オカルト研究会と龍の道
幕間1 姫野栞
「よし、ここはオッケー……うん、ここもいい。あとは……」
卓上に置かれた印刷物に素早く目を走らせながら、生徒会副会長の姫野栞はチェックを終えた個所に赤ペンで素早くチェックを入れていく。
優馬たちが病室にいるのと時を同じくして、生徒会室は夏休みにも関わらず生徒会役員たちでごった返していた。
生徒会長だけは教員との打ち合わせで席を外しているが、だからと言ってヒマになるわけもなかった。ある者はパソコンのキーボードをせわしなく叩き、またある者は大量の紙資料を蛇腹折りにしながらファイルに綴じ込んでいる。
栞はというと、生徒会長から頼まれていた資料の最終チェックに没頭していた。
そこへ生徒会長が戻ってくると、気付いた何人かの役員たちが軽い会釈で部屋の主人を出迎えた。が、栞はチェック作業に集中していて生徒会長がやってきたことに気づく様子はない。
それを見た生徒会長は、とびきりの悪戯を思いついた子どものような表情をすると周囲に向けて口に人差し指を立て役員たちを見回した。素早く生徒会長の意図を察した役員たちが自分の作業へ戻っていく中、生徒会長だけは栞のすぐ横まで忍び寄りそのまま息をひそめた。
「……さて姫野君、頼んでおいた報告資料の進捗はどうだ?」
「た、滝上会長!」
たっぷりの間をおいてから声をかけた生徒会長に、栞は驚きの表情を隠すこともできないまま勢いよく顔をあげた。
「お戻りになられたんですね。……ええ、順調です。あとは最終チェックが終われば完成です」
一呼吸おいてようやく落ち着きを取り戻した栞は、今にも吹き出しそうに笑いを堪えている生徒会長に首を傾げた。
「なにかおかしいですか?」
生徒会長の態度を自分への批判と受け取った栞は、分からないことが恥ずかしいことであるかのように遠慮がちに問いかける。けれども生徒会長はそんな栞の反応に堪え切れずくっくと笑いを漏らした。
「まさか。ちょっとからかってみたくなっただけさ。君があんまり真剣にやっているものだからな。二、三分前からここに立っているんだが、気付かなかっただろう?」
周囲の役員たちから押し殺した笑い声が上がると、一瞬遅れて栞の頬に朱が差す。落ち着きのない身ぶりで髪を弄りながら、熱く火照る耳を髪で覆い隠した。
「み、見ていたんですか?」
恨めし気な視線で見上げると、生徒会長は降参とばかりに両手を上げ苦笑いを浮かべた。
「いや、あんまり姫野君が真剣にやってるものだからね。ついからかいたくなってしまった。すまない」
「あ、いえ」
栞はまだ手に持ったままだったボールペンを資料の横に両手で置くと、改めて姿勢を正し生徒会長の方へと向き直った。
「しかし、早いものだな」
生徒会長は顔を上げ、懐かしむように目を細めながら生徒会室をぐるり見回した。棚にしまわれたファイルやCDラックなど、部屋のそこかしこにこの一年で得た成果が納められている。生徒会の活動によって購入できた物品や改善することのできた規則、獲得した予算などは、生徒会長自身が学校を去ってからも生徒たちにとっての恩恵となって残り続ける。
「生徒会長の任期を終えるまで二ヶ月を切った。ついこのあいだ就任したばかりと思っていたが、過ぎてしまえばあっという間だったな」
「それだけ充実していた、ということではないでしょうか」
「だといいが」
微かに眉をひそめる生徒会長の表情には、栞の言葉を打ち消すかのように憂いが漂う。
「そう言えば、姫野君も生徒会に入ってからかれこれ一年以上になるのか」
「はい。私が生徒会に入ったのは高校に入学してすぐですから」
「あの頃の俺はまだ副会長だった。姫野君においてはまだ役職すらない、生徒会のメンバーの一人でしかなかったわけだが」
生徒会長は七瀬に向けている視線をふっと和らげ、眩しいげに目を細めた。
「それが今や押しも押されぬ次期生徒会長候補の筆頭だ。タスキを繋ぐ者として鼻が高い」
「あの、滝上会長」
「何だ?」
「心残りはないんですか?」
栞ははっとして、両手で口を塞いだ。
「いえ、何でもないです。忘れてください」
「どうした。姫野君が取り乱すとは、珍しいじゃないか」
言葉とは裏腹に、生徒会長は楽しげに表情を緩ませている。
「そんなこと……そんなことはありません」
「ふぅん? まあいいが」
