オカルト研究会と龍の道
第1幕
優馬は壁に掛けられた時計を見上げた。生徒会室から引き上げてきてから既に三十分以上が経過している。
生徒会室での一件の後、優馬は部室に戻ってきていた。七瀬もじき帰ってくるだろう。そう思い大して気にも留めずにいた。けれども十分経っても二十分経っても七瀬が戻ってくる気配はなかった。
携帯電話を持っていない七瀬とは、直接連絡を付けることができない。まさか校内放送で呼び出すわけにもいかず、優馬は部室で待機せざるを得ない状況となっていた。
結局二人揃わないことには今後のことも話しようがなく、ただ待っているのも退屈であったため手近に置いてあるノートに目を通していた。
「しかしまさかこんなところに研究ノートが隠されていたとはねえ」
優馬は開封済みの段ボール箱を感慨深げに眺めた。
呪いの箱、と大書きされた箱は頑丈なガムテープで幾重にも巻かれて封印され、隈なく黒塗りされている。他にも、写真アルバムが「触れるな危険 開けたら憑くぞ!」などという物騒な注意書きのせいで部室の隅で誰にも開けられることなく埃をかぶっていた。
これらを、活動停止明けで登校してきた優馬と七瀬が互いの力を使って中身の安全を確認した上で開封したのだ。結果、出てきたのは数冊のキャンパスノートと活動内容を記録した写真の数々だった。
ノートに記載された内容の殆どは龍神伝説に関するもので、目撃情報や神社との関係、関連する伝承などを集めた内容となっている。と言っても生徒会長が話したような伝説の核心までは触れられておらず、また内容もとりとめのない部分が多い。そのため結論どころか方向性すら定まっていなかったとしか見えない。
ただ、ノートには正明本人の署名がはっきりと残されていて、七瀬の父がかつてオカルト研究会の部員だったということを明確に示す結果となった。また写真の中には高校時代の七瀬の母らしき姿もあり、七瀬の両親がオカルト研究会に深く関わっていたであろうことが推測された。
──そういえば。
優馬は壁に掛かっている部訓を見上げた。
額の中を踊る「誰のことも傷つけることなく、人を楽しませるべし」の文字。
あれを書いたのは誰だったのか。
何とはなしの予感があった。
優馬は額を壁から外して机に置き、丁寧に埃を払い裏蓋を外した。裏蓋を持ち上げてみると、何かが一枚床へ舞い落ちた。優馬はそれを拾い上げたところで目を見開いた。
一枚の写真。
額の裏にこっそり仕込まれていたせいか、古びてはいるものの鮮明な色合いを留めている。季節は秋だろうか。紅葉に染まった山々の上に広がる目も覚めるような青空をバックに、高校生の男女が仲睦まじげに映っている。
着ている制服から、この学校の生徒であることは間違いない。だがそんなことは大して重要ではなかった。
女子生徒の面影は七瀬と驚くほどよく似ている。七瀬はアルバムの中から見つけた女子生徒のことを、自分の母ではないかと主張していた。一方の男子生徒は、照れくさいのかややはにかんだ表情を浮かべている。手を繋いでこそいないものの、寄り添い合う姿からは互いを大切に感じていることが強く伝わってくる。
何かヒントはないかと思い写真を裏返してみると、恐らくは本人たちの手によるものだろう、二十五年ほど前の日付と生徒の名前が書いてあった。
滝上正明
秋山早苗
と異なる筆致で書かれている。
──この人が正明さん。
優馬は感慨深いものがあった。
個人的な活動指針となっている部訓を作った本人と、時間を越えて出会ったような感覚があった。さらには、正明の血を引く七瀬とともに活動をしていること、正明が存在を証明しようと挑んだ龍神について自分もまた調査を続けていることも重なり、偶然以上の何かがあるような気がしてならなかった。
ノートの文字を写真の文字と比べてみると、文章の大半は正明の署名と字体が一致している。残りの部分の大半は早苗の署名と一致し、他にも部員がいたのか、どちらの字体とも異なる筆致もいくらか混ざっている。
写真を眺めているうちに一つの疑問が生まれ、勢いよく膨らみ始めた。こんなにも仲睦まじげな二人が、財産目当てなどという腹黒い目的によって結びついたりするものだろうか、と。写真に写る二人が駆け落ち事件の張本人であるなどとは、どうしても納得できなかった。
そこへ、足早な足音が廊下に響き渡った。よほど急いでいるのか、板張りの床がみしみしと軋んでいるにも関わらず欠片ほどの躊躇も感じられない。地響きのような反響音が部室に近づいてくるのを感じて、優馬は手にしていた写真を思わず胸ポケットにしまいこんだ。
──そう言えば七瀬が最初に来た時もこうだったな。
七瀬が初めてオカルト研究会の部室へやってきた時のことを思い出すのと、扉のすりガラスに人影が映るのとはほぼ同時だった。
──え?
