偽りのヒーロー
「えっ、菖蒲?」
茶化したような言葉の、いつも通りの菜子に、菖蒲はふるふると左右に首を振っていた。
「違うの。泣かない菜子の代わりに泣いてるの……」
「……ありがと。抱きつきたいけど後でね! ブレザー汚しちゃう! 茉莉も夏海もありがとう」
にっと笑みをこぼした菜子に、ううんと瞳を揺らして首を振っていた。
向かい側でペタリと座り込む櫻庭を取り囲む、櫻庭の友人たちを見て、葉山軍VS櫻庭軍みたいな構図に、思わず笑いそうになっていたが、空気をよんで、それは必死に耐え抜いた。
「はいはーい。みんな下校の時間だそー。用のないやつは帰れー」
先生と通る声がそこいら中に響くと、いつの間にか櫻庭がその場を立ち去ってしまっていて、逃げ足の速さに感心してしまった。
帰ろうとする菜子は、当然先生のもとへ連れていかれてしまって、まずは手当だと、保健室に連行された。
「いっっったーーい!」
「当たり前でしょう。結構深い傷があるんだもの」
「もうちょっと優しくしてください〜」
手のひらの傷に、消毒用のアルコールが染みる。水道水で血を洗い流して、冷たくなったはずの手に、熱が帯びていくようだった。
保健室の先生は、いつもは優しいはずの先生なのに、容赦ない手当が、菜子の悲鳴を響き渡らせる。
「何言ってんの。あなたのほうこそ女の子なんだから、口喧嘩で留めておきなさい。これ化膿するかもしれないわよ。利き手でしょうに……」
「いや口喧嘩の副産物なんですよね」
「もうっ! 減らず口叩かないの!」
そう言って養護教諭によって厳重にまかれた包帯を見て、菜子は溜息をついてしまった。
しばらくお風呂に苦労する様子が頭の中に浮かんできて、その上隠しようのない傷を、父にどう説明するべきか。
そうこうしているうちに、3年2組の担任の加藤に腕を組んで仁王立ちしていた。
「話、聞かせてくれるな? でもその前に病院だ」
「えっ? そこまですごくないですけど……」
「血、止まらないどころか、もう滲んでるだろ、ガーゼに」
「まあ、そう言われてみれば……」
「縫わなきゃならないかもしれない。そうじゃなければ、よかった、でいいから。まずほら、病院行くぞ!」