足踏みラバーズ
何? と視線を合わせると、両手を広げて、こっち、と一言、口にした。
少しだけ、迷いが生じて固まった。
それまで軽口を叩いていた私が、ぴたりと動きを止めるなんて、わかりやすいを通り越して、もはやばかみたいだ。
滑稽さを演じるピエロにもなれやしない。
「……これっきりだよ」
瑞樹の腕の中は、ごつごつしてお気に入りのクッションみたいに柔らかくないのに、こんなにも大きくて温かい。
クールを装って、本当は誰より傷つきやすくて繊細な、不器用な、優しい人。
私という薄っぺらい人間に、人間味をくれた人。
「……瑞樹は、すごいね」
何がだよ、と話す肩口が熱い。肩にのせた瑞樹の頭の重みを、今だけは、感じていたい。
「お金払ってないのに、欲しいもの全部くれる」
「……ふっ、何だそれ」
「好きだって、言ってくれて嬉しかった」
「……や」
「今まで本当にありがとう」
「……ん」
「ほんとにほんと好きだった!」
百合子、と強く力が込められた。
今なら死んでもいいと言う瑞樹に、バカ、と頭を叩いた。
背中に伝わる熱も、痛みも、優しさも、全部持って歩いていこう。重いけど、持てない荷物じゃないはずだ。
肩がじわっと熱くなる。熱いけど、濡れたシャツが冷えていく。伝われ伝われ、と力いっぱい抱きしめた。
しばらくすると、くく、と肩を震わせる瑞樹に首を傾げる。
柔らけえな、と胸に顔を埋めた瑞樹を叩いてやった。誰のせいだよ、と笑ったけど、まだ彼の目には涙が浮かんでいた。
このドアが閉まったら、もう瑞樹に会うこともないかもしれない、と靴を履く瑞樹を見つめる。
見んなよ、と口悪く言っていたけど、今回だけは大目に見てよ。
「蒼佑とちゃんと話せよな」
「……うん」
ドアノブに手を掛ける瑞樹を、固唾をのんで、じっと見る。最後に一個、忠告な、と前髪を撫でられた。
「お前は隙がありすぎる。気をつけろ。わかんなくても、わかるようになれ」
「は、えっと、はい」
「あとな、人の女になったんなら、もてない努力をちゃんとしろ」
「う、うん? ……ていうか、一個じゃないじゃん」
「わり、許せよ。……じゃあな」
ぐしゃぐしゃと頭をかき回されて、扉を開ける。
最後に見る瑞樹の姿が背中なのはなんだかな、と考えていると、そういうとこだからな、と隙間から意地悪な笑みを向けられた。
パタン、と閉まるドアの音が、耳の中に木霊する。
彼を傷つけた代償は、思っていたよりずっと大きい。
人を傷つけるのは怖い。それが、大事な人であればあるほど。
大切にしまって、笑顔をアルバムに収めたいけど、きっと笑って去るのは難しい。
でも、瑞樹は意地悪そうに笑っていた。やっぱり瑞樹はどんな時も、一枚上手だ。
瑞樹の涙が乾ききる前に、またシャツを塗らしてしまった。ぼたぼたと、梅雨入りの雨よりも勢いよく。
私の、初めての恋だった。