キャラメルと月のクラゲ
シズクが本を借りてから一週間後、本を返しに行くからと再び大学に現れた。
「朋弥、これからどうするの? バイト?」
「うん。今日はバイト」
定休日の掃除と餌やり当番は僕と鹿山さんだった。
「じゃあ、一緒に行こうかな。この前ブライン買うの忘れちゃったし」
二人で図書館に本を返却すると、僕らはそのままモノレールに乗った。
「この前、鹿山さんだっけ? 会ったよ」
時折晴れの日もあったが、今日も雨だった。
「………あ、会ったんだ」
「たまたま図書館来てたみたい。すっごいかわいい子だね」
同じバイトなんでしょ?
シズクは窓の外側に当たる水滴を見ていた。
「朋弥、あーゆー子、好き?」
シズクは時々あらぬ方向からの質問を投げ付けてくる。
「何言ってんの?」
僕の初カノは君なのに?
「全然。好きなタイプではないかな」
この空気は一体何だろうか。
窓の外は雨。
思い返すとシズクとの初デートも雨だった。
それから、最後の日も雨。
「そっか。朋弥も意外とあの子みたいな濃いめのメイクでもイケると思ったのに」
そう言えば今日のシズクもナチュラルなメイクだった。
一年ぶりに会った日は濃いめのメイクだったのに。
「濃いメイクが嫌いってわけじゃないけど、何だか違う世界の住人みたいに思うかな」
たとえば、世間には見えないテリトリーがあって、僕らの世界と彼女の世界は同じところにあるのにちょっとした時空の歪《ゆが》みで触れることすらできないような感覚。
「じゃあ私も違う世界の住人かもね」
とシズクは開いたドアから降りた。
それから最寄り駅に着くまでシズクはほとんどしゃべらなかった。
改札を出て南側の階段を降りた。
「やっぱりシズク、雨女だよね?」
僕は傘を開くと左隣のシズクとの間に差した。
「それは自分でもそう思ってる」
不服そうなシズクは、僕と一緒に歩き出す。
二人の足音が並ぶ。
同じ歩幅で同じ早さで。
少し体温の高いシズクのコートや切りそろえられた髪が揺れるたび、女の子特有の甘ったるくて悲しい匂いが僕の心を締め付ける。
「あのさ、朋弥」
雨がしとしとと傘を打つ。
「ん? どうした?」
シズクは少しうつむきながら、歩いている。
「………やっぱりいいや」
僕の隣にいるのは、いつのシズクだろうか。
「言いなよ。聞くから」
付き合った頃の高校生?
大学に入ったばかり?
それとも、今の知らないシズクだろうか。
「うん、今度ね。もう少し大きい水槽を買おうかと思ってて。LEDで光るヤツ。ちょっと遠いけど一緒に見に行かない?」
別れてからのシズクを僕は知らない。
どこの誰と付き合ってキスをしてセックスをしたのか。
「うん、いいよ。いつにする?」
僕とシズクが別れた理由を僕の中で消化しきれていない。
「来週の水曜日がいいな」
「わかった。鹿山さんにバイト代わってもらえるか聞いてみるよ」
「そっか。ダメだったら別の日で考えるね」
「たぶん大丈夫だよ。鹿山さんには貸しがいっぱいあるし」
「そうなの? 私からも鹿山さんにお願いしてみようかな。今日いるんだよね?」
「うん、いるよ。今日は昼から掃除してる。だけど、シズクはいいの?」
「え?」
「カレシ。男と、しかも元カレと出かけるのは嫌なんじゃない?」
「んー、どうかな。でもちょっと前に別れたから関係ないんじゃない?」
「え? 別れたの?」
僕を好きじゃなくなったとシズクが話を切り出したあの日、シズクにはもう新しい恋人がいた。
年上の優しいヒトだとシズクは言った。
「うん。だから、今はカレシ、いないよ?」
僕とシズクの間を雨音だけの沈黙が埋めている。
「………着いたね」
「うん。着いちゃった」
「表は開いてないだろうから裏口から入ろう」
「うん。ブライン買ったら今日は帰るね」
「わかった。いくついる?」
「今日は一個でいいよ。定休日だったのにごめんね」
「いいよいいよ。今日は掃除したらすぐ帰れるから」
「すぐ帰れるの? 何時くらい?」
「んー、それでも8時くらいかな」
