オカルト研究会と龍の道
優馬は椅子から動くことすらできないまま、しばし呆然とする。
焦点の合わない視線は開け放たれたままの扉の向こう、くすんだ光に照らされた廊下へと向けられている。
「あーーーーーー、だりっ」
七瀬はその麗しい見目に似合わない気だるげな声と共に、体を投げ出すようにどっかと机に腰を下ろす。
はっと意識を取り戻した優馬は、再度飛びついてパソコンをガードした。そのまま振動が収まるのをじっと待つ。
「優馬を巻きこんじゃったね」
「えっ? あぁ大丈夫」
七瀬は長机に腰掛けたまま、視線を壁に向けている。その横顔に向けて愛想笑いを浮かべながら、優馬は抱きかかえたままのパソコンをぽんぽんと叩く。
「そうじゃなくて」
「へ?」
「だから、龍神伝説のこと」
「ああ。えっと、うん」
相変わらず壁に向かったままの七瀬に向かって、なんと答えればいいのか。上手い言葉が浮かばない。数分前に過ぎ去ったばかりの嵐を、まだ自分でも消化できていないのだ。
ことの重大さを、受け止めきれずにいるのだ。
「ほんと変わんないよね、『そういうところ』」
「はあ」
そういうところ、がどういうところなのかいまひとつ判然としないまま、優馬はなんとなくうなずいてみせる。
「ところで、さっきの『町を出てく』っていうのは」
「本気よ。冗談なんかじゃないから」
「え? だって、こっちに引っ越してきたばかりなんだよね?」
「優馬は気にしなくていいの。知っても別に楽しくないし。優馬はただバカな奴に付き合わされてやっただけ。そう言っとけば、後々都合がいいだろうしさ」
優馬は首を傾げた。
「分かんないか。うん、まあその方がいいよ。それに分かっちゃったら……ううん、何でもない」
七瀬は相変わらず壁に向かったまま首を振る。何の話をしているのか、優馬にはさっぱり理解できなかった。
生徒会長とのことも含め、何か深い事情がありそうだ、ということ以外は、何も。
「それはいいけど、何で龍神なのさ」
優馬は優馬の中に一番引っかかっていた疑問だった。
「だって、すぐ目に付いたんだもの」
七瀬の指先は机の上の資料に向けられている。
「それだけなの?」
「うん。それだけ。ぱっと頭に浮かんだんだよね。『そうだ、龍神だ』って。神様なら、きっと何とかしてくれるって。あえて言うなら、それが理由」
優馬は予想外の答えにずっこけた。
「けどさ」
力強い言葉に優馬は顔を上げ、わたわたと目を泳がせた。七瀬の言葉以上に力のこもった目が、真っ直ぐに優馬を捉えていた。恐怖とも恥ずかしさとも違う、何とも言いようのない感覚に、優馬は落ち着きなく身を揺すらせた。
そんな姿に、七瀬は一瞬きょとんと目を見開く。が、すぐに表情を和らげ、くすりと小さな笑みをこぼす。
「龍神はいるよ。絶対にいる。私、自信あるんだよね」
自分の言葉を確かめるように、七瀬は大きくうなずいた。
「見たことあるの?」
七瀬の思わせぶりな言葉に、思わず声が上ずってしまう。
「ないよ? あるわけないって」
「でも見れると思ってるんだよね?」
「もちろん。そうじゃなかったら、賭けなんてできないって」
七瀬は気持ち胸を反らしながら答えてみせる。
「そんな自信持たれてもなあ」
「じゃあ、優馬はいないと思ってるの?」
「そりゃあ、まあねえ」
「そっか。うん、そうだよね。いるわけないもん。普通に考えれば、ね」
「七瀬は違うの?」
「その辺は、内緒」
七瀬は一旦言葉を区切り、視線を逸らした。どこか遠くを見るような、力の抜けた表情で七瀬が見つめる先は一体どこなのか。優馬には皆目見当もつかない。
が、それもほんの一瞬。ぱっとテーブルから降りると、七瀬は改まった表情で優馬に向き直る。
「ま、そういうわけでさ。二ヶ月ちょっとのあいだ、龍神探しを手伝ってくれないかな?」
優馬の目の前に差し出されたのは、七瀬の右手。優馬は何となく眺めるようにして、
「ほら、早く」半ば促されるようにして握った手は意外なほど小さく柔らかくて……。
「な、何顔赤くしてんのよ!」
七瀬は振りほどくように手を引っ込めると、汚いものでも触ったかのようにぱっぱとスカートの裾で払う。
「と、とにかく! 明日からびしびし行くから。ちゃんと付いてきなさいよね!」
──部長は僕なんだけどなあ。
何やら理不尽な思いを抱きながら、優馬は渋々うなずいた。
これが、オカルト研究会二人目の部員が誕生した瞬間であった。
……と、いうことがあったのである。
それからというもの、ほんの一週間ではあったが優馬は七瀬に振り回される、というよりも引きずられるように過ごしてきた。平穏な時間など一秒もないくらいに。
今となってはつくづく自分のお人よし加減が恨めしくもある。それに、七瀬の選択が何故よりにもよってオカルト研究会だったのか。疑問もないわけではない。
が、今はとにかくできることをやっていかなければどうしようもない。他の道など今の自分にはない。そう自分に言い聞かせながら、今日もこうして謎の解明に向けて足を運んでいる。
