偽りのヒーロー
大丈夫なわけがない。
包帯を巻くような怪我なんて、少しの切り傷ではないことくらい知っている。
菜子の利き手の右手でノートをとっていれば、痛みを感じたのか、よく左手にシャーペンを持ち替えていた。
もどかしかったのだろう、時折シャーペンで頭をぽりぽり掻いては、首を傾げているのは、真後ろの席なのだから、事細かに見て取れる。
4月に前後になったこの席が、あの日は溜息をつくほど後ろめたく感じていたのに、これほど役に立つとは、あまりにも罪深い。
菜子と話をして、あらぬ誤解を解こうと試みたのは、いつだっただろう。そして、言葉を交わさず、連絡も取らなくなったのはいつからだっただろうか。
徹底的に無視、という幼稚な態度は、どれほど菜子の感情を揺さぶったのかはわからない。
もとより連絡するのはマメではないと思っていたが、いつか痺れを切らして言葉を交わすことができるだろう。
その駆け引きは、紫璃が音を上げてしまったのだけれど。
りん香の名前を菜子の口から聞いたとき、あまりの動揺に、怒号に似た声を出してしまった。
案の定、「なんで怒るの」とは言っていたが、泣き出しそうな女々しい顔はしていなかった。
自分は思っていたよりも、あまりにも単純だ。
菜子とつき合ってから、それを痛いほど知ることになった紫璃。あれほど女は面倒だと思っていた感情はころりと変わってしまうし、面倒な束縛も、自身がしてしまうことになるとは滑稽だ。
本当にりん香と会ったのは、偶然に違いないが、それから何度も逢瀬を重ねるようなことになってしまったのは、何も言い訳ができない。
そのくせ、菜子と別れたのか、と聞かれるような状況になれば、りん香と会うこともしなくなった。
愚か。
そう罵られても甘んじて受け入れられる。「彼女」と安心して繋いでいた鎖がなくなるかと思えば、途端に好き勝手するのが躊躇された。
何にせよ、話をして、とにかく言葉を交わさなければならないのに、なかなかできなかったのは、あまりに飄々とした菜子の態度が目に余っていたからだ。