キャラメルと月のクラゲ
「ミオ先輩が、バイトを辞めたの」
僕らは罪深い。
「インターンでもう働き始めるんだって。ミオ先輩、C大学で頭もいいからなー」
僕からの連絡は控えていたのに、梨世から連絡が来た。
「最後に、会いたい」
それだけのメッセージに僕は動揺を隠しきれなかった。
「ミオ先輩ね、ずっと輸入雑貨の仕事がしたかったんだって。夢が叶ってほんとにうれしそうだった」
それは会ってからも同様で、車を走らせながらも何を話せばいいのか年甲斐もなく緊張していた。
「ミオ先輩が言ってたの。夢を叶えるってことは、可能性を捨てることだって。無限にある可能性の中から一つずつ、たまには一気に選択肢を消していって、たったひとつの希望を選んでいくことだって」
僕はその捨てられてしまう可能性だ。
「梨世、もうすぐオリオン座流星群の見頃だからまた二人で見に行こう。夏は行けなかったから今度こそピークの時に。そしたら願いごとをしよう」
観覧車の見えるホテルで窓から空を見上げた彼女に僕は言う。
「桂木さん、———ごめんなさい。私、ちゃんとしなきゃいけないと思うの」
僕に顔を向けることなくうつむく。
「付き合ってるヒトがいるの。そのヒトのことだけは、裏切れない」
「そのカレのことが、好きなの?」
「うん。———きっと好きになれると思う」
君の淡い恋心がどうかキレイなままで粉々になってしまえばいいのに。
そうすれば君は一番近い僕のそばにいてくれる。
星に憧れるから、手が届かないって思ってしまうんだよ。
***
ドライブをして郊外の小高い山の上で二人並んで座りながら、
「寒いね」
なんて言いながら私はカレの腕にからまり肩に頭を乗せる。
満ち足りた気持ちになりながら私達は夜景のキレイなホテルでセックスをする。
そんなデートを繰り返していた。
けれど、なぜだろう。
彼はきっとこんなところには連れてきてはくれないなとか、彼だったらもっと星のこと詳しく知っていそうなだなとか思ってしまった。
楽しかった、とか表面的な笑顔を浮かべて言いながら私は心の奥底でずっと彼のことを考えていた。
誰でもいいから心の隙間を埋めてほしかった。
「誰でもよくない。———彼だけ」
合コンはよくする。
だけどオトコ友達が増えるだけで。
「友達以上恋人未満」
都合よく利用して利用されるだけ。
「温もりだけでは埋まらない」
心の傷、みたいなモノ。
「その傷の理由が、高校の時の先生」
オトナの恋だと思っていた。
「不倫? 愛人?」
キンモクセイの匂いがする場所。
「笑わせないでよ。何がオトナなの? んなもんただ盛ってるだけじゃん」
梨世のほうがよっぽど詩人向きだね。
「言い過ぎた。ごめん」
「傷付いた。カニクリ、嫌い」
「ごめん。ついつい、何かさ。こう、あるじゃん?」
「何が?」
「えーっとね、何かに腹が立つのは、自分に対して腹が立つからだ。そういうのどこかで読んだことがあって。それってつまり、その相手の言動や行動に対して過去の自分、悪い部分とか幼い部分とか否定したいモノを投影しているんだよ」
「全然わかんない。つまりどういうこと?」
「私の中に梨世似た部分があるってこと」
「私とカニクリは似てるってこと?」
「認めたくないけど。だから、わかっちゃうの」
「ん?」
「梨世、ほんとは別に好きなヒトがいるんでしょ?」
「………似てるんだからバレちゃうか」
「バレバレ。だけどさ、これから朋弥くんと付き合うんでしょ? だったら高校の時の車でデートとか都心の高層階でディナーとか、そんな価値観をそのまま大学生の朋弥くんに求めないでよね」
「いけないの?」
「できるわけないじゃない。そのヒトと彼は別人なんだから」
ああ、そうか。
やっぱり私は———
「お邪魔しまーす」
それでも私はバイト終わりに彼の部屋へ初めて訪れた。
広くはないけれど一人で暮らすなら十分な部屋の中で、空っぽの水槽がやけに目立っていた。
