偽りのヒーロー
「ん? まだ帰ってなかったの?」
心配して、菜子の帰りを待っていると、あっけらかんとした口調で菜子がローファーを床に投げ出していた。上履きを下駄箱に入れれば、そこかはとなくスムーズに帰路に着こうとしている。
菜子の腕を引いた紫璃は、怪我をしてしまったという手のひらではなく、あくまで腕を掴んでいた。優しさというにはあまりにも都合が悪い。
噂を聞いてみれば、すぐに紫璃のことで〜…なんて言葉が聞こえてきていたからだ。それでもそんな紫璃に都合のいい優しさに、菜子は笑みを浮かべていた。
「……平気なのか」
自然と漏れた菜子を案ずる問いには「何に対して?」と駆け引きみたいな答えが返ってきた。
唇をかみしめずにはいられなかった。
そんな駆け引きを言わせてしまうほど、紫璃の心ここにあらず、といった状況を菜子に作ってしまったことを悔いいていた。
「……全部に決まってるだろ!」
声を荒げた紫璃は、慌てて周囲を見渡した。
昨日、菜子と櫻庭の騒ぎがあったのも玄関、下駄箱付近だというのだから、再びここで事を荒立てることはできない。
すぐに人気のないところに移動すれば、菜子は困ったような顔をしてついてきた。
「今さら何の話?」、それくらいは言われる覚悟はついていた。のに、全く菜子は紫璃を責めようともせず、それが紫璃には一番つらかった。
騒ぎを知ったのも、今日、学校に来てからのことだ。
慌てて菖蒲に聞いてみれば、「あんたと口聞きたくないんだけど」と、普段もクールな態度は、さらに加速し嫌悪感さえ垣間見えた。
隣の1組のクラスに駆け込んでみれば、未蔓の姿はまだ見えない。原田に聞くと、言葉を濁していたけれど、怪我の状況だけはやんわりと教えてくれた。
朝のホームルームが終わったあとも、自習の時間も、そして放課後も。ひっきりなしに菜子は教師のもとへ向かっていた。
何も変わったところはない。
職員室かどこかわからないけれど、教室に戻ってきた頃には、普通の日常に違和感のない笑顔を浮かべていた。
それは昨日騒ぎを起こしたものとは思えない表情で、あまりにも拍子抜けしてしまった。