恋してバックスクリーン
ほんの少しのイライラと、胸を締めつけられるようなドキドキを混ぜたような、複雑な心境で駅に向かった。

流星区にある職場までは、電車と地下鉄を乗り継ぎ、約一時間。ひとり暮らしのときは、職場まで三十分弱のところに住んでいた。職場までの近さより、寿彦さんと同棲することを選んだのに、浮気をされたり、疑われたり……。

私、よかったのかな? 寿彦さんを選んでよかったのかな……。寿彦さんは、よかったのかな? 私なんかを選んでよかったのかな……。

そんなことを考えてしまう自分に、嫌気がさした。うつむくと、涙が出そうになって、満員の通勤電車の中、えさを求めて池から顔を出す鯉のように、精いっぱい上を向いた。

「おはよう! 奇遇だね」

地下鉄までの道を急ぐ私の肩を、ポンと叩く。振り向くと、加茂さんが笑っていた。

「おはようございます」

一応、得意先の方だから。と、にこやかに挨拶をした。流星区役所は、地下鉄で二つ目の駅。うちの職場はその隣の駅だ。偶然会っても不思議はない。

「いつもこれくらいの時間?」

「いいえ。いつもはもう少し、遅いです」

「そうか。営業さんは大変だね」

「仕事に楽なものは、ないと思います」

あんまり関わりたくなくて、クールな返事をした。でも、逆にそれが加茂さんには受けたのか、はははと笑った。

「今夜、飲みに行かない?」

「今日は、職場の飲み会で……」

「そうなんだ? あの近辺にお店、あるの?」

流星区役所の人なのに、知らないなんて意外だった。

「豆富庵って言う、豆腐の創作料理屋。今夜、そこで飲み会なんですが、オススメですよ」

「豆富庵ね。教えてくれてありがとう」


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