オカルト研究会と龍の道
第7章 彼女たちの意地
幕間1 秋山七瀬
──生徒会長が呪われてるってどういうこと? おまけにこの町までって、一体何なの?
生徒会長の告白に衝撃を受けたのは栞だけではなかった。洗面所の手洗い場に向かい合うようにして、七瀬は白いタイル地の壁に背中を預けしゃがみこんでいた。頭の中は嵐のようにかき回され、何をどうしていいのか分からないくらいに混乱している。
七瀬自身、別段トイレに用があったわけではない。とにかく一人になって考えたかっただけだった。優馬から一旦離れるためにはこれが一番手っ取り早いと踏んだからにすぎない。
トイレの前で待とうとする優馬を退散させたまではよかった。が、一人になってからは苦笑いを浮かべることすらできないまま、抱え込んだ膝のあいだに半ば顔をうずめ唇を噛みしめている。
確かに、生徒会長の口から飛び出したのは七瀬も予想だにしない強烈な一撃だった。まさか生徒会長自身が呪いに冒されているなどとは夢にも思わなかった。その上、龍神はこの町から引き上げてしまっているから、仮に特別な力を使ったとしても見えるはずはない。そんなことまで知らされた。
頬をひっぱたかれるような衝撃は今もなお七瀬の中に生々しく残り、十数年生きただけの身では到底片づけられないほどのしこりとなってわだかまりつつあった。
けれども、自分の抱いているものが子どもじみた言い訳でしかないことくらい、七瀬自身よく分かっている。簡単には倒れない、負けない、強い自分でありたい。常日頃からそう思い続けてきたし、実際そうやって生きてきた。苦手なことがあれば、何度も失敗を重ね悔し涙を流してでも克服し周囲を見返してきた。淵での飛び込みだってそうだ。自分をなぎ倒そうと吹きつける風に逆らうことこそ存在の証明、と言ってしまっても過言ではない。
にも関わらずこうも心をかき乱されてしまっているのには理由があった。
優馬である。
生徒会室の真ん中で転んだあの時、ほんの二ヶ月前の優馬だったら卑屈な愛想笑いとともに及び腰で引き下がったに違いない。ヘタレにはこれがお似合いだ、とばかりに。
ところが実際はどうだったか。
取っ掛かりこそ不格好ではあったが、あの生徒会長を相手に怯むことなくやり合ったのだ。生徒会長が秘密にしてきた正明の研究結果を明らかさせた上、七瀬の退学の危機をも回避することができた。得られた結果からすれば勝利だったと言っていいかもしれない。
もはやヘタレの欠片も残ってはいなかった。かつて崖から飛び込んだ時に淵の底に沈んでいた本物の優馬が、今頃になって蘇ってきたかのようだった。
けれどもあの優馬のことだ、きっと自分が何をやってのけたかなどこれっぽっちも理解してはいないのだろう。ただ単に必死だったから、とか言うに違いない。例え優馬自身がそう思っていたとしても、自分だけは知っている。あれこそが本当の優馬なのだ。
優馬が淵に飛び込んだ時のインパクトは、今も消えることなく七瀬の中に残っている。
この町へ戻るまでの七瀬は、全部自分一人でやってみせるという自負で生きてきた。龍神の調査も、実質一人で完結させるつもりだった。ところが優馬は、恐らく無自覚なまま七瀬の心の奥深いところまでずんずん入り込んで来た。
今となってはこの状態が当たり前で、だからこそ七瀬もまた遠慮することなく龍神の調査を頼むことができるのだ。もはや龍神の調査を進める上で優馬がいないことなど考えられない。何も調査が進むだけに止まらない。自分が何を主張しても、要求しても、優馬は何だかんだ言いながらも必ず付いてきてくれる、応えてくれる。そう思えることが、七瀬には何物にも代え難く心強いのだ。
だからかもしれない。七瀬は転校してきてからというもの、随分と自分が弱くなってしまったように感じられた。対照的に、優馬はむしろ強くなってきている。それは側で見ている七瀬の強い実感だった。ごく短い時間の中で優馬は別人のような変貌を遂げつつあった。
本来持っているはずの力をようやく発揮し始めたのかもしれない。そう思う一方で、七瀬から吸い取った力を自分の力にしてしまっているようでもあった。
考えようによっては、優馬は自分からとてつもなく大事な何かを盗みつつあるのかもしれない。そんなことを考えかけたところで、力なく首を振った。答えは、まだ得られそうにない。
代わりに頭の中にどんと現れたのは生徒会長のことだった。滝上家とこの町に憑りついていると言われる致死の呪いが生徒会長の身体に棲みつき、蝕んでいる。生徒会長の命は、このままでは長くはないように感じられた。
──もし私が滝上の家の子だったら。
このことに想いを巡らせた七瀬は、新鮮な空気を求めるように勢いよく顔を上げた。額には滲み出た汗が点々と浮かんでいる。突如頭に浮かんだ、恐ろしい想像に背中の毛孔と言う毛孔から一気に汗が噴き出した。鼓動が一気に激しくなり、張り裂けそうな胸を両手で押さえた。
だがその程度のことではどうにもならなかった。ほんの少し油断しただけで一気に感情が溢れだしてしまいそうになるのを、身体中を力ませながらぐっと堪える。けれども胸に当てられた手は細かく震え、まるで力の入らない両脚は役割を忘れてしまったかのように頼りない。
──生徒会長は私の身代わりになったんだ!
