オカルト研究会と龍の道
エピローグ
神社の秋祭当日、町はこれ以上ないくらいの晴天に恵まれていた。
高く蒼く澄みきった空には雲一つなく、開け放たれた窓の向こうからはカーテンを揺らす柔らかな風とともに祭囃子が聞こえている。
七瀬は制服の冬服にクリーム色のセーターという装いで、部室の机に腰掛けたまま退屈げに両脚を揺らしている。
隣りにいる学ラン姿の優馬は、机の上にうず高く積み上げられたノートのうち一冊を広げ熱心に読み耽っている。
つい先日、何の前触れもなくやってきた生徒会役員たちが大量のノートをオカルト研究会に置いていったのだ。明らかに正明のものだったが、いくら生徒会長を問い詰めても知らぬ存ぜぬを繰り返すばかりだった。
とはいうもののノートの中身は質、量ともに圧倒的で、優馬は卒業までに正明との連名で研究誌としてまとめる上げることを決意していた。
「ていうかさ、もうちょっとタイトル何とかならないの?」
優馬が先日書きつぶしたばかりの一冊目のノートに視線を落とす。そこには、太いマジックペンで「真相解明! 龍神伝説の謎」と書かれている。
まとめ、などというのはほんの名ばかり。実際には正明が参照した資料や調査結果を書き取っていくうちに余白が埋まってしまっていた。資料をまとめるどころか、学ぶべきことの多さにまず圧倒されている、というのが現状である。
「何で?」
心底分からない、という顔の優馬に七瀬は小さなため息を吐いた。
「とにかくオカ研が残ってよかったわね」
「そうだね」
生徒会長選挙が終わり、圧倒的大差で当選した栞が次期会長となっても、オカルト研究会を廃部にするという連絡は一向に来なかった。一週間、また一週間と待つうちに二ヶ月が経ち、いつの間にか来年度部活動予算計画などという一覧表の中にちゃっかりオカルト研究会が入っていたのである。ただ予算そのものは相変わらずの0円だったのだが。
そんなわけで、優馬たちは部室を追われることもなく活動を続けている。
「そう言えば、この町から心霊現象がなくなったのってやっぱり龍神の力なのかな」
「かも知れないね」
龍の道から戻ってきた優馬たちが最初に目にしたのは、真っ二つに裂け黒こげになった大木だった。神社の境内に踏み込んでから元の世界に戻るまで、余りにも非現実的な体験ではあったが、紛れもなく事実だったのだと確信している。
なぜなら、あれから町中至るところにあった心霊現象がぱったりなくなってしまったのだ。いくら霊感に覚えのある者が試したところで、結果は同じだった。
龍神が龍の道を再び開き、身動きとれずにいた死者たちをあるべきところへ還した。誰が何と言おうと、例え笑われようと、優馬はそう信じている。
けれども本題は別のところにあった。
「雷雲の中を駆け巡る龍の大群を見た」と語る者が続出したのだ。
報せはあっという間に全国を駆け巡り、ご利益にあやかろうという参拝者が雪崩を打って神社へ押し寄せてきた。つい先日まで閑散としていた駐車場には他県ナンバーの観光バスが所狭しとひしめき合い、平日でさえも正月以上の賑わいを見せるようになっていた。週刊誌やワイドショーも競うように龍神伝説を取り上げ、関連情報を目にしない日はないほど人々の関心と話題を独占していた。
そんな中で行われることとなった秋祭には多くの参拝者、観光客が訪れ、土産物屋や旅館は突然降って湧いたブームの到来に嬉しい悲鳴を上げていた。現代に蘇った龍神伝説は、町のかつての賑わいをも蘇らせようとしていた。
優馬はと言えば、そんな町の熱狂から完全に距離を置いていた。オカルト研究会にも意地の悪い注目が集まったが、優馬は一向に記事を書こうとしなかった。既に正明のノートに触れていたため、ゴシップ記事への興味を完全に失っていた。