僕はそう言いながら裏口の扉を開けた。
「あ、椋木くん遅ーい! 餌やりとお店の掃除は終わったから椋木くんは水槽の………掃除ね………?」
「どうも。鹿山さん」
僕よりも先にシズクは彼女に挨拶をした。
「どうも。えーっと、ドロップアウトさん?」
「水窪シズク、です」
「そうなんだ。へえー」
何やら入り込めない空気を感じて僕は立ち尽くしていた。
「今日は定休日なのでまたの機会にご利用ください」
「朋弥がいいって言ったんでブライン買ったら帰ります。ね、朋弥」
「あ、うん」
「ふーん。じゃあ、あとはよろしくね。椋木くんが遅いせいでデート遅刻しちゃう」
と彼女は僕に着ていたエプロンを投げ付けて出ていった。
「朋弥。これで終わり?」
シズクは最後のミズクラゲを水槽に移して言った。
「だな。悪いな、手伝わせて」
「全然。バイトでいつもしてることだし。てか毎週一人でやってるの?」
「いや。ほんとは二人」
「あー、それはごめん。私のせいか」
「いいよ。もともと今日は鹿山さん早上がりの予定だったから」
「そっか。ならいいけど。………あのヒトとも一緒にやるんだよね?」
「あのヒト? ミオ先輩? 前はたまにそうだったけどミオ先輩の時はオーナーがやってる」
「そうなんだ。じゃあ、また朋弥が一人の時は手伝ってあげるよ」
「だったらバイト代出さなきゃね」
「それは朋弥に払ってもらうよ。今日の予定もズレちゃったし」
「予定あったの? 先に言いなよ。無理に手伝うことなかったのに」
「いいのいいの。予定って言っても朋弥におごってもらう予定だったから」
「………え? マジで?」
「バイト代、代わりに払ってよね。今日は肉が食べたいな」
「………焼肉でいい?」
「やった。にく、ニク、肉」
今にも踊り出しそうなテンションで歌いながら掃除道具を片付けている。
懐かしい後ろ姿。
「シズク」
懐かしいって、何だろう。
「ん? なぁに?」
僕の好きだったシズクはそこにはいない。
「………食べ放題でいい? 安いヤツ」
「もちろん。高級な焼肉は後々の楽しみにしておきます」
「いつだよ。それ」
だけどその笑顔は、好きなんだと思う。
夜空は相変わらずの雨模様で服に染み付いた焼肉の匂いが少しだけ残っている。
一つの傘の下で口直しのガムを食べながら僕とシズクはたわいない会話を焼肉の余韻と一緒に歩きながら続けていた。
「でも朋弥、昔ガム好きじゃなかったよね」
「うん、今もそうだよ。何かだんだん味がなくなるじゃん」
「あー、なくなるね。食べながらちょっとさみしくなるよね」
「口さみしい、みたいな?」
シズクはガムをバッグから取り出したティッシュに吐き出した。
「だからタバコ吸うんだろうね。お口がさみしいのですよ。はい」
僕の口にティッシュを差し出す。
僕はガムを吐き出すとそのゴミを受け取って服のポケットにしまう。
「そのまま洗濯しないでよ」
笑うシズクの首にかかっている赤いヘッドフォンに少し雨粒が付いている。
「わかってる」
高校の頃から同じ型のヘッドフォンを使っていた。
シズクが言ったことはなかったけど、別れた時は三台目だった。
「あ、シズク。ちょっと髪の毛食べてる」
けれど、今が何台目かを知らない。
「え? ほんと? 取って」
とがらせたシズクの口から髪の毛を引っ張り出す。
「はい。オッケー」
「うん。ありがと」
何気ないこの距離感が不思議だった。
まるであの頃に戻ったみたいに近い距離。
「シズク、やっぱり変わったよね」
「またその話?」
たった1年でシズクは変わってしまった。
「それは、朋弥もだよ」
「………え?」
「1年前は、そんなに優しくなかった」
シズクの視線は前を向いたままだった。
「ううん。優しかった。………でも優しくなかった」
シズクの中で呼び起こされている記憶の中の僕はどんな僕なんだろう。
「———ごめん。何か、頭の中ぐちゃぐちゃ」
目にたまった涙がこぼれ落ちそうで、それを拭《ぬぐ》うシズクの指に少しだけ黒い線が伸びる。