優馬は驚きのあまり何度も瞬きを繰り返した。勢いよく開かれた扉の向こうにいるのが誰なのか、一体どういうことなのか、測りかねていた。
やって来たのは栞だった。
しかも青白く血の気の引けた顔一面にびっしりと汗の雫が浮かび、荒く乱れた呼吸に肩を大きく揺らしている。どちらかと言えば落ち着きのある栞をこうも動揺させることとは何なのか。決して頭の回転がいいとは言い難い優馬にも、栞の尋常でない雰囲気だけは感じることができた。
栞は優馬の視線が自分に向けられていることに気付くと、断りを入れるまでもなくつかつかと部室に入りこみそのまま一切の遠慮もなく優馬のすぐ目の前まで来ていた。そこで栞は僅かに躊躇いながらも息を整え、決意のこもった目で真っ直ぐに優馬を捉えた。
「優君お願い! 滝上会長を助けて!」
けれど部室は沈黙。重苦しい空気が漂い始める。
助けて、などと言われてもはいそうですかとも言えず、優馬としてはどう答えるべきなのか見当もつかない。が、黙っているわけにもいかず言葉を探そうとはするものの言うべきことが掴めそうで掴めない。
「えっと、栞?」
「お願いします!」
とまどう優馬のことなど一切斟酌なく、栞は背中が見えるくらいにまで深々と頭を下げたまま上げようとはしなかった。
「助けるってどういうこと? 会長に何か」
「滝上会長が廊下ですごい量の血を吐いて倒れたの! 身体中血の気がなくて、意識もはっきりしなくて……今救急車を呼んでるけど、でもこれって優君たちの言ってた『呪い』のせいなのよね? だったら病院なんか行っても助からないんじゃないかって」
優馬は驚愕せずにはいられなかった。呪いが見えないにも関わらず、先ほど聞かされた僅かな情報だけを頼りにほんの短い時間でここまでの結論に辿り着いたのだ。少なくとも優馬に真似のできる芸当ではない。
「ごめんなさい。助けてなんて言えた立場じゃないのは分かってるの。でも!」
「栞には悪いんだけど」
優馬は栞の言葉を途中で遮った。詳しい状況までは分からないものの、気持ちに応えられないことははっきりしていた。
「僕たちの力じゃ会長の呪いを解くことはできないよ」
「でも、さっき龍神の力があるって」
栞は今にも泣き出しそうに顔を歪めながら、かすれた声で訴える。
「確かにそうかも知れない。けど、だからと言って何かを解決できるような力でもないんだ。僕たちにできるのは、せいぜい幽霊を見るくらいのことだけで、悪霊とか呪いを退散させられるわけじゃないんだ。だから」
ごめん、と言うのと一緒に今度は優馬が深々と頭を下げた。
「優君」
栞は無理強いすることもできず、かけるべき言葉を見失う。が、それもほんの一瞬に過ぎなかった。
「え? ちょっと待って、秋山さんは?」
強い焦り混じりの声に顔を上げると、栞はひどく怯えた目で部屋の中を見回している。
「いや、まだ戻ってきてないけど」
「私、さっき秋山さんに酷いこと言ったの」
「酷いこと?」
それで、と分からないなりに優馬は七瀬が戻ってこない理由について要領を得た気がした。が、栞は視線を落としふるふると首を振った。
「ごめん。優君には話せない。とにかくあの子のこと傷つけたの。あの子が羨ましくて、悔しくて、それで」
それ以上続けられずにうつむく栞を前に、優馬はひどく落ち着かないものを感じていた。鋭くひやりとしたものが心の奥に引っかかったのだ。
理由はどうあれ、七瀬は今深く傷ついている。恐らくは生徒会長の呪いについて衝撃を受け、さらには幼馴染である栞によって傷つけられた。精神的な衝撃は、いかばかりか。
しかも、七瀬は戻ってくるべき部室に戻ってきていない。
だとしたら。
優馬は七瀬の行き先について頭を巡らせた。知りうる限りで今の七瀬が足を向けそうな場所を考えた。
優馬の頬を、一筋の汗がねっとりと伝い落ちる。