焦点の合わない視線は開け放たれたままの扉の向こう、くすんだ光に照らされた廊下へと向けられている。
「あーーーーーー、だりっ」
七瀬はその麗しい見目に似合わない気だるげな声と共に、体を投げ出すようにどっかと机に腰を下ろす。
はっと意識を取り戻した優馬は、再度飛びついてパソコンをガードした。そのまま振動が収まるのをじっと待つ。
「優馬を巻きこんじゃったね」
「えっ? あぁ大丈夫」
七瀬は長机に腰掛けたまま、視線を壁に向けている。その横顔に向けて愛想笑いを浮かべながら、優馬は抱きかかえたままのパソコンをぽんぽんと叩く。
「そうじゃなくて」
「へ?」
「だから、龍神伝説のこと」
「ああ。えっと、うん」
相変わらず壁に向かったままの七瀬に向かって、なんと答えればいいのか。上手い言葉が浮かばない。数分前に過ぎ去ったばかりの嵐を、まだ自分でも消化できていないのだ。
ことの重大さを、受け止めきれずにいるのだ。
「ほんと変わんないよね、『そういうところ』」
「はあ」
そういうところ、がどういうところなのかいまひとつ判然としないまま、優馬はなんとなくうなずいてみせる。
「ところで、さっきの『町を出てく』っていうのは」
「本気よ。冗談なんかじゃないから」
「え? だって、こっちに引っ越してきたばかりなんだよね?」
「優馬は気にしなくていいの。知っても別に楽しくないし。優馬はただバカな奴に付き合わされてやっただけ。そう言っとけば、後々都合がいいだろうしさ」
優馬は首を傾げた。
「分かんないか。うん、まあその方がいいよ。それに分かっちゃったら……ううん、何でもない」
七瀬は相変わらず壁に向かったまま首を振る。何の話をしているのか、優馬にはさっぱり理解できなかった。
生徒会長とのことも含め、何か深い事情がありそうだ、ということ以外は、何も。
「それはいいけど、何で龍神なのさ」
優馬は優馬の中に一番引っかかっていた疑問だった。
「だって、すぐ目に付いたんだもの」
七瀬の指先は机の上の資料に向けられている。
「それだけなの?」
「うん。それだけ。ぱっと頭に浮かんだんだよね。『そうだ、龍神だ』って。神様なら、きっと何とかしてくれるって。あえて言うなら、それが理由」
優馬は予想外の答えにずっこけた。
「けどさ」
力強い言葉に優馬は顔を上げ、わたわたと目を泳がせた。七瀬の言葉以上に力のこもった目が、真っ直ぐに優馬を捉えていた。恐怖とも恥ずかしさとも違う、何とも言いようのない感覚に、優馬は落ち着きなく身を揺すらせた。
そんな姿に、七瀬は一瞬きょとんと目を見開く。が、すぐに表情を和らげ、くすりと小さな笑みをこぼす。
「龍神はいるよ。絶対にいる。私、自信あるんだよね」
自分の言葉を確かめるように、七瀬は大きくうなずいた。
「見たことあるの?」
七瀬の思わせぶりな言葉に、思わず声が上ずってしまう。
「ないよ? あるわけないって」
「でも見れると思ってるんだよね?」
「もちろん。そうじゃなかったら、賭けなんてできないって」
七瀬は気持ち胸を反らしながら答えてみせる。
「そんな自信持たれてもなあ」
「じゃあ、優馬はいないと思ってるの?」
「そりゃあ、まあねえ」
「そっか。うん、そうだよね。いるわけないもん。普通に考えれば、ね」
「七瀬は違うの?」
「その辺は、内緒」
七瀬は一旦言葉を区切り、視線を逸らした。どこか遠くを見るような、力の抜けた表情で七瀬が見つめる先は一体どこなのか。優馬には皆目見当もつかない。
が、それもほんの一瞬。ぱっとテーブルから降りると、七瀬は改まった表情で優馬に向き直る。
「ま、そういうわけでさ。二ヶ月ちょっとのあいだ、龍神探しを手伝ってくれないかな?」
優馬の目の前に差し出されたのは、七瀬の右手。優馬は何となく眺めるようにして、
「ほら、早く」半ば促されるようにして握った手は意外なほど小さく柔らかくて……。
「な、何顔赤くしてんのよ!」
七瀬は振りほどくように手を引っ込めると、汚いものでも触ったかのようにぱっぱとスカートの裾で払う。
「と、とにかく! 明日からびしびし行くから。ちゃんと付いてきなさいよね!」
──部長は僕なんだけどなあ。
何やら理不尽な思いを抱きながら、優馬は渋々うなずいた。
これが、オカルト研究会二人目の部員が誕生した瞬間であった。
……と、いうことがあったのである。
それからというもの、ほんの一週間ではあったが優馬は七瀬に振り回される、というよりも引きずられるように過ごしてきた。平穏な時間など一秒もないくらいに。
今となってはつくづく自分のお人よし加減が恨めしくもある。それに、七瀬の選択が何故よりにもよってオカルト研究会だったのか。疑問もないわけではない。
が、今はとにかくできることをやっていかなければどうしようもない。他の道など今の自分にはない。そう自分に言い聞かせながら、今日もこうして謎の解明に向けて足を運んでいる。