キャラメルと月のクラゲ
イズちゃんには言えるはずもなかった。
私が二番目であることも、フラレたことも。
だってフラレたカレはイズちゃんが気になっているヒトだったから。
だから一緒に住んでいる部屋では泣けなかった。
理由を聞かれてしまえば言うしかなかったから。
彼女に嘘をついてまで私はこのことを秘密にしておける自信がなかった。
「あ、もっしー? ここな?」
私を絶対に裏切らないイズちゃんを裏切った。
「うん。———え? ちょっと待って。何の話?」
そして私も。
「私が水かけたヒト、ケイトのカレシだったの?」
イズちゃんがバイトでいない土曜日。
講義のない私は朝に帰ってきて昼過ぎまで寝ていた。
イズちゃんとは顔を合わせていない。
今日の夜の予定を作ろうと合コンメンバーのここな、ケイトの二人を誘おうとした。
そこで知ったのはケイトが既にあのカレと付き合っていたこと。
「でも知らない女といたよ」
私はまた、裏切って裏切られる。


日曜日のバイトはちょっと忙しい。
昼前から私と椋木くんとミオ先輩、三人で近所のコドモ達のために月イチでクラゲのお勉強会の準備をする。
クラゲが産まれてからの成長過程を写真とイラストで解説をする。
それらは私がバイトを始める前からあったので作ることはないが、話しながら説明をしなくてはならない。
正直、コドモは苦手だ。
得体の知れないイキモノ。
何を考えているのかもわからない。
無邪気で残酷《ざんこく》な動物。
だけどそう思うのは、私がまだまだコドモだからなのかもしれない。
自分の感情や欲望に素直で、悪びれない。
「梨世ちゃん?」
「はい?」
ミオ先輩が思い出したようにカバンの中から一枚のチラシを出してきた。
「来月のお勉強会はこういうカラフルなのにしない?」
彼女が見せてきたチラシは色とりどりの花の写真にクラゲが浮いていた。
「これ! 蝦川《えびかわ》ニナの写真じゃないですか!」
「あ、梨世ちゃん知ってるんだ? デザイン系だもんね」
「はい。めっちゃ好きな写真家さんなんですよ。写真集も持ってます」
蝦川ニナは海外でも人気のある写真家だった。
原色のカラフルな色使いが特に女性に人気だった。
「水族館で明日までコラボイベントしてるんだって」
「行きたいです! ミオ先輩行きましょ!」
「明日は定休日だけど私がお掃除と餌当番だから、椋木くんと行ってきたら?」
「え!? 椋木くんですか?」
クラゲの成長過程別に分けた小さな水槽を並べている彼の後ろ姿を見た。
「他に行けそうなヒト、捜してみます」
私はミオ先輩から渡されたチラシを事務所のホワイトボードに貼り付けた。


お勉強会は何の問題もなく終わった。
問題があったとすれば私のコドモ嫌いな部分だけだ。
質問されてもただ決まりきった答えを繰り返すばかりでコドモ達の興味は私から離れていった。
それでいいんだ。
「二人ともお疲れ様。何とか無事に終わったね」
「あ、ミオ先輩お帰りなさい。親御さん達、喜んでました?」
近所のコドモ達を家の近くまで送り届けたミオ先輩は少し苦笑いをした。
「おみやげはちょっと微妙だったかな。お母さん達は困ってたみたい」
今回のおみやげのコップで飼えるお魚は椋木くんの案だった。
「だってさ。椋木くん、今度はお母さん達にウケるヤツにしなきゃ」
私がそう言うと彼は少しむくれた。
「だったら鹿山さんが考えてよ。コドモ達にもお母さん達にもウケるヤツ」
「オッケー。女心がわかってないような椋木くんと違って私はお母さん達の心はがっちりつかめるからね」
「コドモは嫌いなくせに」
「ねえ、椋木くんって絶対モテないよね?」
「はいはい。二人ともケンカしないの。ちゃっちゃと片付けて」
「はーい」
私と椋木くんのコドモじみた言い争いをミオ先輩は終わらせてクラゲの小さい水槽を指差した。
「これはどうするの?」
コドモ達に説明しやすいように移されたクラゲの赤ちゃんやコドモ達。
「向こうに持っていって。あとはやっておくから」
私を見ることなく彼は奥へ水槽を持っていった。
ご機嫌は斜めのようだった。
「はーい。まだ怒ってんの?」
「………うるさいな」
「じゃあ、モテる私からアドバイスしてあげよう。とりあえず椋木くんはもう少し清潔感のある服装にしたらいいよ。私が選んであげようか?」
「遠慮します」
「頑固だなー。顔は悪くないからモテると思うんだけどなー」
「モテなくていいです」
「あっそ」
私は『エフィラ』と名札の貼られた小さな水槽の中で水と一緒にゆらゆら揺れるヒトデのようなイキモノ達と目が合った。
いくつもある足のようなモノの中心に、目があった。
不意に濡れた手から水槽が滑り落ちる。
つかみ直そうとしたが間に合わず、とっさによけた足下に落ちた。
時が止まったように私は茫然《ぼうぜん》としていた。
「梨世ちゃん! 大丈夫!?」
一番最初に声を上げたのはミオ先輩だった。
飛び散ったガラスの破片が私の足首やくるぶしを少しだけ赤く染めた。
「………はい、大丈夫です。———ごめんなさい」
しゃがんで破片を拾おうとした手を突然つかまれる。
「やらなくていい。ケガされたら面倒だから」
椋木くんが私の手を離してガラスを拾い始める。
「椋木くん、ごめん。大事なクラゲ———」
「エフィラ」
「………え?」
「ミズクラゲが受精卵から1ヶ月と少しでエフィラって時期にまで成長する」
床に広がった水の中から彼は小さなイキモノを拾い上げた。
「君は産まれて1ヶ月の命を殺したんだ」
「殺したって………」
「ミオ先輩、消毒してあげてください。こっちはやっとくんで」
椋木くんはちらっと私の足首を見てそう言った。


「今日は梨世ちゃんが悪いかな」
向かい合ってイスに座った私にミオ先輩は微笑んだ。
「ほら、足乗せて」
私は言われるままミオ先輩のヒザに足を乗せる。
ペット用の吸水シートの上に真っ直ぐ伸ばした私の足首で血は乾《ひ》からびていた。
「………はい。ごめんなさい」
「謝る相手が違うでしょ。あとで椋木くんにもう一回謝ろうね」
傷口に消毒液、弱った心にミオ先輩の優しすぎる言葉、どっちもしみる。
「梨世ちゃん、ちょっと足首回してみて。違和感があったら破片入ってるかもしれないから」
私は足を伸ばしたまま、両方の足首を回した。
違和感はなく、ただ傷口がしみる。
「大丈夫です。ちょっと痛いだけ」
「そう。ならよかった。絆創膏《ばんそうこう》で足りるかな」
ミオ先輩は救急箱から取り出した絆創膏をペタペタと私の足首に貼った。
「ねえ、梨世ちゃん。椋木くんのこと、嫌わないでね」
「え?」
「普通の人はクラゲがどうやって産まれてくるかなんて知らないものね。だから梨世ちゃんの気持ちわかるよ」
うつむいたままのミオ先輩が何を考えているのかわからない。
「お互いに知ろうとしない限りわかり合えないんじゃないかな」
顔を上げたミオ先輩はさみしそうに微笑みかけた。


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