【第二章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を
灯のともる街並みを眼下にいくつもの輝きと暗闇を抜けていくと、淡く光を湛えて聳え立つ巨大な悠久の城が見えてきた。
(アオイはまだ起きているだろうか……)
早くに食事と湯浴みを終えた夜は、キュリオとベッドで戯れていることが多い。
アオイが眠くなればそれに合わせてキュリオも就寝し、アオイが眠くならなければ夜の中庭を散策することもある。
この時分ならば湯浴みをしている可能性が高いが、果たして誰がその役を担っているのだろう? と、自身が不在であるときの役回りが急に気になり始めた。
「……ダルドの可能性もあるな」
愛娘を可愛がって貰えるのは親として嬉しい限りだが、娘をもつ父親としては些か複雑である。
ダルドにやましい気持ちなどあるわけがないが、もし湯浴みをさせるとしたらアオイがいくつになるまで許すべきか? 細かい取り決めが必要だなと悩みながらあっという間に城の敷地内へと舞い降りる。
銀色の光を放ったキュリオの姿を目にした数人の門番たちが、王の帰還を知らせる声をあげた。
「お帰りなさいませ! キュリオ様!」
その声に城の扉が大きく開かれ、両脇に並んだ従者たちが恭しく一礼しながら迎えに出た。
「お帰りなさいませ。キュリオ様」
いつもアオイの世話を担っている女官が進み出てキュリオの指示を待っている。
「君がアオイを連れていないということは……アオイはダルドと一緒かい?」
「はい。姫様とダルド様はすこし前から"水の間"にいらっしゃいますわ」
目を細めて緩やかな弧を描く女官の口元からは、アオイやダルドの一日がとても穏やかであったことを物語っている。
「……そうか。珍しい場所にいるな」
しかし、わずかに眉間に皺を寄せたキュリオの心中は穏やかではない。
嫌な予感に急ぐ気持ちを抑えながら案内する女官のあとについていく。
(水の間は必要な者にとって極めて意味のある部屋だ。しかし……)
"水の間"は、部屋の名からは想像もつかない魔法が施されている。
水の波紋のように、人の無意識下にある深層部分へまるで一石を投じるように……眠った記憶を思い出させる複雑な術式の施された部屋であり、どの王が何のために創ったのかさえ不明な不思議な部屋のひとつである。
そしてキュリオはあまり立ち入ったことがないあげく、アオイを連れて入ることを意図的に拒んでいた。
(お前を捨てた親のことなど思い出す必要はない。お前は私の娘だ)
何事も起きていないことを祈りながら滅多に足を踏み入れない城の奥へと歩みを進める。
すると、角を曲がったところで付き人の侍女が数歩離れた場所におり、その先に白銀の人型聖獣が幼子を抱いて窓の外を眺めている姿が見えた。
「ダルド、アオイ」
彼らを呼ぶ声は冷静さを保ちながらも、ふたりの表情に注視するキュリオ。
「キュリオ」
足早に近づいてきた銀髪の王にいつもと変わらぬ人型聖獣と……
「……」
ダルドの胸の中で俯き加減のアオイの表情は明らかにいつもと違った陰りがみえる。
「アオイ?」
当のアオイは二言目のキュリオの声にも反応を見せず、ダルドに抱かれたままキュリオに頬を撫でられてようやく顔を上げた。
「……」
視線が絡むと、瞬きもせずキュリオの瞳を数秒見つめたアオイは我に返ったように辺りを見回し、ダルドの呼びかけにも驚いたように顔を見上げている。
「…………」
(……既に起こってしまったようだな……)
無念さを露にしたキュリオは撫でていたアオイの頬から手を離し、己の拳を強く握る。
水の間へ視線を移したキュリオ。いまは静かに閉じている水を模した装飾の施された扉へ近づくと、形のよい口の端からは力を持った言葉呟かれた。すると、キュリオの翳した手は眩い光を帯びて、部屋全体を包むヴェールが結界となって瞬く間に広がっていく。この先、成長したアオイが錠のないこの部屋へ決して立ち入らぬように――。