「水槽、まだ空っぽなんだね。クラゲ、また飼わないの?」
「うん。原因わかんないから。水槽が問題なら買い換えたいし。でも今はお金ないからね」
「そっか。空っぽだと何か、さみしいね」
私がそう言いながら水槽をのぞいていると彼がマグカップに入った温かいコーヒーを差し出す。
「ありがとう」
「それで用事って何だったの?」
「ん? 内緒」
そんなモノは口実だった。
「内緒って」
「たまにはちゃんとお話したいの」
確認をしに来たのだ。
彼は私をちゃんと好きなのか。
私は、彼を好きなのか。
「だってもうあの日から1ヶ月と二週間経つよ。デートらしいデートもしてないし、———キスもしてない」
「………キス、すればいいの?」
並んでベッドに座る彼が私を見ている。
じっと瞳の中に私が映る。
「キスくらい、してよ」
そっと彼の顔が近付く。
コーヒーの香りのする吐息が鼻にかかる。
置き忘れたカップを彼は私から奪い取ると顔を近付けたままテーブルに置く。
「梨世って、呼んでもいい?」
「うん。いいよ———」
私が言い終わらないうちに彼は私の唇を奪う。
唇が触れ合うたびに、舌をからませるたびに、私の中で何かが弾け飛ぶ。
頭の中では記憶と言葉がごちゃ混ぜになってわけがわからなくなる。
「………椋木くん」
苦くて、甘い。
そんなキスだった。
彼の唇がやがて耳を、首筋を伝ってゆっくりと降りてくる。
私の手を包み込む彼の手がそっと私の胸に触れる。
その温かさが服とブラの上からでも伝わって素肌で感じられる。
優しく腰に添えられた手は私の体のラインを確認するようになでてくれる。
静かにベッドに寝かせられると彼はもう一度キスをした。
「———朋弥———」
彼の存在を確かめるように私は彼を抱きしめる。
そんな時、ふとシズクのことを思い出した。
彼の元カノのシズク。
きっとシズクもこのベッドで彼とセックスをしたのだろう。
こんなふうに彼にキスをされながら服を脱がされ、大きな手で胸に触れられた。
吐息だけが密着した私達の隙間を漂《ただよ》い、言葉もいらないこの時間を二人で共有したんだ。
そう思うと、なぜか私の意識はぼやけていたモノがはっきりとしてきた。
それから彼と私が大きく息をしながら力尽きるまで、私はずっと演技をしていた。
オトコが求めるオンナの理想をいつものように繰り返す。
心が別の場所にあるような、私がここにいないような感覚。
「———朋弥、私もっと一緒にいたい。朋弥と話がしたい」
それでも私は嘘をつく。
誰かにそばにいてほしいと、それがアナタだと嘘をつく。
「毎日大学でも会ってるしバイトでも一緒じゃん」
「それじゃ嫌なの。もっともっと一緒にいたいの」
「そんなに急には変われないよ」
「だったら変わってよ。私のために」
彼は私の上に折り重なったままじっと私を見ていた。
「私のこと、好きなんでしょ?」
「好きだよ。それでも、変えられないこともあるよ」
「一緒にいるのに一緒にいないみたい」
私は彼から逃げるようにベッドを抜け出した。
「………そんなんじゃ暇つぶしもできないよ」
脱ぎ捨てた下着を拾う。
「君にとって僕は暇つぶしかもしれないけど、僕は違うよ」
「何が違うの?」
「ちゃんと向き合って付き合ってるよ」
「———付き合うなんて言ってない」
私は彼に背中を向けたままパンツを履く。
「一回ヤッたくらいで付き合ってるとか思われても」
そう言いながら、私は自分がそう言われた時のことを思い出していた。
それは4月のあの日。
高校の時のあの夏の日。
君のことをオンナとして見られない。
何だか妹みたいで。
そう言いながらカレは私とセックスをした。
その行為に愛なんて必要ない。
好きじゃなくてもすることができる。
愛がなくても愛し合える。
幸せじゃなくても、幸せになれる。
私の幸せはそこにあるかもしれないけど、彼の幸せはそこにはない気がして、
「椋木くん。やっぱり私達、合わないみたい」