と、同時に、鼻の中を生ぬるいものが伝った。
優馬が詰め物を入れるよりも先に、赤い雫が滴り落ちる。いつもなら余裕で間に合うはずが、今回はそうはいかなかった。ピンときた優馬は、机に視線を落とし滴り落ちる血を見つめた。
「優君?」
「ごめん。少しだけ待って欲しい」
駆け寄ろうとする栞にも構わず、優馬は滴る血をじっと見つめた。余りの剣幕に、栞も押し黙り成り行きを見守る。
そのあいだ、優馬は七瀬とこれまで訪ねた行き先を思い出していた。違う行き先を想像するたび、滴る血の勢いは増減した。一分ほどの時間で同じことを何度か繰り返すと、優馬はようやく顔と机の血を拭き取り、鼻に詰め物を入れた。
──よし。
「神社に行ってみるよ」
優馬は確信を持って言った。
鼻血の出血具合から、そう結論付けた。
光を浴びて以降、神社は迂闊に近づいていい場所ではなくなっていた。もっと色々なことが分かってからでなければ、行くべきではないと考えていた。だが、今の状況では四の五の言ってはいられない。
「七瀬が実際に神社に向かおうとしてるかどうか分からないけど、なんとなくそんな気がする。胸騒ぎがするんだ」
「危険なことが迫る時はね、決まって鼻血が出るんだ」
赤く濡れた指先を見せると、栞の表情が一層強張った。
「鼻血って、もしかして」
優馬は栞の問いかけに小さくうなずいた。栞が聞きたいだろうことは、説明されるまでもなくだいたい分かる。ただし詳細に説明しているだけの余裕はない。
「このままだと七瀬が危ないかもしれない」
優馬はつくづくかっこ悪いと思いつつも、この妙な特性を信じることにした。
「僕は神社に七瀬を助けに行く。だから会長を助けることはできない。代わりに会長に伝えて欲しいんだ」
何を? と不安げな表情の栞に優馬はあえてゆっくりと語りかける。
「七瀬が何をしようとしてるのかは分からないけど、僕が探してる答は神社の中にあると思う。もし本当に呪いの元凶が龍神だっていうならなおさらね。だから僕も神社に行ってみようと思う。できるなら、もう一度光を浴びた場所に行ってみるよ。もしかしたら、会長の呪いを解くカギだって見つかるかもしれない」
栞は気丈にうなずいた。目じりいっぱいに溜まっていた涙が、硬く張りつめた頬を伝う。
「もし伝えられるなら、僕が神社に向かってるって会長に伝えて欲しいんだ。何の慰めにもならないかもしれないけど」
「分かった、伝える。必ず伝えるから!」
「じゃあ、もう行くね」
と、優馬は一旦前へと進ませかけた足を止めて振り向いた。
「そうだ、あともう一つ! 絶対に諦めないでくれって。そんなのは、会長らしくないからって」
栞はきょとんと目を見開くと、それまで強張っていた表情をふっと和らげた。
「優君」
「ん?」
「ううん、何でもない。早く行ってあげなよ」
栞はただただ首を振った。
優馬はうなずいて見せると、あとはもう何も言わずに神社へ向けて走りだしていた。
生徒会室での一件の後、優馬は部室に戻ってきていた。七瀬もじき帰ってくるだろう。そう思い大して気にも留めずにいた。けれども十分経っても二十分経っても七瀬が戻ってくる気配はなかった。
携帯電話を持っていない七瀬とは、直接連絡を付けることができない。まさか校内放送で呼び出すわけにもいかず、優馬は部室で待機せざるを得ない状況となっていた。
結局二人揃わないことには今後のことも話しようがなく、ただ待っているのも退屈であったため手近に置いてあるノートに目を通していた。
「しかしまさかこんなところに研究ノートが隠されていたとはねえ」
優馬は開封済みの段ボール箱を感慨深げに眺めた。
呪いの箱、と大書きされた箱は頑丈なガムテープで幾重にも巻かれて封印され、隈なく黒塗りされている。他にも、写真アルバムが「触れるな危険 開けたら憑くぞ!」などという物騒な注意書きのせいで部室の隅で誰にも開けられることなく埃をかぶっていた。