(この部屋を創造した王が錠を作らなかったのには意味があるのかもしれない。しかし……人には知らぬままでいた方が幸せであることもある)
(アオイはまだ起きているだろうか……)
早くに食事と湯浴みを終えた夜は、キュリオとベッドで戯れていることが多い。
アオイが眠くなればそれに合わせてキュリオも就寝し、アオイが眠くならなければ夜の中庭を散策することもある。
この時分ならば湯浴みをしている可能性が高いが、果たして誰がその役を担っているのだろう? と、自身が不在であるときの役回りが急に気になり始めた。
「……ダルドの可能性もあるな」
愛娘を可愛がって貰えるのは親として嬉しい限りだが、娘をもつ父親としては些か複雑である。
ダルドにやましい気持ちなどあるわけがないが、もし湯浴みをさせるとしたらアオイがいくつになるまで許すべきか? 細かい取り決めが必要だなと悩みながらあっという間に城の敷地内へと舞い降りる。
銀色の光を放ったキュリオの姿を目にした数人の門番たちが、王の帰還を知らせる声をあげた。
「お帰りなさいませ! キュリオ様!」
その声に城の扉が大きく開かれ、両脇に並んだ従者たちが恭しく一礼しながら迎えに出た。
「お帰りなさいませ。キュリオ様」
いつもアオイの世話を担っている女官が進み出てキュリオの指示を待っている。
「君がアオイを連れていないということは……アオイはダルドと一緒かい?」
「はい。姫様とダルド様はすこし前から"水の間"にいらっしゃいますわ」
目を細めて緩やかな弧を描く女官の口元からは、アオイやダルドの一日がとても穏やかであったことを物語っている。
「……そうか。珍しい場所にいるな」
しかし、わずかに眉間に皺を寄せたキュリオの心中は穏やかではない。
嫌な予感に急ぐ気持ちを抑えながら案内する女官のあとについていく。
(水の間は必要な者にとって極めて意味のある部屋だ。しかし……)
"水の間"は、部屋の名からは想像もつかない魔法が施されている。
水の波紋のように、人の無意識下にある深層部分へまるで一石を投じるように……眠った記憶を思い出させる複雑な術式の施された部屋であり、どの王が何のために創ったのかさえ不明な不思議な部屋のひとつである。
そしてキュリオはあまり立ち入ったことがないあげく、アオイを連れて入ることを意図的に拒んでいた。
(お前を捨てた親のことなど思い出す必要はない。お前は私の娘だ)
何事も起きていないことを祈りながら滅多に足を踏み入れない城の奥へと歩みを進める。
すると、角を曲がったところで付き人の侍女が数歩離れた場所におり、その先に白銀の人型聖獣が幼子を抱いて窓の外を眺めている姿が見えた。
「ダルド、アオイ」
彼らを呼ぶ声は冷静さを保ちながらも、ふたりの表情に注視するキュリオ。
「キュリオ」
足早に近づいてきた銀髪の王にいつもと変わらぬ人型聖獣と……
「……」
ダルドの胸の中で俯き加減のアオイの表情は明らかにいつもと違った陰りがみえる。
「アオイ?」
当のアオイは二言目のキュリオの声にも反応を見せず、ダルドに抱かれたままキュリオに頬を撫でられてようやく顔を上げた。
「……」
視線が絡むと、瞬きもせずキュリオの瞳を数秒見つめたアオイは我に返ったように辺りを見回し、ダルドの呼びかけにも驚いたように顔を見上げている。
「…………」
(……既に起こってしまったようだな……)
無念さを露にしたキュリオは撫でていたアオイの頬から手を離し、己の拳を強く握る。
水の間へ視線を移したキュリオ。いまは静かに閉じている水を模した装飾の施された扉へ近づくと、形のよい口の端からは力を持った言葉呟かれた。すると、キュリオの翳した手は眩い光を帯びて、部屋全体を包むヴェールが結界となって瞬く間に広がっていく。この先、成長したアオイが錠のないこの部屋へ決して立ち入らぬように――。
(この部屋を創造した王が錠を作らなかったのには意味があるのかもしれない。しかし……人には知らぬままでいた方が幸せであることもある)