そう嘘をついた。
***
僕らは罪深い。
「インターンでもう働き始めるんだって。ミオ先輩、C大学で頭もいいからなー」
僕からの連絡は控えていたのに、梨世から連絡が来た。
「最後に、会いたい」
それだけのメッセージに僕は動揺を隠しきれなかった。
「ミオ先輩ね、ずっと輸入雑貨の仕事がしたかったんだって。夢が叶ってほんとにうれしそうだった」
それは会ってからも同様で、車を走らせながらも何を話せばいいのか年甲斐もなく緊張していた。
「ミオ先輩が言ってたの。夢を叶えるってことは、可能性を捨てることだって。無限にある可能性の中から一つずつ、たまには一気に選択肢を消していって、たったひとつの希望を選んでいくことだって」
僕はその捨てられてしまう可能性だ。
「梨世、もうすぐオリオン座流星群の見頃だからまた二人で見に行こう。夏は行けなかったから今度こそピークの時に。そしたら願いごとをしよう」
観覧車の見えるホテルで窓から空を見上げた彼女に僕は言う。
「桂木さん、———ごめんなさい。私、ちゃんとしなきゃいけないと思うの」
僕に顔を向けることなくうつむく。
「付き合ってるヒトがいるの。そのヒトのことだけは、裏切れない」
「そのカレのことが、好きなの?」
「うん。———きっと好きになれると思う」
君の淡い恋心がどうかキレイなままで粉々になってしまえばいいのに。
そうすれば君は一番近い僕のそばにいてくれる。
星に憧れるから、手が届かないって思ってしまうんだよ。
***
ドライブをして郊外の小高い山の上で二人並んで座りながら、
「寒いね」
なんて言いながら私はカレの腕にからまり肩に頭を乗せる。
満ち足りた気持ちになりながら私達は夜景のキレイなホテルでセックスをする。
そんなデートを繰り返していた。
けれど、なぜだろう。
彼はきっとこんなところには連れてきてはくれないなとか、彼だったらもっと星のこと詳しく知っていそうなだなとか思ってしまった。
楽しかった、とか表面的な笑顔を浮かべて言いながら私は心の奥底でずっと彼のことを考えていた。
誰でもいいから心の隙間を埋めてほしかった。
「誰でもよくない。———彼だけ」
合コンはよくする。
だけどオトコ友達が増えるだけで。
「友達以上恋人未満」
都合よく利用して利用されるだけ。
「温もりだけでは埋まらない」
心の傷、みたいなモノ。
「その傷の理由が、高校の時の先生」
オトナの恋だと思っていた。
「不倫? 愛人?」
キンモクセイの匂いがする場所。
「笑わせないでよ。何がオトナなの? んなもんただ盛ってるだけじゃん」
梨世のほうがよっぽど詩人向きだね。
「言い過ぎた。ごめん」
「傷付いた。カニクリ、嫌い」
「ごめん。ついつい、何かさ。こう、あるじゃん?」
「何が?」
「えーっとね、何かに腹が立つのは、自分に対して腹が立つからだ。そういうのどこかで読んだことがあって。それってつまり、その相手の言動や行動に対して過去の自分、悪い部分とか幼い部分とか否定したいモノを投影しているんだよ」
「全然わかんない。つまりどういうこと?」
「私の中に梨世似た部分があるってこと」
「私とカニクリは似てるってこと?」
「認めたくないけど。だから、わかっちゃうの」
「ん?」
「梨世、ほんとは別に好きなヒトがいるんでしょ?」
「………似てるんだからバレちゃうか」
「バレバレ。だけどさ、これから朋弥くんと付き合うんでしょ? だったら高校の時の車でデートとか都心の高層階でディナーとか、そんな価値観をそのまま大学生の朋弥くんに求めないでよね」
「いけないの?」
「できるわけないじゃない。そのヒトと彼は別人なんだから」
ああ、そうか。
やっぱり私は———
「お邪魔しまーす」
それでも私はバイト終わりに彼の部屋へ初めて訪れた。
広くはないけれど一人で暮らすなら十分な部屋の中で、空っぽの水槽がやけに目立っていた。
「水槽、まだ空っぽなんだね。クラゲ、また飼わないの?」