これらを、活動停止明けで登校してきた優馬と七瀬が互いの力を使って中身の安全を確認した上で開封したのだ。結果、出てきたのは数冊のキャンパスノートと活動内容を記録した写真の数々だった。
ノートに記載された内容の殆どは龍神伝説に関するもので、目撃情報や神社との関係、関連する伝承などを集めた内容となっている。と言っても生徒会長が話したような伝説の核心までは触れられておらず、また内容もとりとめのない部分が多い。そのため結論どころか方向性すら定まっていなかったとしか見えない。
ただ、ノートには正明本人の署名がはっきりと残されていて、七瀬の父がかつてオカルト研究会の部員だったということを明確に示す結果となった。また写真の中には高校時代の七瀬の母らしき姿もあり、七瀬の両親がオカルト研究会に深く関わっていたであろうことが推測された。
──そういえば。
優馬は壁に掛かっている部訓を見上げた。
額の中を踊る「誰のことも傷つけることなく、人を楽しませるべし」の文字。
あれを書いたのは誰だったのか。
何とはなしの予感があった。
優馬は額を壁から外して机に置き、丁寧に埃を払い裏蓋を外した。裏蓋を持ち上げてみると、何かが一枚床へ舞い落ちた。優馬はそれを拾い上げたところで目を見開いた。
一枚の写真。
額の裏にこっそり仕込まれていたせいか、古びてはいるものの鮮明な色合いを留めている。季節は秋だろうか。紅葉に染まった山々の上に広がる目も覚めるような青空をバックに、高校生の男女が仲睦まじげに映っている。
着ている制服から、この学校の生徒であることは間違いない。だがそんなことは大して重要ではなかった。
女子生徒の面影は七瀬と驚くほどよく似ている。七瀬はアルバムの中から見つけた女子生徒のことを、自分の母ではないかと主張していた。一方の男子生徒は、照れくさいのかややはにかんだ表情を浮かべている。手を繋いでこそいないものの、寄り添い合う姿からは互いを大切に感じていることが強く伝わってくる。
何かヒントはないかと思い写真を裏返してみると、恐らくは本人たちの手によるものだろう、二十五年ほど前の日付と生徒の名前が書いてあった。
滝上正明
秋山早苗
と異なる筆致で書かれている。
──この人が正明さん。
優馬は感慨深いものがあった。
個人的な活動指針となっている部訓を作った本人と、時間を越えて出会ったような感覚があった。さらには、正明の血を引く七瀬とともに活動をしていること、正明が存在を証明しようと挑んだ龍神について自分もまた調査を続けていることも重なり、偶然以上の何かがあるような気がしてならなかった。
ノートの文字を写真の文字と比べてみると、文章の大半は正明の署名と字体が一致している。残りの部分の大半は早苗の署名と一致し、他にも部員がいたのか、どちらの字体とも異なる筆致もいくらか混ざっている。
写真を眺めているうちに一つの疑問が生まれ、勢いよく膨らみ始めた。こんなにも仲睦まじげな二人が、財産目当てなどという腹黒い目的によって結びついたりするものだろうか、と。写真に写る二人が駆け落ち事件の張本人であるなどとは、どうしても納得できなかった。
そこへ、足早な足音が廊下に響き渡った。よほど急いでいるのか、板張りの床がみしみしと軋んでいるにも関わらず欠片ほどの躊躇も感じられない。地響きのような反響音が部室に近づいてくるのを感じて、優馬は手にしていた写真を思わず胸ポケットにしまいこんだ。
──そう言えば七瀬が最初に来た時もこうだったな。
七瀬が初めてオカルト研究会の部室へやってきた時のことを思い出すのと、扉のすりガラスに人影が映るのとはほぼ同時だった。
──え?
