キャラメルと月のクラゲ
「カレシは大丈夫だったの?」
いつもの閉店時間より少し早く着いたものの、待ちくたびれていた松井さんに私は聞いた。
「ああ、大丈夫です。クリスマスとか気にしてないんで」
そう言って奥から台車に乗せたプレゼントを押してきた。
「ちょっとデカくない?」
雨に濡れたチェスターコートを気にしながら朋弥が言った。
ラッピングもしようと思ったのだけれど、この大きさと重さに断念して包装紙を巻き付けてリボンで飾るだけにした。
「とりあえず海水もポリタンクに入れてあるんで水槽の立ち上げをしてください。メインのクラゲはまた後日ということで」
「もう中味が何かわかっちゃってサプライズ感がないんですけど」
さすがにポリタンクにリボンはなかったかもしれない。
「そんなこと言わずに。そこらのネックレスより高いんですよ。これ」
松井さんはその大きな箱をたたいた。
「そうだね。ありがとう、松井さん」
「私じゃなくて、カノジョさんに言ってあげてください」
表情の乏しい松井さんが笑った。
「あ、そっか。ありがとう、梨世」
「———どういたしまして」
台車を押して私と朋弥が店を出る頃には雨がやんでいた。
肌を切りつけるような冷たく乾いた夜風が私達に吹き付ける。
「さむ。朋弥、手袋しないで大丈夫?」
「そんなに遠くないから大丈夫だよ。梨世は?」
「私? 私はこうするから大丈夫」
と台車を押している朋弥のコートのポケットに後ろから両手を入れる。
「頭いいよね。歩き辛いけど」
雨の上がった真冬の夜空の下を私達は歩く。
空の雲が流されて、月が出ていた。
「朋弥、見て。満月」
「残念。今日は十六夜《いざよい》だよ」
「イザヨイ?」
「満月の次の日のこと」
「さすが、朋弥。頭いいよね」
何でもないこと、たわいないことを話しながら私と朋弥は進む。
「月がキレイだね」
「そうだね。ちょっと寒いけどね」
やっぱり歩き辛いね。
だろ?
仕方ない。腕で我慢します。
朋弥の腕をつかむと強い風が吹く。
「何かまた降ってきた」
そう言う彼のメガネのレンズにいくつかの水滴がしがみついていた。
「待って。拭《ふ》いてあげるよ」
私はコートの袖で彼のメガネのレンズを拭く。
「あ、ありがとう。もう大丈夫」
嫌がるような彼がかわいく思える。
「雪になるかな?」
「なるかもね。降り出す前に家まで行こう」
少し早く歩き出した彼に合わせて歩くとショートブーツが軽やかに響いた。
こんな時間が私に訪れるなんて、思ったことはなかった。
ぽつりぽつりと雨の降り出す隙間を縫《ぬ》うように彼の話す空気感が心地よくて、ずっと聞いていたいと思う優しい時間。
「ほら、梨世。ちゃんと持ってよ」
大きな箱を部屋に運び入れる瞬間、私はほとんど手を添えているだけで彼が支えていてくれる。
海水のポリタンクを彼が運ぶ間に私が包装紙を取ってしまったことに彼はすねる。
「でも、メインはこっちですから」
彼が箱を開けると中から緩衝材に包まれた水槽が現れる。
円柱を上から見たような、もしくは横に倒したような、どちらかと言えばドラム式洗濯機のドアの部分に似た水槽は、ずっと彼がほしがっていた物だった。
「中身がわかってても、いざ出してみるとちょっと感動モノだね」
彼はそう言って楽しそうに説明書を見ながらコードを接続したり、循環ポンプやフィルターを取り付けていく。
「朋弥、生き生きしてるね」
「え? そうかな? でも、新しいオモチャ買ってもらったみたいで楽しい。梨世、ありがとね」
不意に彼がコドモみたいな満面の笑みを見せたので、私の心は不器用に躍《おど》る。
「何か今の顔、キュンときた。もう一回やって」
「えー、嫌です」
「いいじゃんケチ」
「はいはい。じゃあ、海水入れまーす。梨世手伝って」
店から借りてきた電動の給油ポンプで彼が海水を入れるのを私は手伝う。
