恋してバックスクリーン
そんな私の手をそっと握ると、寿彦さんがコーポの階段を昇っていった。足音がカツンカツンと、静かな夜に響いた。

いつものように鍵を開けて、中に入った。玄関で後ろ手に鍵を閉めたとたん、寿彦さんが私を強く抱きしめた。

「寂しい思いをさせて、悪かった」

そうやない、そうやないの。私が泣いている理由は……。

でも、私がなにも言わなければ。浮気を見て見ぬふりをすれば。寿彦さんは私を抱きしめてくれるのかな?

寿彦さんの胸の鼓動を聞いていると、浮気のことはどうでもよくなった。寿彦さんに抱かれているときが、いちばん幸せなんやから。

私をそっと胸から離すと、優しい口づけをくれた。

「焼肉くさくて、ごめん」

……なんて、珍しくそんな気遣いを見せてくれるから、また寿彦さんを愛しく思った。

「お風呂、入ろう?」

「うん」

あれは、一夜の過ち。もしくは、出てきた部屋を私が勘違いした。

そう考えるようにしよう。私は目の前の、小さな幸せだけを大切にすればいいんやから。

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