優馬は驚きのあまり何度も瞬きを繰り返した。勢いよく開かれた扉の向こうにいるのが誰なのか、一体どういうことなのか、測りかねていた。
やって来たのは栞だった。
しかも青白く血の気の引けた顔一面にびっしりと汗の雫が浮かび、荒く乱れた呼吸に肩を大きく揺らしている。どちらかと言えば落ち着きのある栞をこうも動揺させることとは何なのか。決して頭の回転がいいとは言い難い優馬にも、栞の尋常でない雰囲気だけは感じることができた。
栞は優馬の視線が自分に向けられていることに気付くと、断りを入れるまでもなくつかつかと部室に入りこみそのまま一切の遠慮もなく優馬のすぐ目の前まで来ていた。そこで栞は僅かに躊躇いながらも息を整え、決意のこもった目で真っ直ぐに優馬を捉えた。
「優君お願い! 滝上会長を助けて!」
けれど部室は沈黙。重苦しい空気が漂い始める。
助けて、などと言われてもはいそうですかとも言えず、優馬としてはどう答えるべきなのか見当もつかない。が、黙っているわけにもいかず言葉を探そうとはするものの言うべきことが掴めそうで掴めない。
「えっと、栞?」
「お願いします!」
とまどう優馬のことなど一切斟酌なく、栞は背中が見えるくらいにまで深々と頭を下げたまま上げようとはしなかった。
「助けるってどういうこと? 会長に何か」
「滝上会長が廊下ですごい量の血を吐いて倒れたの! 身体中血の気がなくて、意識もはっきりしなくて……今救急車を呼んでるけど、でもこれって優君たちの言ってた『呪い』のせいなのよね? だったら病院なんか行っても助からないんじゃないかって」
優馬は驚愕せずにはいられなかった。呪いが見えないにも関わらず、先ほど聞かされた僅かな情報だけを頼りにほんの短い時間でここまでの結論に辿り着いたのだ。少なくとも優馬に真似のできる芸当ではない。
「ごめんなさい。助けてなんて言えた立場じゃないのは分かってるの。でも!」
「栞には悪いんだけど」
優馬は栞の言葉を途中で遮った。詳しい状況までは分からないものの、気持ちに応えられないことははっきりしていた。
「僕たちの力じゃ会長の呪いを解くことはできないよ」
「でも、さっき龍神の力があるって」
栞は今にも泣き出しそうに顔を歪めながら、かすれた声で訴える。
「確かにそうかも知れない。けど、だからと言って何かを解決できるような力でもないんだ。僕たちにできるのは、せいぜい幽霊を見るくらいのことだけで、悪霊とか呪いを退散させられるわけじゃないんだ。だから」
ごめん、と言うのと一緒に今度は優馬が深々と頭を下げた。
「優君」
栞は無理強いすることもできず、かけるべき言葉を見失う。が、それもほんの一瞬に過ぎなかった。
「え? ちょっと待って、秋山さんは?」
強い焦り混じりの声に顔を上げると、栞はひどく怯えた目で部屋の中を見回している。
「いや、まだ戻ってきてないけど」
「私、さっき秋山さんに酷いこと言ったの」
「酷いこと?」
それで、と分からないなりに優馬は七瀬が戻ってこない理由について要領を得た気がした。が、栞は視線を落としふるふると首を振った。
「ごめん。優君には話せない。とにかくあの子のこと傷つけたの。あの子が羨ましくて、悔しくて、それで」
それ以上続けられずにうつむく栞を前に、優馬はひどく落ち着かないものを感じていた。鋭くひやりとしたものが心の奥に引っかかったのだ。