もしも両親が駆け落ちをすることなく自分が滝上の家に生を受けていたら、呪いを受けていたのは自分だったのではないか。
何故生徒会長が自分を毛嫌いし軽蔑するのか。長いこと分からずにいた理由がようやく分かった気がした。
自分は呪いに蝕まれ、生きるか死ぬかの日々を過ごしているというのに、本来呪いを受けるべきだったはずの張本人が呪いとは無縁の場所でのうのうと生きているのだ。しかも、自分が命がけで隠そうとしている龍神伝説の真相について新聞まで作って暴露しようとした。これが腹立たしくないはずがない。
今まで生徒会長を何かと一族の名を持ちだしては鼻にかける嫌味な奴だと毛嫌いし、一方的に敵対してきた。けれども、そんな関係の原因すら自分にあったかも知れないのだ。
「何で……何で生きてるのよ私」
七瀬は絶望せずにはいられなかった。自分の心境を語るための言葉をこれ以外に持ち得なかった。
自分は滝上の姓を名乗らせてもらえないどころか、滝上の血を引いているばっかりにいじめに遭い町の外へ出なければならなかった。今だって、滝上家や町の住人たちからの冷たい視線を日々浴びなければならない。今までの人生を不遇に思わなかったことはない。
けれども、大して生きてもいないうちに呪い殺されなければならないという、とてつもない理不尽かつ不幸に比べれば、どうってこともないのではないか。
七瀬はやり場のない気持ちを抱えたまま呆然と立ち尽くした。目の前の道を巨岩で塞がれたような、重苦しい気持ちを抱かずにはいられなかった。
結局いくら考えたところで何の解決策にもならなかった。だったら、これ以上閉じこもっていても意味はない。七瀬は、オカルト研究会の部室へ向けておぼつかない足取りで歩き始めていた。
生徒会長の告白に衝撃を受けたのは栞だけではなかった。洗面所の手洗い場に向かい合うようにして、七瀬は白いタイル地の壁に背中を預けしゃがみこんでいた。頭の中は嵐のようにかき回され、何をどうしていいのか分からないくらいに混乱している。
七瀬自身、別段トイレに用があったわけではない。とにかく一人になって考えたかっただけだった。優馬から一旦離れるためにはこれが一番手っ取り早いと踏んだからにすぎない。
トイレの前で待とうとする優馬を退散させたまではよかった。が、一人になってからは苦笑いを浮かべることすらできないまま、抱え込んだ膝のあいだに半ば顔をうずめ唇を噛みしめている。
確かに、生徒会長の口から飛び出したのは七瀬も予想だにしない強烈な一撃だった。まさか生徒会長自身が呪いに冒されているなどとは夢にも思わなかった。その上、龍神はこの町から引き上げてしまっているから、仮に特別な力を使ったとしても見えるはずはない。そんなことまで知らされた。
頬をひっぱたかれるような衝撃は今もなお七瀬の中に生々しく残り、十数年生きただけの身では到底片づけられないほどのしこりとなってわだかまりつつあった。
けれども、自分の抱いているものが子どもじみた言い訳でしかないことくらい、七瀬自身よく分かっている。簡単には倒れない、負けない、強い自分でありたい。常日頃からそう思い続けてきたし、実際そうやって生きてきた。苦手なことがあれば、何度も失敗を重ね悔し涙を流してでも克服し周囲を見返してきた。淵での飛び込みだってそうだ。自分をなぎ倒そうと吹きつける風に逆らうことこそ存在の証明、と言ってしまっても過言ではない。
にも関わらずこうも心をかき乱されてしまっているのには理由があった。
優馬である。
生徒会室の真ん中で転んだあの時、ほんの二ヶ月前の優馬だったら卑屈な愛想笑いとともに及び腰で引き下がったに違いない。ヘタレにはこれがお似合いだ、とばかりに。
ところが実際はどうだったか。
取っ掛かりこそ不格好ではあったが、あの生徒会長を相手に怯むことなくやり合ったのだ。生徒会長が秘密にしてきた正明の研究結果を明らかさせた上、七瀬の退学の危機をも回避することができた。得られた結果からすれば勝利だったと言っていいかもしれない。
もはやヘタレの欠片も残ってはいなかった。かつて崖から飛び込んだ時に淵の底に沈んでいた本物の優馬が、今頃になって蘇ってきたかのようだった。
