偽りのヒーロー

 

 ——本当は、怖くないわけではないけれど。

大きな重低音は、耳を塞ぎたくなることもあるし、もし傘を差したてっぺんに雷が落ちたらどうしようとか、万が一の怖さに怯えることもある。

他の女の子みたいに素直に悲鳴をあげられたら、どんなに楽になることだろう。

いつしか我慢を覚えた菜子は、度々自身の感情を押し隠すようになっていた。







 稲妻に照らされた足元を見て、記憶が呼びこされる。まだ楓が、今よりもう少し小さい頃の話。



 あの日もバリ、と割れんばかりの重低音にわあわあと泣き喚いていた。

雷に負けないくらいの産声が、母の胸に顔を埋めて抱きしめると、嘘のように落ち着くどころか、「お臍とられるぞ」と意地悪な顔で笑う父の言葉に、キャッキャッと楽しそうにお腹を押さえる。

次第にうとうとし始めて、瞼さえ閉ざしてしまうのは、母の温かさ故の安心感。




 母がいなくなった頃、台風の影響で今よりもっと吹き荒れたどしゃぶりの雨と雷を落としていた。

嵐に怯えていたこともあるだろう。気を落としていたこともあるだろう。
しかし何より母がいないという虚無感が、小さな弟の胸の中に雷を落とした。

糸が切れたようにわんわんと泣いて、布団にくるまる楓を抱きしめゆらゆら揺らすと、やっと落ち着きを取り戻して、ぐりぐりと胸元に顔を擦りつけた。




「抱っこして」



 甘えん坊の弟が、それを言わなかったのは、幼いながらに家族の悲壮感に揺れた部分を感じ取っていたのだと思う。

年端もいかない、自分の胸元より小さな子が必死で我慢しているのを見たとき、自分がしっかりしなきゃと心に決めた。自身も雷は好きじゃないのを心の奥底に押し込めて、熱いくらいの小さな弟に頼れる場所を作らなければと思ったのは、少しだけ前のこと。

雷の重低音が鳴り響く夜は、誰かの布団に潜りこんできた弟が雷が苦手だと知ったのも、同じ頃だった。


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