「私、結局お父さんにお礼言いそびれちゃった」
優馬は「んー」と呟きながら思案し、「いいんじゃないの?」と返した。
「ちょっと。私真面目に言ってるんだから」
「いや、だからさ、正明さんは満足してたんじゃないかなって話。七瀬の元気な姿を見られた上に町の呪いも消えたわけだし。思い残すこと、なかったと思うよ」
気色ばむ七瀬に苦笑しつつ、優馬は落ち着いた口調で答えた。
「そうかな」
「ほら、最後だってすごく満足げな顔してたし」
「そっか。うん、そうかも」
七瀬が納得したところで会話が途切れた。祭囃子が沈黙をとりなす様に賑やかさを増すと、優馬はようやく窓の外へ視線を向けた。
「優馬、ホントにお祭見に行かなくていいの?」
「いいよ。やることやらないといけないしね」
が、外を見ていたのもほんの束の間、優馬は再びノートに視線を落とした。
「私はまあ、優馬がいいって言うなら」
いいんだけど、と言い掛けたところで七瀬はにやりと笑った。
「今日さ、朝一番に栞に会って来たんだよね。着物着てお化粧して、すっごい綺麗だった。本物のお嫁さんみたいだったんだから」
祭一番の見物は花嫁行列であり、人力車に乗った若い男女が古い町並みを回り最後に龍神に誓いを立てる、というものである。
その昔滝上一族の若者が龍神に祈願したところ村一番の器量よしと結ばれた、という龍神伝説のきっかけとなった逸話を契機に始まったのだが、近年は人口減少に伴い途絶えてしまっていた。これを、今こそ好機と捉えた住民たちが肝入りで復活させたのだ。
本来であれば本物の結婚式として男女を募るところだが、急きょ選ばれたのは正樹と栞である。滝上家の跡取りとしてのお披露目という意味合いが滲んでいるのは確かなものの、理由はそればかりではなかった。
生徒会長を退いた正樹と次期会長となった栞の交際は周囲からも広く歓迎され、新婚夫婦のような仲睦まじさは巷の評判となっていた。気の早い大人たちによるお膳立ての結果ではあったが、話題の二人が主役を務める花嫁行列は注目の的となっていた。
「見とかないと後悔するかもよ?」
「だからいいんだって」
「ほんとに?」
「ほんとに。ていうか栞と喧嘩したんじゃなかったの?」
自分の声に苛立ったものを感じた優馬は、ノートに目を通すのを諦め、顔を上げた。
「えっとね、うん。栞とは仲直りしたの。色々あったけど、もう全部片付いたから。それよりもさ、一緒に会長もいたんだけど何かすっごい仲良くってさ、ほんとに夫婦みたいだった。会長は私にものっすごい嫌そうな顔してたけど」
「ふうん」
七瀬は暫く優馬の反応をうかがっていた。けれども優馬は相変わらず興味を示そうとはしなかった。七瀬は優馬の様子にほっとした表情を浮かべながら、改めて優馬が広げているノートを見つめた。
これは優馬も知らない話ではあるが、正明のノートはさらにもう一冊残されていた。七瀬の母が正明の遺言を秘蔵していたのだ。
タイトルすらないノートには、その手に抱くことなく別れなければならないわが子への想いが震える文字で綴られていた。七瀬はノートを渡されるとともに、これまでひた隠しにされていた様々のことを涙ながらに打ち明けられたのだった。
ここへ至り、七瀬は母との和解をようやく果たすことができた。それもこれも、龍神伝説を巡る戦いに挑んだからこその結果であり、何より優馬がいたからこその勝利であった。
七瀬は棚に飾ってある両親の写真を見つめた。洞窟へ自分を助けに来たときに優馬が持っていたものだ。シンプルな枠の中に、何の屈託もない幸せな笑顔が並んでいる。
七瀬はもう一人ではなかったし、一人だと思っていた時でさえ決して一人ではなかった。教えてくれたのは、他でもない優馬だった。