けれどもあの優馬のことだ、きっと自分が何をやってのけたかなどこれっぽっちも理解してはいないのだろう。ただ単に必死だったから、とか言うに違いない。例え優馬自身がそう思っていたとしても、自分だけは知っている。あれこそが本当の優馬なのだ。
優馬が淵に飛び込んだ時のインパクトは、今も消えることなく七瀬の中に残っている。
この町へ戻るまでの七瀬は、全部自分一人でやってみせるという自負で生きてきた。龍神の調査も、実質一人で完結させるつもりだった。ところが優馬は、恐らく無自覚なまま七瀬の心の奥深いところまでずんずん入り込んで来た。
今となってはこの状態が当たり前で、だからこそ七瀬もまた遠慮することなく龍神の調査を頼むことができるのだ。もはや龍神の調査を進める上で優馬がいないことなど考えられない。何も調査が進むだけに止まらない。自分が何を主張しても、要求しても、優馬は何だかんだ言いながらも必ず付いてきてくれる、応えてくれる。そう思えることが、七瀬には何物にも代え難く心強いのだ。
だからかもしれない。七瀬は転校してきてからというもの、随分と自分が弱くなってしまったように感じられた。対照的に、優馬はむしろ強くなってきている。それは側で見ている七瀬の強い実感だった。ごく短い時間の中で優馬は別人のような変貌を遂げつつあった。
本来持っているはずの力をようやく発揮し始めたのかもしれない。そう思う一方で、七瀬から吸い取った力を自分の力にしてしまっているようでもあった。
考えようによっては、優馬は自分からとてつもなく大事な何かを盗みつつあるのかもしれない。そんなことを考えかけたところで、力なく首を振った。答えは、まだ得られそうにない。
代わりに頭の中にどんと現れたのは生徒会長のことだった。滝上家とこの町に憑りついていると言われる致死の呪いが生徒会長の身体に棲みつき、蝕んでいる。生徒会長の命は、このままでは長くはないように感じられた。
──もし私が滝上の家の子だったら。
このことに想いを巡らせた七瀬は、新鮮な空気を求めるように勢いよく顔を上げた。額には滲み出た汗が点々と浮かんでいる。突如頭に浮かんだ、恐ろしい想像に背中の毛孔と言う毛孔から一気に汗が噴き出した。鼓動が一気に激しくなり、張り裂けそうな胸を両手で押さえた。
だがその程度のことではどうにもならなかった。ほんの少し油断しただけで一気に感情が溢れだしてしまいそうになるのを、身体中を力ませながらぐっと堪える。けれども胸に当てられた手は細かく震え、まるで力の入らない両脚は役割を忘れてしまったかのように頼りない。
──生徒会長は私の身代わりになったんだ!
もしも両親が駆け落ちをすることなく自分が滝上の家に生を受けていたら、呪いを受けていたのは自分だったのではないか。
何故生徒会長が自分を毛嫌いし軽蔑するのか。長いこと分からずにいた理由がようやく分かった気がした。
自分は呪いに蝕まれ、生きるか死ぬかの日々を過ごしているというのに、本来呪いを受けるべきだったはずの張本人が呪いとは無縁の場所でのうのうと生きているのだ。しかも、自分が命がけで隠そうとしている龍神伝説の真相について新聞まで作って暴露しようとした。これが腹立たしくないはずがない。
今まで生徒会長を何かと一族の名を持ちだしては鼻にかける嫌味な奴だと毛嫌いし、一方的に敵対してきた。けれども、そんな関係の原因すら自分にあったかも知れないのだ。
「何で……何で生きてるのよ私」
七瀬は絶望せずにはいられなかった。自分の心境を語るための言葉をこれ以外に持ち得なかった。
自分は滝上の姓を名乗らせてもらえないどころか、滝上の血を引いているばっかりにいじめに遭い町の外へ出なければならなかった。今だって、滝上家や町の住人たちからの冷たい視線を日々浴びなければならない。今までの人生を不遇に思わなかったことはない。
けれども、大して生きてもいないうちに呪い殺されなければならないという、とてつもない理不尽かつ不幸に比べれば、どうってこともないのではないか。
七瀬はやり場のない気持ちを抱えたまま呆然と立ち尽くした。目の前の道を巨岩で塞がれたような、重苦しい気持ちを抱かずにはいられなかった。
結局いくら考えたところで何の解決策にもならなかった。だったら、これ以上閉じこもっていても意味はない。七瀬は、オカルト研究会の部室へ向けておぼつかない足取りで歩き始めていた。