生徒会長は栞の表情に一瞬だけ怪訝な表情を見せたものの、それ以上の詮索はせずテーブルの上に視線を落としながら目を細め、しばしのあいだ黙りこんだ。
「そうだな。俺の力でやれることはほぼ全てやりきった。後は」
「オカルト研究会ですか?」
「そうだ」
栞が先んじて答えると、生徒会長は大きくうなずいた。
「オカルト研だけは何としても見過ごせん。奴らをのさばらせておくことは、この学校のためにならない上にこの町にとっても災いだ。奴らだけは俺の任期中に何としてでも決着をつける。なに、姫野君が心配することは何もない。何としてでも最善の状態で生徒会を引き継いでみせるさ」
そう言って生徒会長は栞の肩を軽く叩いた。
「だが俺一人にできることには所詮限りがある。だからこそ後を頼める後継者として姫野君を育ててきたつもりし、姫野君もまた見事に俺の期待に応えてくれた。生徒会長として後を継いでくれれば、俺から言うことはもう何もない」
栞は即座に返答を返すことができなかった。日頃から人にも自分にも厳しく、また自信家でもあるがゆえに人を褒めるということが滅多にない。
傲岸不遜を地で行く生徒会長が手放しに褒めるということは、もはや絶賛と言ってよかった。これがどれほどのことなのか。嬉しさを通り越して照れくさいものを感じずにはいられない。
「あの、どうしてそこまでオカルト研究会に拘るのですか?」
咄嗟に話題を逸らしたつもりが、栞のたったの一言で生徒会長は表情を硬化させていた。
「姫野君が関わるべき話ではない」
凍てつくような一言に、栞はぞくりと身体を強張らせた。
栞自身、ずっと心の奥に引っ掛かっている疑問に答えと言えるほどのものは何もない。代わりに、何とも言えない嫌な違和感があった。違和感は日を追うにつれて大きくなり、今となっては明確な形を持たないまま栞の心の中に強くわだかまっている。
「ですが」
「くどい」
吐き捨てられた言葉は簡潔ながらも容赦がなかった。鉄仮面のような顔からは一切の感情の揺らぎも感じられない。生徒会長のひょう変ぶりに、栞は反論することができなかった。
「余計なことを考える余裕があったら、目の前の仕事に集中しろ。君はただ俺の後任になるわけじゃない。この学校に通う生徒たち全ての代表として期待を背負い、応えなければならない。違うか?」
「……おっしゃる通りです」
そうとしか答えようがなかった。生徒会長に向かって言い返そうとしたものの、結局は何も言えないままだった。このような重苦しい状況であるにも関わらず、生徒会長は打って変わってこれまで見せたこともないほど柔和な表情で静かに微笑んでいたのだから。
日ごろ傲慢とさえ思える態度を隠そうともしない生徒会長のその表情に込められた想いがどれほどのものか。栞にはよく分かる気がした。分かるだけに、何を言うのも憚られた。一方で、心の奥から溢れ出てくる苦いものをどうすることもできなかった。
──俺は大丈夫だから心配するな。とにかく今は生徒会の活動だけを考えろ。
つまりそういうことなのだ。生徒会長は何かを隠している。しかもただことではない何かを。誰にも告げることなく、一人で背負い闘うことを既に心に決めている。分かってしまうが故に、栞の心は静かに引き裂かれていく。
──生徒会長選挙を理由に言い逃れするなんて、ずるい。
そう思いつつも、言い出すことはできなかった。
本音を言えば、すがってでもこれ以上の無理を止めさせたかった。けれども、同じかそれ以上の強さで、生徒会長の後を継ぐのは自分しかいないという自負をも感じていた。比べてみればほんの僅かしかない差が、栞に生徒会長を引きとめることを留めさせていた。
栞が黙っているのを納得と受け取った生徒会長は、早口でまくし立てる。
「分かってくれればそれでいい。姫野君は今度の生徒会選挙で当選して当たり前だ。であればもう一つ上を目指せ。生徒たちは無論のこと、教師たちの心をも自分の元へ手繰り寄せろ。あらゆる立場の人間から期待され、信頼される生徒会長になれ。もちろん容易ではない。だがいざそうなってしまえば物事はいとも容易く動くようになる。とにかく今は目の前の仕事に全力を注ぐんだ。次はいよいよ生徒会長選挙だ。全校生徒に向かって直接訴えかけられる機会など、そうそうあるものではない。自分に与えられるチャンスを逃がすなよ」
一気に言い切ると「少し風に当たってくる」とだけ伝え、栞の返事も聞かずに早足で部屋を出て行ってしまった。