胸の中に温かなものを感じながら、七瀬は語りかけた。
高く蒼く澄みきった空には雲一つなく、開け放たれた窓の向こうからはカーテンを揺らす柔らかな風とともに祭囃子が聞こえている。
七瀬は制服の冬服にクリーム色のセーターという装いで、部室の机に腰掛けたまま退屈げに両脚を揺らしている。
隣りにいる学ラン姿の優馬は、机の上にうず高く積み上げられたノートのうち一冊を広げ熱心に読み耽っている。
つい先日、何の前触れもなくやってきた生徒会役員たちが大量のノートをオカルト研究会に置いていったのだ。明らかに正明のものだったが、いくら生徒会長を問い詰めても知らぬ存ぜぬを繰り返すばかりだった。
とはいうもののノートの中身は質、量ともに圧倒的で、優馬は卒業までに正明との連名で研究誌としてまとめる上げることを決意していた。
「ていうかさ、もうちょっとタイトル何とかならないの?」
優馬が先日書きつぶしたばかりの一冊目のノートに視線を落とす。そこには、太いマジックペンで「真相解明! 龍神伝説の謎」と書かれている。
まとめ、などというのはほんの名ばかり。実際には正明が参照した資料や調査結果を書き取っていくうちに余白が埋まってしまっていた。資料をまとめるどころか、学ぶべきことの多さにまず圧倒されている、というのが現状である。
「何で?」
心底分からない、という顔の優馬に七瀬は小さなため息を吐いた。
「とにかくオカ研が残ってよかったわね」
「そうだね」
生徒会長選挙が終わり、圧倒的大差で当選した栞が次期会長となっても、オカルト研究会を廃部にするという連絡は一向に来なかった。一週間、また一週間と待つうちに二ヶ月が経ち、いつの間にか来年度部活動予算計画などという一覧表の中にちゃっかりオカルト研究会が入っていたのである。ただ予算そのものは相変わらずの0円だったのだが。
そんなわけで、優馬たちは部室を追われることもなく活動を続けている。
「そう言えば、この町から心霊現象がなくなったのってやっぱり龍神の力なのかな」
「かも知れないね」
龍の道から戻ってきた優馬たちが最初に目にしたのは、真っ二つに裂け黒こげになった大木だった。神社の境内に踏み込んでから元の世界に戻るまで、余りにも非現実的な体験ではあったが、紛れもなく事実だったのだと確信している。
なぜなら、あれから町中至るところにあった心霊現象がぱったりなくなってしまったのだ。いくら霊感に覚えのある者が試したところで、結果は同じだった。
龍神が龍の道を再び開き、身動きとれずにいた死者たちをあるべきところへ還した。誰が何と言おうと、例え笑われようと、優馬はそう信じている。
けれども本題は別のところにあった。
「雷雲の中を駆け巡る龍の大群を見た」と語る者が続出したのだ。
報せはあっという間に全国を駆け巡り、ご利益にあやかろうという参拝者が雪崩を打って神社へ押し寄せてきた。つい先日まで閑散としていた駐車場には他県ナンバーの観光バスが所狭しとひしめき合い、平日でさえも正月以上の賑わいを見せるようになっていた。週刊誌やワイドショーも競うように龍神伝説を取り上げ、関連情報を目にしない日はないほど人々の関心と話題を独占していた。
そんな中で行われることとなった秋祭には多くの参拝者、観光客が訪れ、土産物屋や旅館は突然降って湧いたブームの到来に嬉しい悲鳴を上げていた。現代に蘇った龍神伝説は、町のかつての賑わいをも蘇らせようとしていた。
優馬はと言えば、そんな町の熱狂から完全に距離を置いていた。オカルト研究会にも意地の悪い注目が集まったが、優馬は一向に記事を書こうとしなかった。既に正明のノートに触れていたため、ゴシップ記事への興味を完全に失っていた。
「私、結局お父さんにお礼言いそびれちゃった」
