偽りのヒーロー
今まで菜子が濁してきた言葉は、面倒事を回避すること然り、劣等感から自身の身を守るものだというのに、菜子はようやく気づくことになる。
しかしまた、動揺を隠せないのは紫璃も同じであったようだ。
俯いたその頭に、紫璃の唇が触れるのがわかった。
思わず顔をあげると、笑みを浮かべた紫璃の顔が、暗く日の暮れた景色の中でも、はっきりと見えた。
再び近くなったその顔に、やはり目を瞑ることを忘れてしまっていて、「ばか」と肩を揺らす彼の息がかかる。
「ごめん、いつ瞑ればいいのかわかんない……」
情けなくハの字になった眉をぐにぐにと指で撫でられた。くすくす笑う紫璃の手が、熱い。
「もう黙って」
眉間に触れていた手は、菜子の目を覆って、視界が真っ暗になる。
突として暗くなった視界は、もう一方の温かい紫璃の大きな手のひらで菜子の手を包み込んでいた。不思議と不安は感じられない。
代わりに心臓は、飛び出るくらいに鼓動を鳴らしていた。
初めてしたキスは、甘い、ミルクティーの味がした。
冷たい潮風の中で飲んだ、温かいミルクティーの味。
海風と寒空に晒された唇は、かさかさと水分が飛んでいて、熱い彼の体温だけが痛いくらいに伝わった。
「あ、あの、ごめん。今度からちゃんとリップ塗っとく……」
場の雰囲気を壊すような一言だったかもしれない。女子力の低さが垣間見えたかもしれない。
それでも紫璃は、可笑しそうに笑って、「好きだ」ともう一回、触れるだけのキスをした。