「うん。原因わかんないから。水槽が問題なら買い換えたいし。でも今はお金ないからね」
「そっか。空っぽだと何か、さみしいね」
私がそう言いながら水槽をのぞいていると彼がマグカップに入った温かいコーヒーを差し出す。
「ありがとう」
「それで用事って何だったの?」
「ん? 内緒」
そんなモノは口実だった。
「内緒って」
「たまにはちゃんとお話したいの」
確認をしに来たのだ。
彼は私をちゃんと好きなのか。
私は、彼を好きなのか。
「だってもうあの日から1ヶ月と二週間経つよ。デートらしいデートもしてないし、———キスもしてない」
「………キス、すればいいの?」
並んでベッドに座る彼が私を見ている。
じっと瞳の中に私が映る。
「キスくらい、してよ」
そっと彼の顔が近付く。
コーヒーの香りのする吐息が鼻にかかる。
置き忘れたカップを彼は私から奪い取ると顔を近付けたままテーブルに置く。
「梨世って、呼んでもいい?」
「うん。いいよ———」
私が言い終わらないうちに彼は私の唇を奪う。
唇が触れ合うたびに、舌をからませるたびに、私の中で何かが弾け飛ぶ。
頭の中では記憶と言葉がごちゃ混ぜになってわけがわからなくなる。
「………椋木くん」
苦くて、甘い。
そんなキスだった。
彼の唇がやがて耳を、首筋を伝ってゆっくりと降りてくる。
私の手を包み込む彼の手がそっと私の胸に触れる。
その温かさが服とブラの上からでも伝わって素肌で感じられる。
優しく腰に添えられた手は私の体のラインを確認するようになでてくれる。
静かにベッドに寝かせられると彼はもう一度キスをした。
「———朋弥———」
彼の存在を確かめるように私は彼を抱きしめる。
そんな時、ふとシズクのことを思い出した。
彼の元カノのシズク。
きっとシズクもこのベッドで彼とセックスをしたのだろう。
こんなふうに彼にキスをされながら服を脱がされ、大きな手で胸に触れられた。
吐息だけが密着した私達の隙間を漂《ただよ》い、言葉もいらないこの時間を二人で共有したんだ。
そう思うと、なぜか私の意識はぼやけていたモノがはっきりとしてきた。
それから彼と私が大きく息をしながら力尽きるまで、私はずっと演技をしていた。
オトコが求めるオンナの理想をいつものように繰り返す。
心が別の場所にあるような、私がここにいないような感覚。
「———朋弥、私もっと一緒にいたい。朋弥と話がしたい」
それでも私は嘘をつく。
誰かにそばにいてほしいと、それがアナタだと嘘をつく。
「毎日大学でも会ってるしバイトでも一緒じゃん」
「それじゃ嫌なの。もっともっと一緒にいたいの」
「そんなに急には変われないよ」
「だったら変わってよ。私のために」
彼は私の上に折り重なったままじっと私を見ていた。
「私のこと、好きなんでしょ?」
「好きだよ。それでも、変えられないこともあるよ」
「一緒にいるのに一緒にいないみたい」
私は彼から逃げるようにベッドを抜け出した。
「………そんなんじゃ暇つぶしもできないよ」
脱ぎ捨てた下着を拾う。
「君にとって僕は暇つぶしかもしれないけど、僕は違うよ」
「何が違うの?」
「ちゃんと向き合って付き合ってるよ」
「———付き合うなんて言ってない」
私は彼に背中を向けたままパンツを履く。
「一回ヤッたくらいで付き合ってるとか思われても」
そう言いながら、私は自分がそう言われた時のことを思い出していた。
それは4月のあの日。
高校の時のあの夏の日。
君のことをオンナとして見られない。
何だか妹みたいで。
そう言いながらカレは私とセックスをした。
その行為に愛なんて必要ない。
好きじゃなくてもすることができる。
愛がなくても愛し合える。
幸せじゃなくても、幸せになれる。
私の幸せはそこにあるかもしれないけど、彼の幸せはそこにはない気がして、
「椋木くん。やっぱり私達、合わないみたい」
そう嘘をついた。
***