偽りのヒーロー
「お母さんが、死んじゃうかもしれない」
涙ながらにそう言ってきたのは、中学校に入って少しした頃だっただろうか。
今よりずっと小さな菜子の弟の楓が、まだオムツがとれないとかどうとかで、菜子はお姉さんをしっかりとやっていた。
掃除、洗濯、料理の手伝い。それまで菜子の母親がしていた家事を菜子が代わるように、せかせか動いていた。
初めは料理の手伝い。
カレーくらいであれば未蔓もきっと、カレールーの箱の裏に書いてあるレシピを見ながらすれば作ることも可能なはず。
しかしながら、菜子は昨日は肉じゃがを作ったとか、里芋の煮っころがしを作ったとか、うちのひじきの煮つけは油揚げも入ってるんだよ、とか。
妙に日常の家庭料理を作っているんだな、と単純に感心していた。
次の年は、何人かの友人で花火を見に行った。
女の子は張り切って浴衣を着ていて、男の子が色めきだつ中、菜子は浮かない顔をしていた。可愛らしい朝顔の浴衣はいつもとは違って一段と可愛らしく見えるはずなのに。
自分で着たからくたびれた、と笑う菜子にはどこか寂し気な顔をしている。すごいじゃん、と褒めたところで、そうだね、と噛み合わない返答。
この頃、不自然に笑う菜子がどうしても気になって、声をかけたことがある。
「楽しくなければ笑わなくてもいいって言ったの、菜子」
そうやって、昔菜子に言われた言葉を投げかける。
菜子が覚えているかはわからないけれど、俺が救われたように、きっと何かを感じてもらえるはずだと思って、口にした。
「……笑わないと、いけないときも、あるみたい」
その言葉は、家族を想う、強くて優しいヒーローの決意の言葉。
自分が泣いたら、母も泣く。心優しい父を悲しませ、つられておさない弟も泣く。笑顔を浮かべることで、自分を保つ処世術。
弱く細くなる母を見て、それを支える家族を見て、いつしか自分の感情を二の次に考えるようになった菜子に、何もしてあげられない。