卓上に置かれた印刷物に素早く目を走らせながら、生徒会副会長の姫野栞はチェックを終えた個所に赤ペンで素早くチェックを入れていく。
優馬たちが病室にいるのと時を同じくして、生徒会室は夏休みにも関わらず生徒会役員たちでごった返していた。
生徒会長だけは教員との打ち合わせで席を外しているが、だからと言ってヒマになるわけもなかった。ある者はパソコンのキーボードをせわしなく叩き、またある者は大量の紙資料を蛇腹折りにしながらファイルに綴じ込んでいる。
栞はというと、生徒会長から頼まれていた資料の最終チェックに没頭していた。
そこへ生徒会長が戻ってくると、気付いた何人かの役員たちが軽い会釈で部屋の主人を出迎えた。が、栞はチェック作業に集中していて生徒会長がやってきたことに気づく様子はない。
それを見た生徒会長は、とびきりの悪戯を思いついた子どものような表情をすると周囲に向けて口に人差し指を立て役員たちを見回した。素早く生徒会長の意図を察した役員たちが自分の作業へ戻っていく中、生徒会長だけは栞のすぐ横まで忍び寄りそのまま息をひそめた。
「……さて姫野君、頼んでおいた報告資料の進捗はどうだ?」
「た、滝上会長!」
たっぷりの間をおいてから声をかけた生徒会長に、栞は驚きの表情を隠すこともできないまま勢いよく顔をあげた。
「お戻りになられたんですね。……ええ、順調です。あとは最終チェックが終われば完成です」
一呼吸おいてようやく落ち着きを取り戻した栞は、今にも吹き出しそうに笑いを堪えている生徒会長に首を傾げた。
「なにかおかしいですか?」
生徒会長の態度を自分への批判と受け取った栞は、分からないことが恥ずかしいことであるかのように遠慮がちに問いかける。けれども生徒会長はそんな栞の反応に堪え切れずくっくと笑いを漏らした。
「まさか。ちょっとからかってみたくなっただけさ。君があんまり真剣にやっているものだからな。二、三分前からここに立っているんだが、気付かなかっただろう?」
周囲の役員たちから押し殺した笑い声が上がると、一瞬遅れて栞の頬に朱が差す。落ち着きのない身ぶりで髪を弄りながら、熱く火照る耳を髪で覆い隠した。
「み、見ていたんですか?」
恨めし気な視線で見上げると、生徒会長は降参とばかりに両手を上げ苦笑いを浮かべた。
「いや、あんまり姫野君が真剣にやってるものだからね。ついからかいたくなってしまった。すまない」
「あ、いえ」
栞はまだ手に持ったままだったボールペンを資料の横に両手で置くと、改めて姿勢を正し生徒会長の方へと向き直った。
「しかし、早いものだな」
生徒会長は顔を上げ、懐かしむように目を細めながら生徒会室をぐるり見回した。棚にしまわれたファイルやCDラックなど、部屋のそこかしこにこの一年で得た成果が納められている。生徒会の活動によって購入できた物品や改善することのできた規則、獲得した予算などは、生徒会長自身が学校を去ってからも生徒たちにとっての恩恵となって残り続ける。
「生徒会長の任期を終えるまで二ヶ月を切った。ついこのあいだ就任したばかりと思っていたが、過ぎてしまえばあっという間だったな」
「それだけ充実していた、ということではないでしょうか」
「だといいが」
微かに眉をひそめる生徒会長の表情には、栞の言葉を打ち消すかのように憂いが漂う。
「そう言えば、姫野君も生徒会に入ってからかれこれ一年以上になるのか」
「はい。私が生徒会に入ったのは高校に入学してすぐですから」
「あの頃の俺はまだ副会長だった。姫野君においてはまだ役職すらない、生徒会のメンバーの一人でしかなかったわけだが」
生徒会長は七瀬に向けている視線をふっと和らげ、眩しいげに目を細めた。
「それが今や押しも押されぬ次期生徒会長候補の筆頭だ。タスキを繋ぐ者として鼻が高い」
「あの、滝上会長」
「何だ?」
「心残りはないんですか?」
栞ははっとして、両手で口を塞いだ。
「いえ、何でもないです。忘れてください」
「どうした。姫野君が取り乱すとは、珍しいじゃないか」
言葉とは裏腹に、生徒会長は楽しげに表情を緩ませている。
「そんなこと……そんなことはありません」
「ふぅん? まあいいが」
生徒会長は栞の表情に一瞬だけ怪訝な表情を見せたものの、それ以上の詮索はせずテーブルの上に視線を落としながら目を細め、しばしのあいだ黙りこんだ。
