偽りのヒーロー
——体育祭の日、未蔓と寄り添う姿を、菖蒲は苦しそうな目で見ていなかったか。
玄関で落ち合った未蔓と帰ったあの日、手を振る菖蒲は、力なく手を動かしていなかったか。
菖蒲が恋愛の話をしないのは、もしかして未蔓を想ってのことではないのか。
確証はない。けれど、走馬燈のように、菖蒲の顔を思い出していた。
窓際から見るその視線の先には、7組の体育の授業。
ただただ自身と同じようにぼうっと外を見ていたわけでなく、未蔓の姿を探していたのではないだろうか。
何が要因かもわからず、宙に浮いた不安な感情が、途端に地に足をつけた。
——それだ。菜子の心に、一筋の光が差した。
紫璃の手を取って、ぶんぶんと上下に振った。それはもう、満面の笑みを浮かべて。
「それだよ紫璃! ありがとう!」
来た道を戻って、ぱたぱたと忙しなく駆ける菜子の姿を、呆気にとられた表情で見送った。一人取り残された紫璃が、目をぱちくりとさせ頬を赤らめているのにも気づかずに。
バイトが終わったその足で、菜子は菖蒲のバイト先へ来ていた。
あまりにも早く着きすぎて、しばらくは近くのファーストフード店で時間を潰していた。窓際に座り、菖蒲の勤める喫茶店を凝視しては、ひっそりと姿を潜めて、気分は探偵にでもなったようだ。
いつもであれば、お風呂に入るか、テレビを見ているか、楓に早く寝ろと怒っているか。出歩くことのない時間に、心臓が脈打っている。
「お疲れ様でした」
頭を下げた制服姿の女性の姿が見えて、勢いよく駆けだした。名前を口にし呼び止めると、風に靡くふわふわとした髪の毛が、表情を覆っていた。
「菜子……。なんでこんな時間に……」
目を見開いて、ドアの前で立ち止まっていた。なんでこんなところにいるの、そんな表情をして。
「10分、いや、5分でいいからっ。ちょっと、話がしたいんだけど!」
菖蒲は肩にかけたカバンの手持ち部分を、ぎゅっと握りしめていた。
俯いた顔が見えなくて、唇を噛みしめたのだけは、菜子の目にしっかりと見えていた。