偽りのヒーロー
今までもそれとなく家に来るかと誘ったことがあった。例えばバイトのない学校帰り。
「腹減ったし、どっか寄ってくか? あ、でも金ねえな。うち来るか」
そんなふうに誘ってみれば、家に来いと言わんばかりの常套文句。それは菜子には通じない、というよりも、考えてもみれば、わかっていてあえて流したのかもしれない、と今では思う。
学校、公園、バイト終わりの帰り道。二人でいる日なんて数えきれないほどあるのだが、恋人がいきつくあれやこれやは微塵もない。
今までは、そんなことを疑問に思ったことすらなかった。
キスをするとき腕が巻きついて離れなかったり、名残惜しそうに上目使いをしてみたり。「今日うち来る?」なんて誘い文句があれば、わかりやすくそれに応じたはずなのに。
別に拒絶されたわけではない、とは思う。けれど、一度やんわりと断られただけで、こんなにも臆病になることを知った。
以来、踏み込んだことはできないが、どうにか試行錯誤を繰り返す毎日だ。
「あ、そうだ、レオ。私、地学と科学だから、生物は紫璃に教えてもらったほうがいいかも」
もぐもぐと口を動かしている菜子が、お茶で口を潤すと、談笑しているレオに再び勉強の話をした。気持ちよく笑って話していたとことにテストの話を持ち出されて、レオは不機嫌そうな顔をしている。
ぺろりと胃の中に収められたケーキは、既に二杯目のお茶によって流し込められている。
満腹になって紫璃のベッドにもたれかかったレオは、勉強の話など耳に入れたくないらしい。指で耳を塞ぐと、あーあーと菜子の声をかき消していた。
「……やる気あんならいいけど、ねえなら帰れよ」
菜子に言われて、断るタイミングを見失ってしまった紫璃はこう言った。どうせレオのことだ、満腹でいい気分のまま帰るだろうと思えば、生物の教科書をカバンの中から取り出した。
驚き言葉を発するのを忘れそうになったが、一足先に「帰るね」と立ち上がった菜子を、玄関まで見送った。