オカルト研究会と龍の道
第8章 神社再び
第1幕
優馬は言葉を失っていた。大きく肩を揺らし荒い呼吸を整えようとするあいだ、時間が経つのも忘れ目の前の光景に見入っていた。
神社の鳥居手前まで来た優馬を出迎えたのは、境内から溢れ返るほどの幽霊たちだった。幽霊たちの性別や年齢に大きな偏りはなく、姿格好もまちまちだった。とはいえ、姿格好から年代や身分がおぼろげながらに見て取れるくらいで普通の人間と決定的な違いはない。
おまけにあちこちから話し声まで聞こえていて、幽霊たちの体がうっすらと透けて見える以外は、初詣ででごった返す神社の光景とあまり変わらなかった。
ただ、一つだけ違うことがあった。彼らは参拝を目的としているのではなく、ただこの場所に留まっているに過ぎない。それゆえ無秩序に動き回るだけで流れというものがない。その有り様は、終わりを見失ってしまった幽霊たちの吹き溜まりそのものだった。
──ここは神社で、当然聖域のはず。
そう思って見てみると、幽霊たちは鳥居と玉垣によって作られた境界線よりも内側を歩き回るばかりで、境内の外側には一歩も出られないようだった。
思い返せば、光を浴びたあの日も戻って来た場所から境内の様子をうかがうことはできなかった。もしあの日境内を見ていたらこの光景を目の当たりにしたに違いない。
であれば、この光景を見ることなく済んだのは非常に幸運だったのではないか。優馬はふと思う。もしあの時同じ光景を見て正気でいられただろうか。自信がなかった。と同時に、逃げださずにいられる今の自分に成長を感じてもいた。
優馬は息を整えたところで状況を確認した。
つまりあの世へ行こうと龍の道目がけて集まって来たものの、門が閉ざされてしまっているせいで彼らは成仏することができないでいる。かといって外へ出ようにも結界があるせいで一旦境内に入ってしまうと外に出ることもできない。地縛霊や若葉のような特別な存在を除き、殆どすべての幽霊たちは神社の中に閉じ込められていることになる。
皮肉にも、神社の結界があることによって町は幽霊たちで溢れることを免れていた。
と、その時。何かを叩き割るような重低音に優馬は頭上を見上げた。
──何だよ……これ。
優馬は大きく目を見張ったまま声を上げていた。縫いつけられるように視線を動かせないまま、あるはずのないものを見上げていた。
改めて見渡してみれば、頭上の本来は何もないはずの場所におびただしい数のひび割れがあり、プラネタリウムで見る星座のように神社の上空を覆い尽くしていた。
優馬には、頭上にあるものが何なのか分からなかった。
そもそも、一体何にひびが入っているのか。
優馬は考える。
神社……聖域……封印……結界……。
──結界?
心臓がどくん、と跳ねた。
──結界が破壊されかけている?
