オカルト研究会と龍の道
「ところでさ、優馬」

「なに?」

「今日これから、時間ある?」

「これを読むだけだから、予定は何もないけど」

「そっか」

 七瀬は何かに考えを巡らせるかのように空を見上げた。呪いがきれいさっぱり消えた町の空は、以前よりも透き通って見えた。

「あのね。私、今日滝上家の集まりに呼ばれてるんだよね」

「どういうこと?」

 優馬の言葉に非難めいた響きがあるのも当然だった。滝上家こそ町に巣食っていた呪いの元凶であり、七瀬親子を苦しめた元凶なのだから。

「おじいちゃんがね、って言っても分からないか。とにかく滝上家を束ねてる人から、今度一族で集まるからお母さんと一緒に遊びに来なさいってお誘いがあったの」

「行くの?」

「当たり前よ。だって滝上家がお父さんの名誉を認めてくれたっていう証拠だもの。胸張って堂々と行くわよ。あ、それでね、私のところに話を伝えに来たのが何と会長だったの。あの時の顔、優馬にも見せてあげたかったなー。もうね、すっごい機嫌悪いの。『たとえ家が認めても、俺は絶対に認めねえ』って顔に書いてあるわけ。もう笑いをこらえるのが大変でさー」

 七瀬はこみ上げてきた笑いに思わず吹き出した。けれどそれも一瞬のこと。こほんと軽く咳払いして表情を引き締めた。

「でね、栞も会長と一緒に行くんだよね。今日のお祭が終わったら会長、ってもう会長じゃないのか。えっと、前の会長と一緒に行くって」

 優馬は話が読めず訝しげな表情を浮かべていた。それを自分に話してどうするのか、と。

「優馬にも、私と一緒に来て欲しいんだけど」

 優馬はなおも七瀬の真意が掴めずにいた。生徒会長が栞を連れていくのはまだ分かる。自らの交際相手として親戚一同に紹介するためだ。跡取りという立場上、また祭の主役を張る手前、そういったこともおろそかにはできないのだろう。

 だとしたら、七瀬が自分を連れていくのはどういうつもりなのか。

「……えぇ?」
 
 優馬はビクンと身体を硬直させ、目を大きく見開いた。七瀬は、そんな優馬から目を逸らすことなく静かに見つめている。

 優馬は、七瀬が冗談を言っているのではないのを悟るとみるみる顔を紅潮させた。

「ちょちょちょ、ちょっと待って」

「あ、もしかして怖いの?」

 余裕たっぷりに、優馬の反応を楽しむようにわずかな笑みを浮かべる七瀬の瞳は、優馬が淵へ飛びこまされた時と何も変わらないいたずらっぽさを保っている。一方で、かつてショートカットだった髪は腰まで届くほどになり、見違えるほど大人びた身体を艶やかになぞっている。

 変わること、変わらないこと。それらは無数に重なり合いながら新たな自分を作っていく。龍神の一件で自分も少しは変われたんじゃないか。そう思う一方で、優馬は痛切に悟らざるを得なかった。自分はきっと目の前にいる少女には一生敵わないのだ、と。

「その前にさ、なんて言うか、えっと」

 優馬は何度か大きく深呼吸。背中にどっと汗が滲んでくるのを感じながら、今までのことを振り返る。七瀬と再会して今までずっと振り回されっぱなしだった。これからもきっとそうに違いない。けれども嫌なのかと聞かれれば、決してそんなことはなかった。

 むしろ考えるべきはこれからのことだった。ひょっとしたら、今後も生徒会長こと滝上正樹と幾度となく対峙することになるかもしれない。となれば龍神伝説の一件は本番どころか、ほんの始まりに過ぎない。

 ──会長と戦う覚悟はある?
 
 七瀬が問いかける意味はそういうことだ。
 
 優馬は空を見上げた。神社の奥で光を浴びたあの日灰色に濁り切っていた空は、青く果てしなく晴れ渡っている。今の自分ならきっとやれる。そんな気がした。

 優馬は覚悟を決め、七瀬をまっすぐに見据えた。七瀬は優馬のことを少しだけ眩しげに、けれども表彰でも受けるような誇らしさで見返した。

「聞いて欲しいことがあるんだ」

 優馬が緊張した面持ちで切りだすと、穏やかだった風が突如部屋の奥まで吹き抜けた。風を受けたカーテンが大きくはためき、優馬と七瀬を覆い隠す。風が収まってみると、薄地の白い生地が七瀬を柔らかく包んでいた。

 優馬は、これまで全く縁のなかった状況にとまどいつつも懸命に言葉を紡いだ。途中から頭の中は真っ白だった。七瀬がどんな表情で聞いているかも分からなかった。果たして上手く言えたのかどうか、七瀬のみが知るところとなった。

 優馬が言い終えると、沈黙が訪れた。時間にしてみれば、ほんの数秒。けれども、二人にとっては時が歩みを止めてしまったかのように濃密な瞬間だった。

 額に汗かく優馬に、名残りを惜しみながらも七瀬は小さくうなずいた。もはや言葉は不要だった。互いに身を寄せ合うと目を閉じ、柔らかな感触を重ね合った。

 すると、二人の結末を待ちかねていたかのように空に号砲が弾けた。町中に聞こえるほどの破裂音が響き渡ると、やや遅れて拍手や歓声が微かながらも聞こえてくる。

 願いに応える神の祀りが、今まさに始まろうとしていた。
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