偽りのヒーロー
菜子の母親が他界したのは、30を過ぎて間もない頃か、それくらいのあまりに突然の出来事だった。
菜子の父と、未蔓の両親は、高校が同じ仲のいい友人だと聞いていた。
まだ自分が母のお腹に命を宿す前のこと。菜子の父親は、会社員の今とは違って、高校の教師をしていた。
初めての副担任という大仕事に、菜子の父は浮足立っていた。クラス名簿で生徒の情報を頭に叩き込んでいた。
高校2年生だというのに18歳の一人の女生徒。
担任へ聞いたところ、長く入院していたせいで、出席日数が足りず留年してしまったということだった。
病弱というにはあまりにも快活に見えるその女性。よく笑ってよく喋る。普通の元気な一生徒、という印象だった。
しかしながら、体育の授業は休みがち。保健室で休むこともしばしば。そんな生徒が、未来の菜子の母の姿だった。
二者面談や、三者面談。高校二年生になると、将来を見据えて何度も先生と言葉を交わす。
菜子の母は、進路希望の紙をいつも白紙のまま出していた。何も話そうとしない菜子の母に、歳の近い副担任、つまりは菜子の父に話を聞くよう促した。
体調が思わしくなく、入院を繰り返していたある日、病室へお見舞いがてら進路の話をするべく足を運んだ。
病室へ入ると、優しそうな女性と口喧嘩をしていた。
客人に気づいたその女性は、ぺこりと頭を下げて、涙目で病室を後にした。
「母なんです」と、困ったように笑う生徒は、真っ白い顔をしていた。
進路指導の件できたことを告げると、担任に話したことが全てだと言った。
高校の卒業すらままならない今の状況を鑑みて、将来のことを考えることなどできないと取り繕った笑顔が頭にこびりついていた。
何度も何度も足を運んだ。次第に女性との家族も、名乗る前に「先生、いらっしゃい」と果物を差し出してくれるようになった頃。
出席日数という現実を避けることはできなかった、二回目の留年が決まった二年生の冬。
「今は高校を卒業することで精一杯ですし、わざわざ来てくださらなくても大丈夫ですよ」
進路指導の紙を持ってくる副担任に、女生徒はそう言った。
「本当は、高校は卒業することなんてどうでもいいというのは内緒ですよ」、親のいない病室で、口元に人差し指をあてていた。