優馬の頭には、芋づる式に嫌なことばかりが浮かんでくる。
生徒会長が語った龍神伝説の真相。巫女を死なせ、龍神が村を去る直接の原因を作ってしまった滝上一族。彼らは龍神の呪いを受け、今もなお犠牲者を出し続けている。さらには、呪いの力は町そのものにまで及んでいて、オカルト現象を生み出し続けている。
若葉の言葉を思い出す。村の人々に失望した龍神は龍の道の門を閉ざして村から去ってしまった。あの世への道を閉ざされた亡者たちは行き場を失い、中には悪霊と化して人々に害なす存在と成り果てているものもいる。龍神によってコントロールされていた自然界のエネルギーは行き場を失い、暴走して人々を苦しめることとなった。
町の歴史とオカルト現象とが、若葉の言葉を裏付けている。
ただでさえオカルト現象や心霊現象がそこら中で起きているというのに、神社に閉じ込められている悪霊たちまで加わったらこの町はどうなってしまうのか。もし目の前にいる幽霊たちが一斉に悪霊化して人々へ害を与え始めたら。
優馬は体が冷たくなっていくのを感じていた。
一方で、いつまでもここでぐずぐずしているわけにはいかなかった。一刻も早く七瀬を見つけ出さなければならない。
優馬は足を踏み出した。
鳥居をくぐりかけたところで、幽霊たちが一斉に優馬を見た。おまけに、それまで聞こえていたさざ波のような話声までがぴたりと止んでいた。余りの異様さに、優馬は思わず立ちすくむ。意思があるのかないのか、無表情な顔という顔が優馬の動きを一切逃すまいとばかりに観察している。
既に自分は異界へ踏み込んでいる。優馬はそのことを痛感していた。
だが、優馬の心の一番真ん中にあるのは恐怖ではなかった。もっと恐ろしい、何もしなければ命すら危うくなるものを目の当たりにした優馬にとって、どれほどのものでもなくなってしまっていた。
大きく息を吸い、声とともに勢いよく吐き出した。
「あの、聞いてください。ここへ、僕と同じくらいの女の子が来ませんでしたか? 僕は彼女を助けたいんです。それと、龍神に会って龍の道をもう一度開けてもらいたいんです。お願いします」
優馬は勢いに任せて頭を下げた。なりふりなど、構ってはいられなかった。
「あっちだ」
数秒の沈黙の後、ぼそり無愛想な声に顔を上げると年老いた男の幽霊が遊歩道の入り口を指差していた。
優馬は躊躇いがちに相手の顔を見つめた。善意なのか悪意なのか、量りかねていた。
「何をしている。早く行け」
「は……はい。ありがとうございます!」
優馬が遊歩道に向けて歩き始めると、他の幽霊たちが少しずつ後ろへと下がり、道が開いていく。幽霊たちがずらり立ち並ぶ中を、一筋の道が出来上がる。
──ありがとうございます!
幽霊たちに向かって何度も頭を下げながら、優馬は走り始める。
視線の先には遊歩道の入口が見えてきていた。大型の案内看板を抜けると、本格的に遊歩道へ入る。
──早く七瀬を見つけ出さないと。
ただその思いだけが、優馬を前へ前へと突き動かしていた。
神社の鳥居手前まで来た優馬を出迎えたのは、境内から溢れ返るほどの幽霊たちだった。幽霊たちの性別や年齢に大きな偏りはなく、姿格好もまちまちだった。とはいえ、姿格好から年代や身分がおぼろげながらに見て取れるくらいで普通の人間と決定的な違いはない。
おまけにあちこちから話し声まで聞こえていて、幽霊たちの体がうっすらと透けて見える以外は、初詣ででごった返す神社の光景とあまり変わらなかった。
ただ、一つだけ違うことがあった。彼らは参拝を目的としているのではなく、ただこの場所に留まっているに過ぎない。それゆえ無秩序に動き回るだけで流れというものがない。その有り様は、終わりを見失ってしまった幽霊たちの吹き溜まりそのものだった。
──ここは神社で、当然聖域のはず。
そう思って見てみると、幽霊たちは鳥居と玉垣によって作られた境界線よりも内側を歩き回るばかりで、境内の外側には一歩も出られないようだった。
思い返せば、光を浴びたあの日も戻って来た場所から境内の様子をうかがうことはできなかった。もしあの日境内を見ていたらこの光景を目の当たりにしたに違いない。
であれば、この光景を見ることなく済んだのは非常に幸運だったのではないか。優馬はふと思う。もしあの時同じ光景を見て正気でいられただろうか。自信がなかった。と同時に、逃げださずにいられる今の自分に成長を感じてもいた。
優馬は息を整えたところで状況を確認した。
つまりあの世へ行こうと龍の道目がけて集まって来たものの、門が閉ざされてしまっているせいで彼らは成仏することができないでいる。かといって外へ出ようにも結界があるせいで一旦境内に入ってしまうと外に出ることもできない。地縛霊や若葉のような特別な存在を除き、殆どすべての幽霊たちは神社の中に閉じ込められていることになる。
皮肉にも、神社の結界があることによって町は幽霊たちで溢れることを免れていた。
と、その時。何かを叩き割るような重低音に優馬は頭上を見上げた。
──何だよ……これ。
優馬は大きく目を見張ったまま声を上げていた。縫いつけられるように視線を動かせないまま、あるはずのないものを見上げていた。
改めて見渡してみれば、頭上の本来は何もないはずの場所におびただしい数のひび割れがあり、プラネタリウムで見る星座のように神社の上空を覆い尽くしていた。
優馬には、頭上にあるものが何なのか分からなかった。
そもそも、一体何にひびが入っているのか。
優馬は考える。
神社……聖域……封印……結界……。
──結界?