と言っても私が手伝うのは電源のスイッチを入れるくらいであとは彼が全部やっていた。
私達はこれくらいがいいのかもしれない。
彼がほとんどやって、私が手を出すのはほんの少し。
それが甘えだと、男を頼りすぎだと言うならそれでもいい。
これが私と彼の距離なんだ。
私はただ、愛がほしかった。
誰かの代わりとか、何かを犠牲《ぎせい》にしたモノなんかじゃなくて、私だけに向けられた真っ直ぐな愛。
そこに至るための恋なんて簡単すぎて意味がないと思っていた私が、こんなにも恋に不器用になったのはきっと、アナタを好きになったせいだ。
「朋弥。ありがと」
海水を入れ終えて、主役のいないの水槽のLEDライトを点灯する。
明かりを消した部屋の中で水槽からのゆっくりと変化していく七色にベッドに座った私達は照らされていた。
「ん? どうした?」
「私を、好きになってくれてありがとう」
「何だ、そんなこと?」
「そんなことって何? 私はただありがとうって———」
少し声を荒げた私を彼は微笑みながらベッドに押し倒した。
「好きになったくらいでありがとうなら、これから100万回言っても足りないよ」
「100万回好きって言ってくれるの?」
「何回だって言うよ。———梨世、大好きだよ」
朋弥が私を真っ直ぐに見つめている。
光がラベンダーパープルから淡いピンク色に染まっていく。
「………この色って何か、エロいね」
「あ、誤魔化《ごまか》した?」
「違うよ。ただ、恥ずかしかっただけ」
笑っている彼の頬《ほほ》に触れる。
「私も、大好きだよ。愛してる、朋弥。だから———」
言いかけた私の唇を彼はキスでふさいだ。
「ちょっと、ちゃんと言わせてよ」
「梨世と一緒にいると楽しいね」
「うん。私も………って、そうじゃなくて」
吐息が鼻にかかるのがくすぐったい。
「だから、これからも一緒にいてね」
「もちろん。ずっと一緒だよ」
そう言って彼が愛に満ちたキスをくれた。
***
いつもの閉店時間より少し早く着いたものの、待ちくたびれていた松井さんに私は聞いた。
「ああ、大丈夫です。クリスマスとか気にしてないんで」
そう言って奥から台車に乗せたプレゼントを押してきた。
「ちょっとデカくない?」
雨に濡れたチェスターコートを気にしながら朋弥が言った。
ラッピングもしようと思ったのだけれど、この大きさと重さに断念して包装紙を巻き付けてリボンで飾るだけにした。
「とりあえず海水もポリタンクに入れてあるんで水槽の立ち上げをしてください。メインのクラゲはまた後日ということで」
「もう中味が何かわかっちゃってサプライズ感がないんですけど」
さすがにポリタンクにリボンはなかったかもしれない。
「そんなこと言わずに。そこらのネックレスより高いんですよ。これ」
松井さんはその大きな箱をたたいた。
「そうだね。ありがとう、松井さん」
「私じゃなくて、カノジョさんに言ってあげてください」
表情の乏しい松井さんが笑った。
「あ、そっか。ありがとう、梨世」
「———どういたしまして」
台車を押して私と朋弥が店を出る頃には雨がやんでいた。
肌を切りつけるような冷たく乾いた夜風が私達に吹き付ける。
「さむ。朋弥、手袋しないで大丈夫?」
「そんなに遠くないから大丈夫だよ。梨世は?」
「私? 私はこうするから大丈夫」
と台車を押している朋弥のコートのポケットに後ろから両手を入れる。
「頭いいよね。歩き辛いけど」
雨の上がった真冬の夜空の下を私達は歩く。
空の雲が流されて、月が出ていた。
「朋弥、見て。満月」
「残念。今日は十六夜《いざよい》だよ」
「イザヨイ?」
「満月の次の日のこと」
「さすが、朋弥。頭いいよね」
何でもないこと、たわいないことを話しながら私と朋弥は進む。
「月がキレイだね」
「そうだね。ちょっと寒いけどね」
やっぱり歩き辛いね。
だろ?