「そうだな。俺の力でやれることはほぼ全てやりきった。後は」
「オカルト研究会ですか?」
「そうだ」
栞が先んじて答えると、生徒会長は大きくうなずいた。
「オカルト研だけは何としても見過ごせん。奴らをのさばらせておくことは、この学校のためにならない上にこの町にとっても災いだ。奴らだけは俺の任期中に何としてでも決着をつける。なに、姫野君が心配することは何もない。何としてでも最善の状態で生徒会を引き継いでみせるさ」
そう言って生徒会長は栞の肩を軽く叩いた。
「だが俺一人にできることには所詮限りがある。だからこそ後を頼める後継者として姫野君を育ててきたつもりし、姫野君もまた見事に俺の期待に応えてくれた。生徒会長として後を継いでくれれば、俺から言うことはもう何もない」
栞は即座に返答を返すことができなかった。日頃から人にも自分にも厳しく、また自信家でもあるがゆえに人を褒めるということが滅多にない。
傲岸不遜を地で行く生徒会長が手放しに褒めるということは、もはや絶賛と言ってよかった。これがどれほどのことなのか。嬉しさを通り越して照れくさいものを感じずにはいられない。
「あの、どうしてそこまでオカルト研究会に拘るのですか?」
咄嗟に話題を逸らしたつもりが、栞のたったの一言で生徒会長は表情を硬化させていた。
「姫野君が関わるべき話ではない」
凍てつくような一言に、栞はぞくりと身体を強張らせた。
栞自身、ずっと心の奥に引っ掛かっている疑問に答えと言えるほどのものは何もない。代わりに、何とも言えない嫌な違和感があった。違和感は日を追うにつれて大きくなり、今となっては明確な形を持たないまま栞の心の中に強くわだかまっている。
「ですが」
「くどい」
吐き捨てられた言葉は簡潔ながらも容赦がなかった。鉄仮面のような顔からは一切の感情の揺らぎも感じられない。生徒会長のひょう変ぶりに、栞は反論することができなかった。
「余計なことを考える余裕があったら、目の前の仕事に集中しろ。君はただ俺の後任になるわけじゃない。この学校に通う生徒たち全ての代表として期待を背負い、応えなければならない。違うか?」
「……おっしゃる通りです」
そうとしか答えようがなかった。生徒会長に向かって言い返そうとしたものの、結局は何も言えないままだった。このような重苦しい状況であるにも関わらず、生徒会長は打って変わってこれまで見せたこともないほど柔和な表情で静かに微笑んでいたのだから。
日ごろ傲慢とさえ思える態度を隠そうともしない生徒会長のその表情に込められた想いがどれほどのものか。栞にはよく分かる気がした。分かるだけに、何を言うのも憚られた。一方で、心の奥から溢れ出てくる苦いものをどうすることもできなかった。
──俺は大丈夫だから心配するな。とにかく今は生徒会の活動だけを考えろ。
つまりそういうことなのだ。生徒会長は何かを隠している。しかもただことではない何かを。誰にも告げることなく、一人で背負い闘うことを既に心に決めている。分かってしまうが故に、栞の心は静かに引き裂かれていく。
──生徒会長選挙を理由に言い逃れするなんて、ずるい。
そう思いつつも、言い出すことはできなかった。
本音を言えば、すがってでもこれ以上の無理を止めさせたかった。けれども、同じかそれ以上の強さで、生徒会長の後を継ぐのは自分しかいないという自負をも感じていた。比べてみればほんの僅かしかない差が、栞に生徒会長を引きとめることを留めさせていた。
栞が黙っているのを納得と受け取った生徒会長は、早口でまくし立てる。
「分かってくれればそれでいい。姫野君は今度の生徒会選挙で当選して当たり前だ。であればもう一つ上を目指せ。生徒たちは無論のこと、教師たちの心をも自分の元へ手繰り寄せろ。あらゆる立場の人間から期待され、信頼される生徒会長になれ。もちろん容易ではない。だがいざそうなってしまえば物事はいとも容易く動くようになる。とにかく今は目の前の仕事に全力を注ぐんだ。次はいよいよ生徒会長選挙だ。全校生徒に向かって直接訴えかけられる機会など、そうそうあるものではない。自分に与えられるチャンスを逃がすなよ」
一気に言い切ると「少し風に当たってくる」とだけ伝え、栞の返事も聞かずに早足で部屋を出て行ってしまった。