偽りのヒーロー
はあ、と小さくため息をつくと、仕事の最中だったのだろう、散らばった伝票の整理をし始めた。平日ということもあり、客足がまばらだ。恐らく今日は、子供の看病で忙しいに違いない。
できるだけ仕事をしてから帰ろう、なんて考えて、店先の掃除に出ると、二つの影が、ピタリと止まった。
「な、こ……。お前今日バイト休みって……」
力なく吐かれた言葉は、焦りが見え隠れしていた。
紫璃の隣には、知らない、女の人。
けれど、電車の中から見たことのある、女の人。きっと、この人が佐藤りん香さんだということは、すぐに予想できた。
動揺して、今ここで相応しい言葉など、考えつきそうにもなかった。
自分の目がゆらゆらと揺れているのが、わかる。胸の鼓動も、脈打つ速度が上がっているのも、否が応でもわかっていた。
「……いらっしゃいませ。何か買っていかれます?」
にっこりと笑みを浮かべた菜子に、紫璃の隣の女性からじっと視線を向けられている。にこにこと笑う姿がぎこちなくはないだろうか。身体中に、血液がめぐるのを感じていた。
「……や、てか、菜子、これはさ、」
「仕事中ですから。業務に戻りますね」
業務的で機械的な言葉。なかなか動かない紫璃を尻目に、菜子は店内へと舞い戻った。……早く帰ってほしい。一刻も早く。浮かべた笑みが、消え去る前に。
しばらくすると、店の前から、二人の姿が消えていた。収集のつかなくなった感情が、涙になって零れだした。
作業台のテーブルを、ぽたぽたといくつもの水たまりを作ると、配達から戻ってきた店長が、慌てて菜子の元へかけよってくるのが見えた。
菜子の足元には、壊れたブーケ。それを見て、勘違いをしたのだろう。「菜子ちゃんのせいじゃないからね、ね」と、菜子の背中をさすっていた。
「すみません、店長、違いますから。あとお子さん具合悪くて、奥さま病院に連れていかれましたよ」
ぐすっ、と鼻水をすすりながら店長に伝えてみれば、再び慌てて落ち着かないようだった。
あまりにわたわたとしている店長が、無駄に店内をうろちょろしており、思わずそれを見て噴き出してしまったのだった。