偽りのヒーロー
しばらくすると、生徒の両親から連絡がきた。
「娘に口止めされて黙っていろと言われたんですよ」と、ひどく優しい声で。
何度も何度も空になった病室へ足を運んで、病院から連絡をもらったと言っていた。
生徒に黙って新しい病室へ足を運ぶと、ぼろぼろと涙を流していた。
「好きなんです、ごめんなさい……」
そう言って堰をきったように泣いていた。
考えるより先に、身体が動いていた。丸まった小さな背中を大きな手で抱き寄せた。
惹かれていたことに気づかなかった自分を恥じた。ごめん、と謝られるようなことでもないのに、小さく細い体に気を遣わせてしまったこと。
親身になろうとしていた自分が、最も難しい存在になってしまったこと。
それからの若い教師の行動は早かった。
やっとの思いでなった教師という立場を捨てて、伴侶になろうとしていた。通えないなら高校は止めたっていい。
妻としていてくれたらそれでいいと生徒に告げると、感極まってなぜか教師のほうが嗚咽交じりに泣いていた。
生徒の親からは、拍子抜けするくらいすんなりと了承を得ることができた。初めてねだった娘の想いを、できることなら応援したいとひどく優しく微笑んで。
教師だった菜子の父は、定時で帰れる仕事へと転職をした。菜子の母と長く一緒に過ごす時間を取るためだ。
念願叶って過ごす毎日は、思っていたよりずっと優しいひとときだった。
ある日、菜子の父が仕事から帰ると、慌てて何かを隠していたのが見えた。何を隠したのかと問えば、なんでもないと首を振る。
タイミングを見計らってその先を探してみれば、小さな子どものいる母のための雑誌が隠されていた。
「若いうちなら、身体が耐えられるかもしれないって」
それは、自分の命を短くするかもしれないという決意の言葉で。菜子の父は反対をした。しかし菜子の母の両親——菜子の祖父母は反対をしなかった。
尊い命を宿した自分たちは、その嬉しさを知っていると、否定も肯定もできないと頭を悩ませて。
菜子の母の決意は固かった。
根負けするくらいに菜子の父を説得した。
しかしながら子どもというのは授かりもの。母の身体に負担がかることは拭えない。それでもいいのだと、二人で病院に何度も足を運んだ。
お医者様に相談してまで子どもが欲しいという母の決意を退けることはできなかった。