足踏みラバーズ
警察の人の話によると、恵美と百合子が一悶着あった、という話だった。
会社で恵美が俺との関係が切れたことが発端で百合子に平手打ちをしたというところまでは、やはりヒステリックな女だと呆れるほかなかったが、百合子が怪我をしたと聞かされて気が気ではなくなった。
「それで、百合子は大丈夫なんでしょうか」
こうなることを避けるためにとったはずの自分の行動は裏目に出てしまい、冷や汗が止まらない。
「怪我と言っても軽症です。頬に切り傷ができてしまったようで。お相手の爪が掠ってしまったようですよ」
大したことはない、大丈夫だと、諭されても落ち着かない。
警察沙汰にするつもりもなかったが、やはり同じビル内で勤務するにあたって、しこりが残ることを懸念して念のため、という話だった。
被害届も出していないし、今回限りは警告で済むらしい。
軽症と言えど人を傷つけたことに変わりはない。
それだけは、警告で済むと言っても仕事として理由を聞かないわけにはいかず、自分の名前が出たというのも説明されたが、もはやその話は頭に入ってこなかった。
百合子の顔を見ないと安心できない。
会社への説明もそこそこに、百合子のもとへと気が逸る。インターホンを鳴らしても、ちっとも反応がなくて落ち込んでいるのかもしれない。
そんな思いが目まぐるしく回って、立っているのもしんどい。
思わず、エントランスの前にしゃがみこんだ。
どれくらい時間が経っただろうか。気づけば身体も冷え切っていた。
今さら携帯で電話する、なんて基本の連絡手段を思いついたが、手がかじかんで、おまけに寒さのせいかスマホの電池もなくなっていた。
「あれ? なんでいるの?」
寝込んでいると思っていた百合子が、目の前に立っていた。
俺の心配をよそにけろっとしていて、マスクをしていて目元しか見えていなかったが、それでも笑っているのがわかった。
隣の男が誰なのかなんて考える余裕もなく、冷え切ってだるいはずの身体は、吸い込まれるように百合子の身体を覆っていた。
もぞもぞと、腕から逃れようとしていたが、今は放してやれない。
こいつの体温が感じられて、頭やっと頭が回転し始めた。