僕とシズクは駅前の広場に立ち止まる。
涙をこらえるシズクに僕は何もできず、ただシズクのバッグから再び出てきたティッシュで涙を吸い取った。
「………あのね、朋弥」
しばらくの沈黙をおいてシズクが話し出した。
「私の頭の中にね、二人の自分がいて交互にこう言うの。―――朋弥とやり直したい。だけど別れを切り出したのは私なんだからそんなワガママは許されないって」
いつもは前を向いて気が強いシズクが、今はうつむき僕にだけ聞こえる小さな声で話す。
僕達はこのままどこへ行くのか。
「———どっちもシズクだろ」
僕も話し出す。
「別れたことに理由を求めるなら僕だって悪いんだ。シズクの気持ちをわかろうとしてなかった」
「朋弥は悪くないよ。許してなんて言えな———」
「許すよ。自分だけが悪いみたいに言うなよ」
ただこれはシズクのかまってほしいだけのワガママに振り回されているだけかもしれない。
「別れたことは二人で選んだ結果だろ? シズクだけの責任じゃないよ」
「朋弥………」
そのワガママなカノジョの涙の雫《しずく》があふれてしまいそうな瞳は、僕だけをゆらゆらと映している。
「朋弥、好きだよ」
高校の時、夕暮れの西日が薄い角度で入り込む教室で、
「うん。僕も、好きだよ」
僕とシズクは、そう思いを伝え合って、付き合った。
「———だけど、ヨリ戻すかは少し考えさせてくれない?」
好きだからと言いながらどこか違うとも思ってる。
「………うん。わかった」
もう一度うつむいたシズクの瞳から一つだけ涙がこぼれた。
「あー、それとね、朋弥。私、終電なくなっちゃった」
僕はシズクを好きなんだろうか?
「だから、家行っていい?」
シズクを、愛しているんだろうか。
***
「朋弥、これからどうするの? バイト?」
「うん。今日はバイト」
定休日の掃除と餌やり当番は僕と鹿山さんだった。
「じゃあ、一緒に行こうかな。この前ブライン買うの忘れちゃったし」
二人で図書館に本を返却すると、僕らはそのままモノレールに乗った。
「この前、鹿山さんだっけ? 会ったよ」
時折晴れの日もあったが、今日も雨だった。
「………あ、会ったんだ」
「たまたま図書館来てたみたい。すっごいかわいい子だね」
同じバイトなんでしょ?
シズクは窓の外側に当たる水滴を見ていた。
「朋弥、あーゆー子、好き?」
シズクは時々あらぬ方向からの質問を投げ付けてくる。
「何言ってんの?」
僕の初カノは君なのに?
「全然。好きなタイプではないかな」
この空気は一体何だろうか。
窓の外は雨。
思い返すとシズクとの初デートも雨だった。
それから、最後の日も雨。
「そっか。朋弥も意外とあの子みたいな濃いめのメイクでもイケると思ったのに」
そう言えば今日のシズクもナチュラルなメイクだった。
一年ぶりに会った日は濃いめのメイクだったのに。
「濃いメイクが嫌いってわけじゃないけど、何だか違う世界の住人みたいに思うかな」
たとえば、世間には見えないテリトリーがあって、僕らの世界と彼女の世界は同じところにあるのにちょっとした時空の歪《ゆが》みで触れることすらできないような感覚。
「じゃあ私も違う世界の住人かもね」
とシズクは開いたドアから降りた。
それから最寄り駅に着くまでシズクはほとんどしゃべらなかった。
改札を出て南側の階段を降りた。
「やっぱりシズク、雨女だよね?」
僕は傘を開くと左隣のシズクとの間に差した。
「それは自分でもそう思ってる」
不服そうなシズクは、僕と一緒に歩き出す。
二人の足音が並ぶ。
同じ歩幅で同じ早さで。
少し体温の高いシズクのコートや切りそろえられた髪が揺れるたび、女の子特有の甘ったるくて悲しい匂いが僕の心を締め付ける。
「あのさ、朋弥」
雨がしとしとと傘を打つ。
「ん? どうした?」
シズクは少しうつむきながら、歩いている。
「………やっぱりいいや」
僕の隣にいるのは、いつのシズクだろうか。
「言いなよ。聞くから」
付き合った頃の高校生?