仕方ない。腕で我慢します。
朋弥の腕をつかむと強い風が吹く。
「何かまた降ってきた」
そう言う彼のメガネのレンズにいくつかの水滴がしがみついていた。
「待って。拭《ふ》いてあげるよ」
私はコートの袖で彼のメガネのレンズを拭く。
「あ、ありがとう。もう大丈夫」
嫌がるような彼がかわいく思える。
「雪になるかな?」
「なるかもね。降り出す前に家まで行こう」
少し早く歩き出した彼に合わせて歩くとショートブーツが軽やかに響いた。
こんな時間が私に訪れるなんて、思ったことはなかった。
ぽつりぽつりと雨の降り出す隙間を縫《ぬ》うように彼の話す空気感が心地よくて、ずっと聞いていたいと思う優しい時間。
「ほら、梨世。ちゃんと持ってよ」
大きな箱を部屋に運び入れる瞬間、私はほとんど手を添えているだけで彼が支えていてくれる。
海水のポリタンクを彼が運ぶ間に私が包装紙を取ってしまったことに彼はすねる。
「でも、メインはこっちですから」
彼が箱を開けると中から緩衝材に包まれた水槽が現れる。
円柱を上から見たような、もしくは横に倒したような、どちらかと言えばドラム式洗濯機のドアの部分に似た水槽は、ずっと彼がほしがっていた物だった。
「中身がわかってても、いざ出してみるとちょっと感動モノだね」
彼はそう言って楽しそうに説明書を見ながらコードを接続したり、循環ポンプやフィルターを取り付けていく。
「朋弥、生き生きしてるね」
「え? そうかな? でも、新しいオモチャ買ってもらったみたいで楽しい。梨世、ありがとね」
不意に彼がコドモみたいな満面の笑みを見せたので、私の心は不器用に躍《おど》る。
「何か今の顔、キュンときた。もう一回やって」
「えー、嫌です」
「いいじゃんケチ」
「はいはい。じゃあ、海水入れまーす。梨世手伝って」
店から借りてきた電動の給油ポンプで彼が海水を入れるのを私は手伝う。
と言っても私が手伝うのは電源のスイッチを入れるくらいであとは彼が全部やっていた。
私達はこれくらいがいいのかもしれない。
彼がほとんどやって、私が手を出すのはほんの少し。
それが甘えだと、男を頼りすぎだと言うならそれでもいい。
これが私と彼の距離なんだ。
私はただ、愛がほしかった。
誰かの代わりとか、何かを犠牲《ぎせい》にしたモノなんかじゃなくて、私だけに向けられた真っ直ぐな愛。
そこに至るための恋なんて簡単すぎて意味がないと思っていた私が、こんなにも恋に不器用になったのはきっと、アナタを好きになったせいだ。
「朋弥。ありがと」
海水を入れ終えて、主役のいないの水槽のLEDライトを点灯する。
明かりを消した部屋の中で水槽からのゆっくりと変化していく七色にベッドに座った私達は照らされていた。
「ん? どうした?」
「私を、好きになってくれてありがとう」
「何だ、そんなこと?」
「そんなことって何? 私はただありがとうって———」
少し声を荒げた私を彼は微笑みながらベッドに押し倒した。
「好きになったくらいでありがとうなら、これから100万回言っても足りないよ」
「100万回好きって言ってくれるの?」
「何回だって言うよ。———梨世、大好きだよ」
朋弥が私を真っ直ぐに見つめている。
光がラベンダーパープルから淡いピンク色に染まっていく。
「………この色って何か、エロいね」
「あ、誤魔化《ごまか》した?」
「違うよ。ただ、恥ずかしかっただけ」
笑っている彼の頬《ほほ》に触れる。
「私も、大好きだよ。愛してる、朋弥。だから———」
言いかけた私の唇を彼はキスでふさいだ。
「ちょっと、ちゃんと言わせてよ」
「梨世と一緒にいると楽しいね」
「うん。私も………って、そうじゃなくて」
吐息が鼻にかかるのがくすぐったい。
「だから、これからも一緒にいてね」
「もちろん。ずっと一緒だよ」
そう言って彼が愛に満ちたキスをくれた。
***