偽りのヒーロー
「おー。おかえり」
いつもより早い帰宅の父は、どうにもタイミングが悪いと思う。
「ただいま」といつも通りに部屋に入ると、まだ気づかれていないようだった。
部屋着に着替えるにも、時間がかかる。利き手が使えないとどうにも不便だ。
いつもだったら夕ご飯を作るところなのだが、今日はどうしようか。
数日後には、包丁を握れると思うけど、「無理したら縫ったところが開くからね」と淡々と言われた医師の言葉が木霊して、父に話すことにした。
「ねー、お父さん。あのさあ、もしさ……学校に呼び出されたら、ごめん」
「……どうした。何かあったのか」
楓と一緒にダイニングで麦茶を飲んでいた父が、きょとんとした顔で菜子を見ていた
。一転、菜子の包帯を巻いて医療ネットをかけられた手を見ると、慌ただしく椅子から立ち上がっていた。
椅子が勢いよく後ろへ倒れると、驚いた楓が、目を丸くしていた。
「なんだ。それ、怪我か」
「……うん」
「ちょっと見せてみなさい」
そういうと、不器用な手つきで、手に巻きつけた包帯をとると、黄色い消毒薬の染みたガーゼを外していた。
わずかに痛みを感じて顔をしかめた菜子よりも、父のほうが、ずっと難しい顔をしていた。
「……縫ったのか」
「うん。床に手ついちゃってね、玄関だったから。石とか小さいガラス片みたいのとか、そういうので切れちゃったみたい」
「うわ! おねっちゃん、いたい?」
「見た目よりは痛くないよ、大丈夫」
父は黙ったまま包帯を巻いてくれたが、医者の巻いたように元に戻すことができなかった。
「……いじめか。喧嘩か。それ以外か?」
ゆったりとした父の言葉に、菜子は「喧嘩」と苦笑した。
椅子をもとに戻した父が再び座ろうとしたのを見て、菜子も席につくことにした。
楓が椅子を引いてくれたのには驚いたが、笑顔に包まれるダイニングは、今日は、厳かな雰囲が漂っていた。