偽りのヒーロー



ぐず、ぐず、と涙か鼻水かは班別のつかない生温い感触が、菜子の肩を濡らしていた。
ゆらゆらとささやかに身体を揺らせば、肩にかかる楓の体重が、より重くなったように感じた。



 電話を置いた父が、菜子の隣に腰を下ろすと、はあ、と大きな息を吐きながら口を開いていた。



「明日朝いちで病院行くことになった。たぶんこの熱だとインフルエンザかもだって」

「だよね。身体、熱いもん」

「悪い、起こしたな」

「ううん。起きてたから大丈夫。このままここに布団敷いて寝よ。テーブル寄せて。ベッドだと処理大変だし」

「あー…ああ。そうだな」

「お父さんはその前に着替えて来たら? 風邪ひいちゃうよ」



 「菜子は本当に母さんに似たな」と笑いながら、布団を敷いていた。

よほど焦ったのだと思う。父のパジャマもしっとりと汗ばんでいた。




 その日は、朝まで深い眠りにつくことはできなかった。

時折、楓が嗚咽を吐いて、布団に横になったまま背中を擦ったり、抱っこしたまま菜子の肩口ですぴすぴと寝息を漏らしたり。苦しそうな呼吸の音に、父の心配が色濃くなっていた。




 浅い眠りから目を開けると、菜子はいつもとは多少異なる朝ごはんを作っていた。

お粥を作って、父が看病で仕事を休めばそのぶんご飯もいるかもしれない。多めに調理をすると、冷蔵庫の中を開けて、足りないものをメモに書き起こした。



 楓は小さいながら、病弱ではないとは思うが、ここまでの体調不良というのは、久しぶりに見た気がする。年に何度か風邪を引いたりはするけれど、40℃を超える高熱は初めて見た。

運よく、健康に恵まれた菜子は、きっと幼い頃に風邪をひいたことはあるだろうけれど、自意識がはっきりとした頃から数えてみれば、片手で足りるくらいしか風邪を引いたことがない。


 熱いくらいの楓の頬を触ると、冷たい菜子の手に顔を擦り付けていた。汗で張りついた額の前髪をかき分けると、力なくへらりと笑顔を浮かべていた。



「私、先出るね」

「おー。気をつけてな」

「うん。いってきます」





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