【第二章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を
 ――そして時同じくして。
 
 廃墟と化した城の一室で浅い眠りから冷めた着物を着た青年が勢いよく上体を起こした。

「……っ! はぁっはぁ……」

 呼吸は荒いものの、青年は悪夢を見ていたわけではない。
 遠い昔、彼の故郷では焼け野原になってしまうほどの大規模な火災が起きた。そして、そこで救出したひとりの少女との出会いから彼の物語は幕を開けることとなる。
 彼女と出会わなければ悪夢と化していたその出来事も、いまとなっては決して忘れることのできない運命の一日だったとわかる。

(まだ感覚がある)

 青年の瞳は己の左手を見つめた。もしかしたらこれは彼女を求めるあまりに自身が作り出した感覚なのかもしれない。だが、最近となっては夢にさえ出てくることのなかった彼女が姿を見せてくれたことに体は震える。
 
 廃れた外観からは想像できないほどに城の内観は美しく、広い部屋の一角から流れる小さな滝が清らかな飛沫をあげて涼し気な風を行き渡らせている。
 寝床から出た青年は上着を羽織ると、とめどなく流れる心地よい滝の傍まで導かれるように足を向けた。

 仙水の力が行き渡るこの城では流れる水も風も皆浄化され、自然界では存在しない聖なる力を秘めて滞りなく流れ続けている。
 いつもと変わらぬように見えるその輝きも、この青年の瞳に映るそれは明らかに違い、心当たりのある彼の鼓動は大きく高鳴った。

「水が……」
 
 力を注がれたものにはその源となる者の個性が現り、仙水の力は気高く清らかで美しい。だがこの流水は――
 普段あまり感情を表に出さない青年だったが、その瞳は懐かしさと悲しみが入り混じって眉間に小さな皺を刻む。流水の輝きはまさに、彼女がここに存在していたころのような優しく愛にあふれたものだったからだ。
 
「……あの頃に戻れたら……っ……」

 悔しさに歪んだ美形の青年の顔。その頬には一筋の涙が伝い、着物の袖でそれを拭った彼は項垂れたまままだ夜が明けていない部屋の外へと力なく足を向けた。

「……? この光は――」

 扉を開けてそれは間もなく気づいた。
 いつもは暗闇に覆われた城内に光が差し込み、自身の影ができていることに気づく。

「雨? ……なぜ月が……」

 崩れかけている支柱の傍から見える清らかな光と小さな水の粒。
 誰かの力を借りなければ明けることのない分厚い雲。普段より雷鳴が轟き、日の光も月の光も差し込まない闇に染まった世界。
 雨が降ったとしてもそれはどす黒い……この世界の民によって穢され、引き起こされた異変が齎した猛毒の雨のはずだ。

「浄化の光と雨だ」

 誰よりも月の光が似合う漆黒の男が立っていた。
 地につくほどに長い黒髪が雨に濡れて艶やかに輝いている。

「わずかだが彼女の気配を感じた。何かが起きる前兆かもしれぬ」

「……っ彼女の夢を見た。出会ったあの日……あの炎の中の彼女がっ……」

「…………」

 肩を震わせる青年の声に、月を仰いでいた九条の瞳が大和へと向けられる。
 彼女の夢を見たという大和の話と、わずかな気配。そしてこの奇跡のような光景が偶然とはとても思えない彼は静かに瞳を閉じた――。



”本当に面白い仕掛けだ。歴代の王の中でも屈指の<精霊王>の力を秘めた部屋か……。小さなプリンセスが導かれるのは誰の運命だろうね。……いや、彼女自身の運命と言うべきか……”

(どちらにせよ<悠久の王>に勝算はない。キュリオは悲しむだろうが、彼女の運命はそんなに生ぬるいものではないのだ)

 光に包まれた青年の姿が月よりも眩く輝く。
 キュリオにさえ見せなかったその素顔が月にかかる雲が晴れるように明らかになっていく。


”誰かが死ぬまで終わらない戦いはすでに始まっている”
 

 一際強い風が青年の髪を揺らし露わになった美しく真白き肌。
 <初代王>である彼の神秘的な瞳は、何者をも寄せ付けぬ聖なる太陽の輝きを宿していた――。

< 98 / 168 >

この作品をシェア

pagetop