心臓がどくん、と跳ねた。
──結界が破壊されかけている?
優馬の頭には、芋づる式に嫌なことばかりが浮かんでくる。
生徒会長が語った龍神伝説の真相。巫女を死なせ、龍神が村を去る直接の原因を作ってしまった滝上一族。彼らは龍神の呪いを受け、今もなお犠牲者を出し続けている。さらには、呪いの力は町そのものにまで及んでいて、オカルト現象を生み出し続けている。
若葉の言葉を思い出す。村の人々に失望した龍神は龍の道の門を閉ざして村から去ってしまった。あの世への道を閉ざされた亡者たちは行き場を失い、中には悪霊と化して人々に害なす存在と成り果てているものもいる。龍神によってコントロールされていた自然界のエネルギーは行き場を失い、暴走して人々を苦しめることとなった。
町の歴史とオカルト現象とが、若葉の言葉を裏付けている。
ただでさえオカルト現象や心霊現象がそこら中で起きているというのに、神社に閉じ込められている悪霊たちまで加わったらこの町はどうなってしまうのか。もし目の前にいる幽霊たちが一斉に悪霊化して人々へ害を与え始めたら。
優馬は体が冷たくなっていくのを感じていた。
一方で、いつまでもここでぐずぐずしているわけにはいかなかった。一刻も早く七瀬を見つけ出さなければならない。
優馬は足を踏み出した。
鳥居をくぐりかけたところで、幽霊たちが一斉に優馬を見た。おまけに、それまで聞こえていたさざ波のような話声までがぴたりと止んでいた。余りの異様さに、優馬は思わず立ちすくむ。意思があるのかないのか、無表情な顔という顔が優馬の動きを一切逃すまいとばかりに観察している。
既に自分は異界へ踏み込んでいる。優馬はそのことを痛感していた。
だが、優馬の心の一番真ん中にあるのは恐怖ではなかった。もっと恐ろしい、何もしなければ命すら危うくなるものを目の当たりにした優馬にとって、どれほどのものでもなくなってしまっていた。
大きく息を吸い、声とともに勢いよく吐き出した。
「あの、聞いてください。ここへ、僕と同じくらいの女の子が来ませんでしたか? 僕は彼女を助けたいんです。それと、龍神に会って龍の道をもう一度開けてもらいたいんです。お願いします」
優馬は勢いに任せて頭を下げた。なりふりなど、構ってはいられなかった。
「あっちだ」
数秒の沈黙の後、ぼそり無愛想な声に顔を上げると年老いた男の幽霊が遊歩道の入り口を指差していた。
優馬は躊躇いがちに相手の顔を見つめた。善意なのか悪意なのか、量りかねていた。
「何をしている。早く行け」
「は……はい。ありがとうございます!」
優馬が遊歩道に向けて歩き始めると、他の幽霊たちが少しずつ後ろへと下がり、道が開いていく。幽霊たちがずらり立ち並ぶ中を、一筋の道が出来上がる。
──ありがとうございます!
幽霊たちに向かって何度も頭を下げながら、優馬は走り始める。
視線の先には遊歩道の入口が見えてきていた。大型の案内看板を抜けると、本格的に遊歩道へ入る。
──早く七瀬を見つけ出さないと。
ただその思いだけが、優馬を前へ前へと突き動かしていた。