偽りのヒーロー




「……え、直っぴ!?」



 改めてその名前を頭の中で反芻すると、驚いてしまい、支えているはずの腕がシーツの上で滑ってしまった。おかげで打ち上げられたトドみたくなった菜子を見て、菖蒲はぶはっと噴き出していた。



「夏休みから、ちょっとだけ連絡してるの」



 そういう菖蒲の表情は、以前菜子と喧嘩した際に見た記憶がある。

夏休み、菜子の記憶にあるのは偶然街中で会った日のカラオケくらいだったが、どうやらそれで間違いはないらしい。

いつの間にかフラれたと嘆いていた原田に一筋の光が差したのか。

まだどうにも著しい変化が見てとれず、しばらくは傍観することを決めた矢先、菜子は、あ、と呟いた。



「あのさ、余計なことかもしれないけど、いっこ言いたいことある」

「一個? ふふ、余計なことなら一つも聞きたくないんだけど」



 笑みを漏らす菖蒲を見て、嫌ではないのだと確信した菜子が続けざまに口を開く。



「直っぴさ、菖蒲のバイト先に迎えに行ってたって言ってたでしょ? 結局一緒に帰れなかったっていうのは、別にして」

「……うん」

「直っぴの家さあ、学校から結構遠いんだよ。たぶん7……8、9駅? そのくらい」



 だからと言って原田に情けをかけろと言いたいのではない。

ただ旧友のためというのは綺麗ごとかもしれないが、これくらいのお節介はしてもいいのかもしれない、と言ったまでだった、のだが。




 目を見張るほど、菖蒲の顔は赤くなっていた。洗面用具を持って、ユニットバスに向かう菖蒲は光の速さだ。


トイレと同じバスタブの部屋、ユニットバス。快適に過ごすために菜子が秘策だとばかりに持ってきた入浴剤。


それを告げたらあんなに喜んでいたはずなのに、入浴剤のひとつも持たずにユニットバスへ突入してしまった。



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