妖狐の花嫁
『はーなっ!』
───昨日の、咲が私の名前を呼ぶ声が
私の頭の中に 静かに響いた。
彼に記憶を消されてしまった以上
もう2度と…咲が私のことをそう呼ぶことはない。
改めてそれを認識した瞬間
今までズキズキと痛んでいた胸が
───ドクンッ!と 大きく鳴った。
「っ……?!」
この感覚が何なのか
今の私にはハッキリと 分かった。
……でも、何で?
今ここに
黒田くんはいないのに───っ。
(っ……まだ、ドクドク言ってる…。)
私は痛む心臓を掴むように
自分の胸を手で押さえる。
どうして…どうしてこんな時に
『共鳴』が…起こるの───?
「………華?」
そんな私の様子に気づいたのか、
仁さんが私の名前を呼んで 近づいてくる。
「───っ!」
そして
仁さんは私の隣にしゃがみ込んで、
私の顔を覗き込むと
静かに 息を飲んだのが分かった。
私は痛む心臓に耐えるように
必死に息を吸って、呼吸をする。
……何なの、これ……。
(っ……治れ、治れ…!)
強く、心の中でそうで唱え続ける。
すると段々と痛みが弱まってきて、
そして直に…元に戻った。
「…はぁ、はぁ……っ。」
「………。」
私の隣で
優しく背中をさすってくれていた仁さん。
私が落ち着いてきたのを見て
彼は静かに目を伏せて、
それから私に聞こえないような小さな声で
何かを呟いた。
「え…?何ですか、仁さん…?」
「………何でもない。」
私は仁さんに聞き返すけど
仁さんは再びそれを言うことはなく、
そのまま立ち上がる。
「少しそこで休んでろ。
屋敷から水を持ってくる。」
そして私にそう告げて
狼達に
私のそばを離れないよう命令すると、
仁さんは 森の中へと行ってしまった。