理由はどうあれ、七瀬は今深く傷ついている。恐らくは生徒会長の呪いについて衝撃を受け、さらには幼馴染である栞によって傷つけられた。精神的な衝撃は、いかばかりか。
しかも、七瀬は戻ってくるべき部室に戻ってきていない。
だとしたら。
優馬は七瀬の行き先について頭を巡らせた。知りうる限りで今の七瀬が足を向けそうな場所を考えた。
優馬の頬を、一筋の汗がねっとりと伝い落ちる。
と、同時に、鼻の中を生ぬるいものが伝った。
優馬が詰め物を入れるよりも先に、赤い雫が滴り落ちる。いつもなら余裕で間に合うはずが、今回はそうはいかなかった。ピンときた優馬は、机に視線を落とし滴り落ちる血を見つめた。
「優君?」
「ごめん。少しだけ待って欲しい」
駆け寄ろうとする栞にも構わず、優馬は滴る血をじっと見つめた。余りの剣幕に、栞も押し黙り成り行きを見守る。
そのあいだ、優馬は七瀬とこれまで訪ねた行き先を思い出していた。違う行き先を想像するたび、滴る血の勢いは増減した。一分ほどの時間で同じことを何度か繰り返すと、優馬はようやく顔と机の血を拭き取り、鼻に詰め物を入れた。
──よし。
「神社に行ってみるよ」
優馬は確信を持って言った。
鼻血の出血具合から、そう結論付けた。
光を浴びて以降、神社は迂闊に近づいていい場所ではなくなっていた。もっと色々なことが分かってからでなければ、行くべきではないと考えていた。だが、今の状況では四の五の言ってはいられない。
「七瀬が実際に神社に向かおうとしてるかどうか分からないけど、なんとなくそんな気がする。胸騒ぎがするんだ」
「危険なことが迫る時はね、決まって鼻血が出るんだ」
赤く濡れた指先を見せると、栞の表情が一層強張った。
「鼻血って、もしかして」
優馬は栞の問いかけに小さくうなずいた。栞が聞きたいだろうことは、説明されるまでもなくだいたい分かる。ただし詳細に説明しているだけの余裕はない。
「このままだと七瀬が危ないかもしれない」
優馬はつくづくかっこ悪いと思いつつも、この妙な特性を信じることにした。
「僕は神社に七瀬を助けに行く。だから会長を助けることはできない。代わりに会長に伝えて欲しいんだ」
何を? と不安げな表情の栞に優馬はあえてゆっくりと語りかける。
「七瀬が何をしようとしてるのかは分からないけど、僕が探してる答は神社の中にあると思う。もし本当に呪いの元凶が龍神だっていうならなおさらね。だから僕も神社に行ってみようと思う。できるなら、もう一度光を浴びた場所に行ってみるよ。もしかしたら、会長の呪いを解くカギだって見つかるかもしれない」
栞は気丈にうなずいた。目じりいっぱいに溜まっていた涙が、硬く張りつめた頬を伝う。
「もし伝えられるなら、僕が神社に向かってるって会長に伝えて欲しいんだ。何の慰めにもならないかもしれないけど」
「分かった、伝える。必ず伝えるから!」
「じゃあ、もう行くね」
と、優馬は一旦前へと進ませかけた足を止めて振り向いた。
「そうだ、あともう一つ! 絶対に諦めないでくれって。そんなのは、会長らしくないからって」
栞はきょとんと目を見開くと、それまで強張っていた表情をふっと和らげた。
「優君」
「ん?」
「ううん、何でもない。早く行ってあげなよ」
栞はただただ首を振った。
優馬はうなずいて見せると、あとはもう何も言わずに神社へ向けて走りだしていた。