優馬は「んー」と呟きながら思案し、「いいんじゃないの?」と返した。
「ちょっと。私真面目に言ってるんだから」
「いや、だからさ、正明さんは満足してたんじゃないかなって話。七瀬の元気な姿を見られた上に町の呪いも消えたわけだし。思い残すこと、なかったと思うよ」
気色ばむ七瀬に苦笑しつつ、優馬は落ち着いた口調で答えた。
「そうかな」
「ほら、最後だってすごく満足げな顔してたし」
「そっか。うん、そうかも」
七瀬が納得したところで会話が途切れた。祭囃子が沈黙をとりなす様に賑やかさを増すと、優馬はようやく窓の外へ視線を向けた。
「優馬、ホントにお祭見に行かなくていいの?」
「いいよ。やることやらないといけないしね」
が、外を見ていたのもほんの束の間、優馬は再びノートに視線を落とした。
「私はまあ、優馬がいいって言うなら」
いいんだけど、と言い掛けたところで七瀬はにやりと笑った。
「今日さ、朝一番に栞に会って来たんだよね。着物着てお化粧して、すっごい綺麗だった。本物のお嫁さんみたいだったんだから」
祭一番の見物は花嫁行列であり、人力車に乗った若い男女が古い町並みを回り最後に龍神に誓いを立てる、というものである。
その昔滝上一族の若者が龍神に祈願したところ村一番の器量よしと結ばれた、という龍神伝説のきっかけとなった逸話を契機に始まったのだが、近年は人口減少に伴い途絶えてしまっていた。これを、今こそ好機と捉えた住民たちが肝入りで復活させたのだ。
本来であれば本物の結婚式として男女を募るところだが、急きょ選ばれたのは正樹と栞である。滝上家の跡取りとしてのお披露目という意味合いが滲んでいるのは確かなものの、理由はそればかりではなかった。
生徒会長を退いた正樹と次期会長となった栞の交際は周囲からも広く歓迎され、新婚夫婦のような仲睦まじさは巷の評判となっていた。気の早い大人たちによるお膳立ての結果ではあったが、話題の二人が主役を務める花嫁行列は注目の的となっていた。
「見とかないと後悔するかもよ?」
「だからいいんだって」
「ほんとに?」
「ほんとに。ていうか栞と喧嘩したんじゃなかったの?」
自分の声に苛立ったものを感じた優馬は、ノートに目を通すのを諦め、顔を上げた。
「えっとね、うん。栞とは仲直りしたの。色々あったけど、もう全部片付いたから。それよりもさ、一緒に会長もいたんだけど何かすっごい仲良くってさ、ほんとに夫婦みたいだった。会長は私にものっすごい嫌そうな顔してたけど」
「ふうん」
七瀬は暫く優馬の反応をうかがっていた。けれども優馬は相変わらず興味を示そうとはしなかった。七瀬は優馬の様子にほっとした表情を浮かべながら、改めて優馬が広げているノートを見つめた。
これは優馬も知らない話ではあるが、正明のノートはさらにもう一冊残されていた。七瀬の母が正明の遺言を秘蔵していたのだ。
タイトルすらないノートには、その手に抱くことなく別れなければならないわが子への想いが震える文字で綴られていた。七瀬はノートを渡されるとともに、これまでひた隠しにされていた様々のことを涙ながらに打ち明けられたのだった。
ここへ至り、七瀬は母との和解をようやく果たすことができた。それもこれも、龍神伝説を巡る戦いに挑んだからこその結果であり、何より優馬がいたからこその勝利であった。
七瀬は棚に飾ってある両親の写真を見つめた。洞窟へ自分を助けに来たときに優馬が持っていたものだ。シンプルな枠の中に、何の屈託もない幸せな笑顔が並んでいる。
七瀬はもう一人ではなかったし、一人だと思っていた時でさえ決して一人ではなかった。教えてくれたのは、他でもない優馬だった。
胸の中に温かなものを感じながら、七瀬は語りかけた。