大学に入ったばかり?
それとも、今の知らないシズクだろうか。
「うん、今度ね。もう少し大きい水槽を買おうかと思ってて。LEDで光るヤツ。ちょっと遠いけど一緒に見に行かない?」
別れてからのシズクを僕は知らない。
どこの誰と付き合ってキスをしてセックスをしたのか。
「うん、いいよ。いつにする?」
僕とシズクが別れた理由を僕の中で消化しきれていない。
「来週の水曜日がいいな」
「わかった。鹿山さんにバイト代わってもらえるか聞いてみるよ」
「そっか。ダメだったら別の日で考えるね」
「たぶん大丈夫だよ。鹿山さんには貸しがいっぱいあるし」
「そうなの? 私からも鹿山さんにお願いしてみようかな。今日いるんだよね?」
「うん、いるよ。今日は昼から掃除してる。だけど、シズクはいいの?」
「え?」
「カレシ。男と、しかも元カレと出かけるのは嫌なんじゃない?」
「んー、どうかな。でもちょっと前に別れたから関係ないんじゃない?」
「え? 別れたの?」
僕を好きじゃなくなったとシズクが話を切り出したあの日、シズクにはもう新しい恋人がいた。
年上の優しいヒトだとシズクは言った。
「うん。だから、今はカレシ、いないよ?」
僕とシズクの間を雨音だけの沈黙が埋めている。
「………着いたね」
「うん。着いちゃった」
「表は開いてないだろうから裏口から入ろう」
「うん。ブライン買ったら今日は帰るね」
「わかった。いくついる?」
「今日は一個でいいよ。定休日だったのにごめんね」
「いいよいいよ。今日は掃除したらすぐ帰れるから」
「すぐ帰れるの? 何時くらい?」
「んー、それでも8時くらいかな」
僕はそう言いながら裏口の扉を開けた。
「あ、椋木くん遅ーい! 餌やりとお店の掃除は終わったから椋木くんは水槽の………掃除ね………?」
「どうも。鹿山さん」
僕よりも先にシズクは彼女に挨拶をした。
「どうも。えーっと、ドロップアウトさん?」
「水窪シズク、です」
「そうなんだ。へえー」
何やら入り込めない空気を感じて僕は立ち尽くしていた。
「今日は定休日なのでまたの機会にご利用ください」
「朋弥がいいって言ったんでブライン買ったら帰ります。ね、朋弥」
「あ、うん」
「ふーん。じゃあ、あとはよろしくね。椋木くんが遅いせいでデート遅刻しちゃう」
と彼女は僕に着ていたエプロンを投げ付けて出ていった。
「朋弥。これで終わり?」
シズクは最後のミズクラゲを水槽に移して言った。
「だな。悪いな、手伝わせて」
「全然。バイトでいつもしてることだし。てか毎週一人でやってるの?」
「いや。ほんとは二人」
「あー、それはごめん。私のせいか」
「いいよ。もともと今日は鹿山さん早上がりの予定だったから」
「そっか。ならいいけど。………あのヒトとも一緒にやるんだよね?」
「あのヒト? ミオ先輩? 前はたまにそうだったけどミオ先輩の時はオーナーがやってる」
「そうなんだ。じゃあ、また朋弥が一人の時は手伝ってあげるよ」
「だったらバイト代出さなきゃね」
「それは朋弥に払ってもらうよ。今日の予定もズレちゃったし」
「予定あったの? 先に言いなよ。無理に手伝うことなかったのに」
「いいのいいの。予定って言っても朋弥におごってもらう予定だったから」
「………え? マジで?」
「バイト代、代わりに払ってよね。今日は肉が食べたいな」
「………焼肉でいい?」
「やった。にく、ニク、肉」
今にも踊り出しそうなテンションで歌いながら掃除道具を片付けている。
懐かしい後ろ姿。
「シズク」
懐かしいって、何だろう。
「ん? なぁに?」
僕の好きだったシズクはそこにはいない。
「………食べ放題でいい? 安いヤツ」
