偽りのヒーロー
紫璃といるのは、気が楽だった。
あまり根ほり葉ほりと聞いてこなければ、ないがしろにすることもない。ちょうどよい距離感が心地良かったはずなのに、いつしか紫璃の感情が気まぐれでないことを知って、少し、胸が痛くなった。
一番ひどいのは、自分だと、菜子は理解しているつもりだ。
誰でもよかった。寄りかかれることができれば、誰でも。
それでも彼氏というのは一筋縄ではいかないものだった。どこにいっても好きという感情がついてくる。そこから派生する、嫉妬とか欲とかの感情も。
感情をなくしたわけではないけれど、いろんな感情を、笑顔に隠していたつもりだったから、押し寄せてくる紫璃の感情の波には、少なからず動揺した。
初めは彼氏だから好きだった。ひょっとすると、一般的な好きとは違うだろうけど。
自分に好意を向けてくれる人が好きだったはずなのに、いつしか紫璃を好きになっていたのには驚いた。
だから紫璃の顔を見るのか嬉しかったし、目尻を垂れ下げて笑ったところを見られるのが嬉しかった。
口が触れたときの柔らかさも、抱きしめられたときの体温も。肌を直接感じたときは、紫璃のことで頭がいっぱいになるくらいには、この恋に溺れていた——それでも。
「私、強くなっちゃったよ。一人で立てるくらいには」
「……なんだよ……」
「紫璃のせいだよ!」
にっと浮かべた笑みは、気持ちいいくらいに爽快な笑み。誰かに自分をゆだねないと、立てないくらいにぼろぼろだった頃の傷はもうない。
紫璃とつき合って、それまで自分の中になかった感情さえも手に入れてしまった。弱さをひた隠しにした笑顔の仮面は、もうかぶらなくとも笑えているのだ。
「俺のせいなら責任とらしてくれてもいいだろ……」
「りん香さんは、きっとあの人は紫璃はいないとだめなんだと思うよ」
「……いやだ」
「……紫璃のわからずや」
そう言って、菜子は紫璃の頭を撫でると、腰を引き寄せられると、ふわりと優しく抱きしめられた。
「ごめん、菜子。本当にごめん……」
振り絞るような紫璃の声は、今まで聞いたことのないような声だった。