久の国>くらいのものである。だが、<精霊の国>や<ヴァンパイアの国>のように好戦的な種族が暴走して他国を攻めようとすることもあるため、特にエクシスやティーダはそれらを制御するためにも無くてはならない存在なのだ。さらに、力のある精霊やヴァンパイアが束になってかかってきても玉砕できるほどの力を王は誇示し続けならなくてはならない。それが関係しているかどうかはわからないが、歴代の精霊王たちはそのほとんどが上位王として君臨しており、他国からも恐れられる国のひとつとして常に名があがるほどだった。
民が力を持たないために王が強くある場合と、自国の民らを制御するために王が強くある場合。キュリオらの世界ではその線引きがはっきりしているように思えるが、もうひとつの世界ではどうだろう――?