「もちろん。高級な焼肉は後々の楽しみにしておきます」
「いつだよ。それ」
だけどその笑顔は、好きなんだと思う。
夜空は相変わらずの雨模様で服に染み付いた焼肉の匂いが少しだけ残っている。
一つの傘の下で口直しのガムを食べながら僕とシズクはたわいない会話を焼肉の余韻と一緒に歩きながら続けていた。
「でも朋弥、昔ガム好きじゃなかったよね」
「うん、今もそうだよ。何かだんだん味がなくなるじゃん」
「あー、なくなるね。食べながらちょっとさみしくなるよね」
「口さみしい、みたいな?」
シズクはガムをバッグから取り出したティッシュに吐き出した。
「だからタバコ吸うんだろうね。お口がさみしいのですよ。はい」
僕の口にティッシュを差し出す。
僕はガムを吐き出すとそのゴミを受け取って服のポケットにしまう。
「そのまま洗濯しないでよ」
笑うシズクの首にかかっている赤いヘッドフォンに少し雨粒が付いている。
「わかってる」
高校の頃から同じ型のヘッドフォンを使っていた。
シズクが言ったことはなかったけど、別れた時は三台目だった。
「あ、シズク。ちょっと髪の毛食べてる」
けれど、今が何台目かを知らない。
「え? ほんと? 取って」
とがらせたシズクの口から髪の毛を引っ張り出す。
「はい。オッケー」
「うん。ありがと」
何気ないこの距離感が不思議だった。
まるであの頃に戻ったみたいに近い距離。
「シズク、やっぱり変わったよね」
「またその話?」
たった1年でシズクは変わってしまった。
「それは、朋弥もだよ」
「………え?」
「1年前は、そんなに優しくなかった」
シズクの視線は前を向いたままだった。
「ううん。優しかった。………でも優しくなかった」
シズクの中で呼び起こされている記憶の中の僕はどんな僕なんだろう。
「———ごめん。何か、頭の中ぐちゃぐちゃ」
目にたまった涙がこぼれ落ちそうで、それを拭《ぬぐ》うシズクの指に少しだけ黒い線が伸びる。
僕とシズクは駅前の広場に立ち止まる。
涙をこらえるシズクに僕は何もできず、ただシズクのバッグから再び出てきたティッシュで涙を吸い取った。
「………あのね、朋弥」
しばらくの沈黙をおいてシズクが話し出した。
「私の頭の中にね、二人の自分がいて交互にこう言うの。―――朋弥とやり直したい。だけど別れを切り出したのは私なんだからそんなワガママは許されないって」
いつもは前を向いて気が強いシズクが、今はうつむき僕にだけ聞こえる小さな声で話す。
僕達はこのままどこへ行くのか。
「———どっちもシズクだろ」
僕も話し出す。
「別れたことに理由を求めるなら僕だって悪いんだ。シズクの気持ちをわかろうとしてなかった」
「朋弥は悪くないよ。許してなんて言えな———」
「許すよ。自分だけが悪いみたいに言うなよ」
ただこれはシズクのかまってほしいだけのワガママに振り回されているだけかもしれない。
「別れたことは二人で選んだ結果だろ? シズクだけの責任じゃないよ」
「朋弥………」
そのワガママなカノジョの涙の雫《しずく》があふれてしまいそうな瞳は、僕だけをゆらゆらと映している。
「朋弥、好きだよ」
高校の時、夕暮れの西日が薄い角度で入り込む教室で、
「うん。僕も、好きだよ」
僕とシズクは、そう思いを伝え合って、付き合った。
「———だけど、ヨリ戻すかは少し考えさせてくれない?」
好きだからと言いながらどこか違うとも思ってる。
「………うん。わかった」
もう一度うつむいたシズクの瞳から一つだけ涙がこぼれた。
「あー、それとね、朋弥。私、終電なくなっちゃった」
僕はシズクを好きなんだろうか?
「だから、家行っていい?」
シズクを、愛しているんだろうか。
***