偽りのヒーロー
「しまった! 教科書忘れた」
授業の始まる前のほんのわずかな休み時間。菜子は自分の犯した失態に、がっくりと肩を落としていた。
「しかたないな〜。俺の見せてやろう! ほれ、机くっつけろよ!」
わざとらしい声の主が、ちらちらと菖蒲の背中に視線を送る。勉強なんて嫌いなくせに、こんなときだけレオの行動は早いもので、その素直さに感心さえしてしまう。
「いや、隣のクラスの子に借りてくるし」
「まじか! その手があったか……!」
慌てて立ち上がった菜子とは対照的に、レオはげんなりと机に突っ伏していた。
レオの優しさアピールは失敗に終わってしまった。大きな体を机に伏せて、授業が始まると、まるでやる気がなさそうだ。目の前に座る菖蒲の肩が大きく上下し、はあ、とため息をついていた。
窓の外を見ながら、気怠そうに頬杖をつく菖蒲。
授業中もずっと気だるげにいるのが、どうにも気にかかり、「どうしたの」と声をかけると、重そうな口を開いた。
「……昨日さ、なんか告られた」
「えっ!? 誰に!?」
小さな声で悲鳴をあげると、思わずレオのほうを見た。
扉の近くで、友達と談笑しているようで、こちらに気づく様子はない。レオの背中越しに、結城くんと目があって、ちょっぴり気まずく会釈をする。
「7組の、原田って人」
全くもってピンとこない。聞いたこともなければ、見たこともなく、どんな人かがわからない。
未蔓と同じ7組か、あとで聞いてみよう、と心に決めて、そわそわと目を輝かせて菖蒲の顔を見る。
「で、なんて言ったの?」
「もちろん断った。……私、たぶん好きな人いるし」
「……ええっ!?」
今度は声を抑えることができなくて、菜子の悲鳴にも似た声が高らかに教室に響き渡る。不思議そうなクラスメイトの視線が集まって、頭の後ろを押さえてへらへらと笑みを浮かべる。
眉間に皺をよせた菖蒲が手をひっぱって、菜子を教室の外へ連れ出した。
「大声出さないでよっ!」
小さな声だったけれど、その声は怒気をたっぶりと含んでいて、「ごめんごめん」と頭を下げる。
初めて菖蒲から聞いた恋愛の話に、ついつい落ち着きをなくす。気分が高揚したのだが、予想外のことばかりで、なぜだか自分のことのようにそわそわしてしまっていた。